コージーアンティークの日記

日記や修理・メンテナンス、アンティーク情報などもろもろをご紹介してゆきます。

アンティークとの出会い・・・

2008-03-27 17:26:35 | アンティークディーラーの日常

高校生の私は、よくいる若者と同様、新しいものや機械が大好きだった。

学生の私はお金は無かったが、一年に一度の郵便局の年賀状配達のバイトで得たお金で、オーディオ機器を揃えるのを楽しみにしていた。穴があくほどカタログを読みまわし、カセットデッキひとつ買うにしても、数々のメーカーの製品を比較し、機能の比較も念入りに行っていた。とても楽しい時代だった。

高校卒業を目前に控えた冬の時期、大学進学が決まり、車の免許取得の為の資金を得る為、目白の邸宅街にあるレストランでアルバイトをはじめ、ほどなくして、同じくバイトしていた、就職を控えた学習院大学の4年生と知り合いになった。

学習院の4年生は、大学でジャズ研に属するドラマー。学習院というと皆様もご存知であろう天皇陛下のご子息が通われる、良家のご子息の割合が非常に高いと思うのだが、私が知り合った先輩は、6畳一間の風呂なしアパートに住まう、苦学生だった(笑)

高校時代の私はロック・ギター少年。中学生の頃より洋楽を聞き始めていて、ギターを始めた動機は、『女の子にモテたい!!』といった単純かつ不純な理由から。ざっくばらんな話をするうちに、仲良くなった。

先輩は、私にジャズを教えてくれた。目から鱗だった。ロックでは使わない複雑なコード進行が、ジャズにはあった。

いろいろなレコードを貸してくれたり、高田馬場や新宿にあるジャズ喫茶に連れて行ってもらい、モダンジャズをリクエストした。コーヒーを飲むときもあれば、先輩がキープしてあった安いウィスキーを飲んだりもした。

当時、高校生だった私には、衝撃的な『大人の世界』だった。

その後、先輩は就職の為にバイトをやめ、私は、神奈川県ののどかな田舎町にある大学に入学。迷うことなくジャズ研に入った。

ある日、渋谷の246沿いにあるギター屋を訪れた。


フェンダー社と並んで有名であり老舗のギターメーカー、ギブソン社の1970年代製セミアコースティックギター『ES-335TD』が目に入る。


このギターは、深いブラウンのナチュラル塗装のギターで、木目が美しい70年代製のヴィンテージ・ギター。ジャズ系やフュージョン系のプロのミュージシャンも使っている有名なもの。学生には大金であったが、思い切って、この25万円のギターを10回払いの月賦で購入した。

ギターを購入したそのお店は、いわゆるビンテージ専門店で、100万円以上もする展示されていたギターを見たとき、まだまだ子供だった私は素直にぶっ飛んだし、圧倒された。20数年前の当時、1950年代製のあるギターは、350万円の値札をつけていた(汗)

その後も、このようなヴィンテージ・ショップを訪れ、目は肥えていった。 

アメリカン・ヴィンテージギターとの出会い


今想うと、これが古い物との最初の出会いであったと思う。


ギターを手に入れてから6年後の留学の為渡米。ある夏の日曜日の昼下がり。

スウェーデンからの友達と部屋をシェアする予定で、ロスのハリウッドで待ち合わせをしていた私は、表通りのハリウッド・ブルバードから一本奥へ入った道で、愛車の1979年製『フォード・リンカーン・ベルサイユ』を停めた。

もともとは、透き通ったブルーの車であったようだが、アメリカの強い日差しの下で過ごしてきた私の車は、色褪せていて、塗装がいたるところで剥げていた。この車の色を10人に聞いたら、きっと10人が灰色と答えただろう。

約束のピザ屋へ行き、一時間ほどで戻ってみると、一瞬、自分の目を疑った。車内に積んであったものが見えない。

数分して我に返った。根こそぎ無くなってる、盗難に遭ったんだ、という事を理解した。

後部のガラスが一枚割られて無残だった。警察に届けると、形ばかりの状況見聞を行い、必要であれば書類を準備すると言われた。

このような、車上荒しはロスでは日常茶飯事との事で、警察も手際よく処理した。盗難されたものが見つかる事は、まず無いそうだ。


きっとどこかのPawn Shop(質屋)にでも売られていくのかな・・・。


命まで取られるなくて良かった、と声をかけられたが、やるせなくて受け容れ難い想いだった。



思い出深い私の愛器との別れは、5年ほどの付き合いの後、突然予期せぬ形で訪れた。
高い授業料を払った私であったが、ロスを嫌いになる事は無かった。いろいろと考えてユタ州の大学に戻る事にした。


帰り道のI-15(南北に走る15号線)。カリフォルニアを北上し、ネバダ州ラスベガスを過ぎると、ユタ州に入る。


涙こそ出なかったが、悲しかった。ひとりハンドルを握る私。走りながら、いろいろな事を考えた。考える時間はたっぷりあった。


時速85マイルで走る車の車内には、後部の割れたガラス窓から風が吹き込んでいた。


お金が無かった私は、しばらくの間、ダンボールをガムテープで止めて、風をしのいでいた。

数ヶ月した冬の寒い日。雪の中、車を走らせ、車の窓ガラスを修理した。本当は、安い中古のガラスを入れたくて、ジャンク屋(古くなった動かない車をパーツ販売の為に大量に展示しているお店)を探していたのだけれど、なかなか見つからない。雪深いユタの田舎町は、冬の期間が6ヶ月以上あるので、仕方なく新品のガラスをつけることにした。


以来、アメリカとの縁は深くなるばかり。1930年代のミシンを買い付けたこともあった。昔のミシンは、鉄の塊を削ってつくったような、重たいミシン。『かっこいい~』と一目惚れ。アンティークとの関わりも深まっていった。

あのギターは今どこで誰が使ってるのかな・・・?今でも懐かしい思い出。20代前半の大事な大事なちょっとほろ苦い思い出・・・


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コメント (2)
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