マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

チャールス・Hスボルジョン

2014年09月26日 | キリスト教

 

私は、わが巌の神に申し上げます。「なぜ、あなたは私をお忘れになったのですか。なぜ私は敵のしいたげに、嘆いて歩くのですか。」

                                                                詩編 42:9

 

主にある愛する方々よ、あなたはこのみ言葉の質問に答えることができますか。なぜこのように繰り返して喜びの代わりに悲しみが訪れるのか、その理由を見出すことができますか。なぜあなたの心がいつまでも暗くふさぎ込んでいるのを。そのままにしておくのですか。夜が朝へと変わることなど決してないと、だれがあなたに告げたのですか。不満の冬はいよいよ寒さが厳しくなり。雪はより深く、さらに激しい絶望の嵐が吹き荒れるだろうと、一体だれがあなたに語ったのですか。

 夜のあとに朝が訪れ、日照りの後には夕立が、冬の後には春と夏が続くことを知らないのですか。希望を持ちなさい。どんなときにも希望を持ちなさい、神は決してあなたを見捨てることはないのですから。

 感謝。主は私の只中に居られることを知りました。

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神にしか

2014年09月19日 | キリスト教

「 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。」

                                     コリント人への手紙 第一 1 章 25 節

 「 主よ、変えられないものを、受け入れる心の静けさと、変えられるものを、変える勇気と、その両者を見分ける英知を、私にお与えください。 」
  

                            これは,二十世紀のアメリカの神学者、ラインホールド・ニーバーが唱えた祈りです。

私たちが日々遭遇する出来事の中には、いくら努力しても変えられないこともあれば、努力さえすれば、変えていけることもあります。

この祈りは、前者を受け入れる「 心の静けさ 」と、後者に毅然と立ち向かっていく 「 勇気 」 と、

その両者を見分ける「 英知 」を神に願っているものです。

私たちも、毎日の生活の中で、心静かに受け入れるべきものと、勇気を持って変えてゆくべきものとを見分けをつけてくれる、真の知恵を神に祈り求めたいものです。
 

出来ない、そして、失望し恐れがやって来る。恐れることはどこからやって来るのか。人のことは人が、神のことは神が ・・・!! 

ヨハネの福音書 11章 38~44 を見て下さい。

そこには石を取り除け、包帯を取り去るのは私たちの仕事、ラザロを生き返らせるのは神の仕事と記されています。 

このことを取り間違えますと、思い煩いとなり、悩みの嵐があなたを襲ってくるのです。

神にしか出来ないことと、あなたにしか出来ないことを、よく知ることが出来ますように。

 

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それだけ

2014年09月12日 | 聖書

「 ですから、私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、

ひとりもいないようにしようではありませんか。」

                                                  ヘブル 4:11

必要な荷物は、沢山は必要はありません。唯一つ、信じるだけ。そう、それだけ。
 
何かあっけないなと思われますが、それだけ、ただ信じるだけ。
 
沢山の荷物を背負って歩くら辛さを知る必要はないのです。信仰においてですが。
 
しかし、信仰の成長に関しては、特に新生と言う 聖化についてはそうではありません。
 
ありのままで救われましが、しかし、主はそのままでよいとは言われませんでした。

聖化、新生のためには。自身が変わる辛さを体験しなければなりません、
 
自我を殺すほど辛いものはないことを知る事が出来れば感謝です。
 
ただ、この時も、主の御手の助けがありました。感謝。
 
 
よく気をつけて、私たちの労苦の実をだいなしにすることなく、豊かな報いを受けるようになりなさい。」
          
                                                  Ⅱヨハ  1:8
 
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どっち‥ ?

2014年09月05日 | 聖書

「もし、私が、きょう、あなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令に聞き従うなら、祝福を、

もし、あなたがたの神、主の命令に聞き従わず、私が、きょう、あなたがたに命じる道から離れ、

あなたがたの知らなかったほかの神々に従って行くなら、のろいを与える。」

                                 申命記 11:27 ~28

彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、「確かに、主の前で油をそそがれる者だ」と思った。

サムエルの人間的な勝手な判断、
 私たちも、陥り易い罠、知識と経験が、また自分の思い込みによって霊を曇らせる。

主は三節で 「 あなたはわたしのために、わたしが言う人に油をそそげ。」と命じられています、

このところでは、「 この人に油を注げ 」 と言われていないのに、サムエルは勝手に自分の考えで判断してしまった。

神に先立って、自分の考えで判断することが間違いの最大の原因です。

サムエルのような霊的預言者であっても、自分の考えに頼りやすいのですから、

ましてや私たちはもっと、自分の考えに捕らわれやすいのも当然かもしれません。

先走りしないために、また自分の判断に頼らないためのみ言葉。

 詩篇 16 : 8    私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。

 「 いつも 」 「 前に 」 「 置いた 」が、キーワード 。だからゆるぐことはないのです。

 箴言 3: 5    心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。

 人の知恵とは、何と空しいものか。何と当てにならないものか。

私の中心は、私ではなくイエスを中心にするために、み言葉と祈りに立つことが神の栄光を現す道。

 

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