「主を恐れることは、知恵の初め。これを行う人はみな、良い明察を得る。主の誉れは永遠に堅く立つ。」
詩編 111編 10節
小学校の教科書に「三人の目の不自由な人の話」というのがありました。三人の目の不自由な人が動物園に行き象を見学、
一人は象の足を触って、大きな柱のようだと言い、一人は腹を触ったので大きな岩のようだと言い、
もう一人は鼻を触りホースのようだと言いました。
この三人の目の不自由な人が自信をもって言っていることは、象のすべてではありません。
同じように私たちも日常生活において、この目の不自由な人のように一部を触って全てであると考えているのではないでしょうか。
私たちは何事においても自信をもって絶対と言い切ることができるでしょうか。
人間は何も言い切ることができない存在なのです。
聖書は私たちに何を教えているのでしょうか。聖書こそ私たちにどんな困難な時も解決する道を指示しています。
私たちの能力と知恵をはるかに超えた神。その神を畏れることです。神を畏れるということは、
神を信じる、神の教えに従っていくということです。
ヨハネ 6:29 には、
「神が遣わされた者を信じることです。 それこそ、神が望んでおられることです。」とあります。
神が遣わされた主イエス・キリストを信じる信仰、これこそすべての基、いのちのはじめ、知恵の初めです。
神からの賜物である信仰が与えられていることを心を尽くして感謝します。
「 人はどうしたら知恵をみがけましょうか。 それには、神様を信じて従うことです。
そのおきてを守ってこそ、賢くなれるのです。神様を永遠にほめたたえましょう。」 詩編111編10節 リビングバイブル