そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます。
『』の中の言葉は、見えない世界から伝わってきたものです。

『富士山から太郎は出た』

2020-03-22 17:22:06 | 未来の創造

『富士山から太郎は出た。』
3月11日未明の言葉。
目の前に大きな大きな富士山がビジョンで現れてのことだ。

3月3日にも書いたように、2月に入る頃から山梨を気にしていた。
隅っこのものが出てくるイメージがあり、龍を目覚めさせることを伝えてくるメッセージがあり、それらに付随してそれなりに大きく揺れることを感じていたからだ。
年末に山梨での災害を夢で繰り返し見た方からご連絡いただいたことをきっかけに、僕も年末に自分の中に伝わっていたことをシェアし、メッセージとどのように関わっていけばいいかを考えていた。
『怖がる必要はない』
『手荒な真似はしない』
と動揺しないように制しつつ、事が起こると伝えてきていた時期は2月を指していたのだ。

3月6日7日と3人の女性を富士山周辺に案内することが決まっていたので、その辺で何らかの手応えを感じられるものと思っていた。
彼女たちとも共有すべきと、2月に入る時点で僕が感じていたことを伝えた。

2月6日の朝にそのうちの一人、Yさんから地震について見る上で山梨の山の方で行ってほしい場所があると連絡があり、その1時間後にはそこまで一走りすることにした。
その会話の最中に降りてきたのが『3月15日』だった。
Yさんに伝えられた場所に行ってみると
『緊張している』場所が
『晴れてきた。
山はおもてを上げる。
同調する。』
『金の鳥動く』
と、速い展開があった。
そのまま金櫻神社に参拝して富士山を眺めたときに「富士は晴れたり日本晴れ」と日月神示の冒頭の言葉が頭に流れ、さらなる良き予兆を感じたのである。
『交代がはっきりする』
ことも伝えられた。

この時点でも僕は警戒を緩められない。

2日後の2月8日、大きな地震の夢を見る。
自宅が揺れる夢と、横浜にいるときに地震に並行して何か作業をする夢の二本立てだ。
その翌日9日が横浜で仕事の日だった。
何かあるならその日は自宅にいておきたいと考えていたので少し嫌な符号だった。
令和2年2月9日。
「229」の並びは「フジコ」ノハナサクヤヒメの言霊を表す。
さらにその日は満月だ。
僕の警戒感はMaxに達していた。

2月9日。
早めに横浜に着いて祈るように伝えられた。
午前8時21分に徳島県南部で弱い地震。
日月神示の「富士鳴門の仕組み」を連想させる。
行った場所は中区の厳島神社。
横浜村の鎮守である。
『光。
山場を越える。
今のままで良い。』
とあっさり伝えられる。
翌日朝には
『破った!』
と伝えてきた。

この時点でもよくわからなかったのだが、その2日後に徳島入りし、忌部神社に参拝したところでフッと力が抜けて根本で変質が起きたのを感じた。
『済んだ』
のような簡単な一言を伴っていたのだが、身の緊張がほぐれた感覚の方が際立っていた。

3月3日に書いた『島守り』は、あらためてご神水をいただきに金櫻神社を参拝したときの言葉である。

3月6日7日の富士山周辺の旅では
『富士山は適齢期』
『そろそろトドメを差そう』
などと気が熟していることを確認。

彼女たちとは3月12日13日にかけても東大寺のお水取りでご一緒しお世話になった。
このときのことも直接ではないにせよ、富士山の「太郎の出立」には繋がっているのだろう。

コメント
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