「 主の恵みの年を告げるためである。」
ルカの福音書 4章 19節
「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、
あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。」 ヘブル 4:15
しかし、キリスト・イエスが味わなかった苦しみが一つあったと思います。それは、「 老い 」のわびしさ、辛さです。
それは三十三歳でご自分の国へ ( 人間的には死なれたということ ) 帰られたからです。
私の知識が足りないのかもしれませんが、聖書をよく開いても、特に年老いたものに示された
主イエス・キリストの優しさというものが見当たりませんでした。
ただ一か所、老いについて主イエス・キリストが言及しているところがあります。それは主がペテロに行ったところです。
「あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、
他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」 ヨハネ 21:18
私たちひとり一人に、やがて「老い」という十字架につけられることを示し、思いのままにならない生活を強いられれ、
行きたくないところに連れていかれるように、自由が奪われることを示したものと言えます。
しかし、主イエス・キリストの優しさは、そのすぐ後に続く言葉によって表されています。
「私に従ってきなさい」と。この主イエス・キリストと共に歩む人生は大きなこと小さなこと色々とありますが。
ただ言えるのはこのお方と共に過ごす人生は恵みに満ちていると言うことなのです。
聖書から
イザヤ 46:4
「 同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。
わたしが担い、背負い、救い出す。」
エレミヤ 15:20
「 ・・・・ 。わたしがあなたと共にいて助け/あなたを救い出す、と主は言われる。」