「 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、
わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」
黙示録 3章 20節
教会の外で、戸をたたいてイエスさまが立っておられる状態です。
教会がイエスさまから完全に離れてしまっている状態です。これを「背教」と言うことができます。
信仰から離れて、偽りの教えや、作り話に引き寄せられ、見た目は敬虔なようであるけれども、
その実を否定しているような教会です。使徒たちの手紙には、終わりの時にそのような教会がふえることを預言しています。
しかしここには恵みとして、ともに食事をすることを約束されていますが、これは、主との交わりそのものに他なりません。
当時の食事は、現在のものより、もっと深い意味があります。「食べている人と一つになる」という意味があります。
同じパンから食べ、同じスープから飲むことによって、互いが一つになっていることを象徴しています。
そのために、当時のユダヤ人は異邦人と食事をすることを避けました。
イエスさまは、御霊によって私たちと一つになることを求めておられます。親密な交わりに招いておられます。
さて私たちこの主イエスと共に歩むのですが、私たちの祈りについて次の三つの点にまとめてみました。
その一つは、祈りは、主イエスに私たちの問題の中に入っていただくことであって、神を動かすとか、
神に一方的に訴えるものでもありません。神はその問題をよく知っておられ、私たちが神を迎え入れるように待っておられるのです。
第二の祈りは、主イエスの御名のゆえに聞かれるものです。「あなたが、私の名によって父に求める祈りは何でも、
父が与えてくださるためである」と言われています。
第三は、祈りは信仰生活の武器です。キリストの弟子たちは二つの武器が与えられ、ローマ、ギリシャ、
更に全世界に広がっていきました。それは十字架と復活のキリストであり、今一つは祈りでした。
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