みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

週のはじめに考える 選挙さえまっとうなら /キャべツと白菜などの苗を植えました

2021-09-26 22:48:24 | ほん/新聞/ニュース
パートナーがキャべツと白菜など冬野菜の苗を植えるので、
わたしも急いで西の畑に行きました。

まず苗を根きり虫に食べられないように茎にアルミホイルをまきます。

一つずつ丁寧に植えていきます。



植え終わってから虫よけのサンサンネットをかけました。

酔芙蓉は午後には濃桃色の花に変化。



コリウスも花が咲いています。

シュウメイギクと彼岸花。


さっきからPCのキーボードの調子が変。
反応しない文字があって、画面を見てないと字が飛んで
ちがう言葉になってしまっている。
そういえば、昨日からおかしかった・・・。
うーん、そろそろ買い替え時期なのか?
で、
きょうのblogは使えない文字は、コピペしたり、
使用しないないように打ちました(笑)。

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   社説 :週のはじめに考える 選挙さえまっとうなら 
2021年9月26日 中日新聞 

 どんな道具でも、長く使っていれば、傷もつき、くたびれてもきます。代えがなければ、手入れして長持ちさせるほかない。次の総選挙は十一月になりそうですが、この「選挙」というシステムも民主主義が長く愛用してきた大事な道具です。どれほど大事か。スペインの思想家オルテガは反語的に<細目>と呼んでいます。

 曰(いわ)く、<民主主義は一つの取るに足りない技術的な細目に左右される。その細目とは、選挙の手続きである>(『大衆の反逆』)。


民主主義の大事な「道具」
 そもそも、どこでどう始まったものか選挙の歴史に詳しくはありませんが、古いところで連想するのは、古代ギリシャの都市国家で行われたというオストラキスモス(陶片追放)。抑圧的な独裁者がのさばらぬよう、市民が年一度、追放したい者の名を陶片(オストラコン)に書くなり刻むなりして投げ込む仕組みだったようです。一定数が集まると、その者は十年間の所払いになったといいます。

 イエスでなくノーの意思表示ですが、投票で民意が示される点、選挙に通じるところがあると思います。無論、現行に近い制度が現れるのは、ずっと後の話。ちゃんとした選挙−納税額や性別による制限がなく、すべての成人に投票の権利が付与される完全な普通選挙となると、二十世紀まで待たねばなりません。世界初のそれは一九一九年のドイツ国民議会選挙だとか。わが国では、終戦直後の四六年四月十日に行われた衆院選が第一号ということになります。

 <敗戦の痛手もしばし忘れたり 花吹雪浴び投票に行く>。評論家樋口恵子さんによれば、のちの津田塾大学長、藤田たきさんは、当日の日記にこんな短歌を記したといいます。ぴかぴかの新品だった完全普通選挙への思い、初めての女性参政権行使に臨む、弾むような気持ちがうかがえます。

 その大事な道具が今、いろいろ傷を負っている印象があります。

 一つは、民主主義の価値観と相いれないはずの権威主義的体制による選挙の「悪用」です。「民主的」を装うカムフラージュにすぎず、不都合な候補者の事前排除、投票の制限など不正が再三指摘されている国も少なくありません。二つめは、選挙の「ハッキング」。二〇一六年の米大統領選では、トランプ陣営に有利に働くようロシアによるネットを通じた世論操作があったとされます。

 三つめは「結果の否定」。代表例はやはりトランプ氏。昨年の大統領選での敗北を今も認めておらず、根拠なく不正があったと主張しています。それが、支持者らによる連邦議会襲撃という前代未聞の騒乱にもつながるのですが、少なからぬ共和党支持者がなお不正を信じているとか。加えて、郵便投票を制限するなど、民主党支持者が多いとされる黒人など人種的少数派の投票機会を減じかねない州法制定の動きも、共和党優勢の州で広がっているようです。

 選挙の土台は多数決の原理であり、ぎりぎり一票差でも勝ちは勝ち、が受け入れられなくては成立しません。つまり、その命は「信用」です。権威主義の悪用もハッキングも根拠のない不正の主張も投票の制限も、すべてはその「信用」に傷をつけるもの。そして、もし選挙が「信用」を失うならば民主主義は成立し得ません。

「信用」を守るために
 わが国では、幸い、大きな不正は聞きませんが、例えば、今度の総選挙が史上初めて衆院議員の任期満了後に行われるのは、新型コロナの感染拡大が落ち着くころに実施したい、という自民党の思惑ゆえだとか。法の抜け道を使い、民主主義の大事な道具を弄(もてあそ)ぶような振る舞いに、選挙の「信用」を尊重する意志は感じられません。

 また、現行の衆院選の制度、小選挙区比例代表並立制にも、「信用」にかかわる問題があります。四割程度の得票率しかない政党が六、七割もの議席を得てしまうような得票率と議席獲得率の乖離(かいり)がその一つ。適切な民意反映ができてこその「信用」でしょう。

 「信用」を下げかねない要因は実は私たち有権者の側にもあります。それは投票率。ここ三回の総選挙の投票率は60%に達していません。もしある政党の得票率が四割なら、全有権者の四人に一人の支持を得ただけの政党が国会の多数を占めてしまう勘定です。

 今、世界では、民主主義が、中国の先導する権威主義から挑戦を受けています。だからこそ、民主主義は、権威主義には逆立ちしても手に入らない道具−公正で、適切な民意反映ができる選挙−の手入れを怠らず、一層磨き上げていくことに傾注すべきなのです。

 オルテガは、冒頭の言葉に続けて、こう書いています。<もし選挙制度が適切で、現実に合致していれば、すべてうまくいく>


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