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ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第126号 五稜郭の設計者・武田斐三郎顕彰碑

2007年05月14日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像

所在地=函館市五稜郭公園内(たけだ・あやさぶろう)

            

五稜郭公園へ架かる一の橋、二の橋を渡り、ふじ棚をくぐると左側にある。
バスガイドさんが、「とっても頭の良い方でした。皆さんの中に斐三郎の頭脳にあやかりたい方がおられましたら、どうぞ頭を撫でて下さい」と言うものだから、ご覧のように顔、頭が異常に光輝いている。

彼はどんな人物だったのだろうか?
幕末の文政10(1827)年、四国は伊予国大洲藩(現・愛媛県大洲市)に生まれ、緒方洪庵から蘭学を学んだ。
下田や箱館に来航したペリー艦隊に乗り込んで、通訳兼折衝役として活躍、箱館奉行支配・諸術調所教授役に招かれ、子弟の教育にあたった。
五稜郭のほかに第97号でご紹介した箱館弁天台場、函館・恵山麓にあった尻岸内溶鉱炉の設計・監督も務めた。

とにかく、多方面の学問に優れ、
調所では、外国語、測量、航海、造船、砲術、築城、化学を教えた。
元治元(1864)年、東京開成所(現・東京大学)の教授として転出、明治13年、東京で没した。

1855年に国際開港場になった箱館。
外国の脅威に備え、蝦夷地防衛の要として造られた西洋式城郭・五稜郭。
しかし、ここで繰り広げられたのは、箱館戦争という日本人同士の血の流し合い、斐三郎の胸中はどんなものだったろうか。
このことは、近代日本が誕生するためには避けては通れない悲劇であった。

※ 3日ほどわらじを履きます。お返事が遅くなると思いますがお許し下さい。 

関連マイブログ
 http://blog.goo.ne.jp/mikaeru171/d/20061223

 http://blog.goo.ne.jp/mikaeru171/d/20070222

                      ミカエル


 



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ミカエルさんへ (ちぇろ)
2007-05-20 11:54:13
こんにちは!
毎日ブログだけはしっかりチェックしていますよ!

私も頭が良くなりたいので撫でに行きたいです。
頬ずりしたい。(笑)

今日も1日頑張ります!
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ちぇろさんへ (ミカエル)
2007-05-20 20:59:01
こんばんは!
お疲れなのに、わざわざ足を運んで頂き有難うございます。
「維新行列」の撮影のため自転車で。
行きは強烈な向かい風、着いたら空腹になりフラフラでした。
こちらにおられた時、斐さん詣ではしなかった?でしょうね!
 ミカエル
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