ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第18号 函館大火慰霊堂

2006年08月25日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像
所在地=函館市大森町

今日の函館の最高気温は29.8℃。湿度が低いせいかそんなに暑さは感じなかった。しかし、スポーツ同好会の練習会場の体育館は、冷房なしだから汗がしたたり落ちる。家から冷茶を持って行ったが足りず、冷水器からごっくん、ごっくんと何度飲んだことか。家に帰って真っ先にシャワーを浴びさっぱりと。
冷たい麦茶の美味しかったこと。夕食前に再び麦茶で乾杯!



この慰霊堂は、昭和9年3月21日、函館市の約3分の1を焦土と化した際の殉難者を弔慰するために、市が全国からの義捐金をもとに建立した記念堂である。
この大火、午後6時30分頃住吉町から出火、焼失戸数24,186,罹災人口102,000余、死者2,054人の大惨事になった。

同年9月21日に仮堂を建てたが、昭和13年9月30日に現在の寺院風の慰霊堂が建てられた。構造は鉄筋コンクリート造、床面積は613㎡。
ここに安置されているご遺骨は無縁仏の662体、毎年慰霊祭が行なわれているが、参列者は年々減少している。
本堂部分は、青少年ホールとしてスポーツ競技用に使われ、歓声が上がっている。

母の実家はこの大火の直前に建てたが幸いにも難は逃れた。
しかし、外壁には焦げ跡が残り危うい状態だったという。

大火の悲惨さは生まれていないので分からないが、昭和29年の秋に起きた「洞爺丸沈没事件」は、ひどかった。
上磯沖で沈没したのだが、ご遺体は日本通運のトラックでこの慰霊堂前広場に運ばれ検死を受けた。
ムシロの上に並べられ、ムシロで覆われていたが、せめて毛布がなかったのか、と当時はそう思った。
時間が経過するにつれ、犠牲者には失礼だが異臭が発生し、悲惨さが増してきたのを覚えている。

ここの前を通るたびに、合掌せずにはいられない。 ミカエル




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2 コメント

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函館哀愁 (真野京子)
2009-05-16 21:17:15
懐かしい慰霊堂の写真ありがとう
戦後間もなくよくここで遊びました
近くの大森町に住んでいました
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大森町 (ミカエル)
2009-05-17 07:32:10
真野京子さん、おはようございます。
ようこそマイブログへ。

私も4年間ですが大森町に住んでおりました。
今は壊されてしまった巴座の裏あたり。
中学はこれも壊されてしまった旭中。

当時、大森浜で海水浴。
帰りに慰霊堂となりにあります「小さな五重塔」のてっぺんに挑戦。
でも、二段目までが限度でした。

大門界隈の空き地が目立ちすぎます。
また、どうぞお越しください。
お待ちしております。  ミカエル
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