所在地=函館市五稜郭公園内(たけだ・あやさぶろう)
五稜郭公園へ架かる一の橋、二の橋を渡り、ふじ棚をくぐると左側にある。
バスガイドさんが、「とっても頭の良い方でした。皆さんの中に斐三郎の頭脳にあやかりたい方がおられましたら、どうぞ頭を撫でて下さい」と言うものだから、ご覧のように顔、頭が異常に光輝いている。
彼はどんな人物だったのだろうか?
幕末の文政10(1827)年、四国は伊予国大洲藩(現・愛媛県大洲市)に生まれ、緒方洪庵から蘭学を学んだ。
下田や箱館に来航したペリー艦隊に乗り込んで、通訳兼折衝役として活躍、箱館奉行支配・諸術調所教授役に招かれ、子弟の教育にあたった。
五稜郭のほかに第97号でご紹介した箱館弁天台場、函館・恵山麓にあった尻岸内溶鉱炉の設計・監督も務めた。
とにかく、多方面の学問に優れ、
調所では、外国語、測量、航海、造船、砲術、築城、化学を教えた。
元治元(1864)年、東京開成所(現・東京大学)の教授として転出、明治13年、東京で没した。
1855年に国際開港場になった箱館。
外国の脅威に備え、蝦夷地防衛の要として造られた西洋式城郭・五稜郭。
しかし、ここで繰り広げられたのは、箱館戦争という日本人同士の血の流し合い、斐三郎の胸中はどんなものだったろうか。
このことは、近代日本が誕生するためには避けては通れない悲劇であった。
※ 3日ほどわらじを履きます。お返事が遅くなると思いますがお許し下さい。
関連マイブログ
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ミカエル
毎日ブログだけはしっかりチェックしていますよ!
私も頭が良くなりたいので撫でに行きたいです。
頬ずりしたい。(笑)
今日も1日頑張ります!
お疲れなのに、わざわざ足を運んで頂き有難うございます。
「維新行列」の撮影のため自転車で。
行きは強烈な向かい風、着いたら空腹になりフラフラでした。
こちらにおられた時、斐さん詣ではしなかった?でしょうね!
ミカエル