ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第106号 母なる 函館山

2007年03月19日 | 展望処

           
(3月18日午前6時45分撮影・撮影地点・石川啄木小公園)
 
(左写真の最高部が御殿山展望台。右写真の左端が立待岬)

函館山は100万年以上前に火山活動によってできた島で、当時の山の姿は、頂上も裾野も現在より遥かに高く広かった。
火山活動が終息し、海流が運んできた土砂が堆積し始め、約6,000年前から砂州がゆっくり成長して亀田半島とつながった。

砂州の一番狭いところは、JR函館駅から津軽海峡へ抜ける区間(大森稲荷神社)で、その距離は僅かに約1㎞。
現在の函館山は標高334m、周囲約9㎞、南北約4.5㎞、東西約1.5㎞で、ここから眺める夜景は美しく「香港、ナポリ」と並び世界の三大夜景と称されている。
函館の町は初めての方でも歩き易い。
函館山のある方向が南、五稜郭タワーのある方向が北と覚えればよい。

山は江戸時代からたきぎの採取地、幕末の開港期には外国の脅威に備えて造られた「弁天台場、五稜郭」の石材供給地となった。
たきぎは採るだけで植林をしなかったため、はげ山になった時期もある。
明治2年5月の官軍による「箱館総攻撃」のときには、新撰組も山頂付近を守備していた。

明治31年からは函館港を防備するために、全山要塞となり長い間立ち入り禁止とされたが、昭和21年には市民に開放され、ハイキング、スキーを楽しめるようになり、観光道路の建設、ロープウェイも営業を始めるなど観光面の整備が進められた。

山は季節のカレンダーだ。
新年の純白から始まり、雪解けとともに薄茶色、春は山裾が桜のピンクに染まり、新緑、濃い緑へと清清しくなり、赤く燃える秋、葉を落とした木肌が茶色になって雪が舞う墨絵の世界に・・・また純白に・・・
市の南に微笑みを浮かべながら座り、背後から太陽を降り注ぐ山容は、まるで函館の母のようにも見える。

石川啄木が「東海の 小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」
と歌った長い砂浜、弓のように弧を描き美しい姿を見せている。

                  ミカエル

 

 


 

 



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