マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

私に従ってきなさい

2016年08月26日 | キリスト教

主の恵みの年を告げるためである。」 

                           ルカの福音書 4章 19節

 

「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、

あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。」 ヘブル 4:15

しかし、キリスト・イエスが味わなかった苦しみが一つあったと思います。それは、「 老い 」のわびしさ、辛さです。

それは三十三歳でご自分の国へ ( 人間的には死なれたということ ) 帰られたからです。

私の知識が足りないのかもしれませんが、聖書をよく開いても、特に年老いたものに示された

主イエス・キリストの優しさというものが見当たりませんでした。

ただ一か所、老いについて主イエス・キリストが言及しているところがあります。それは主がペテロに行ったところです。

「あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、

他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」 ヨハネ  21:18

私たちひとり一人に、やがて「老い」という十字架につけられることを示し、思いのままにならない生活を強いられれ、

行きたくないところに連れていかれるように、自由が奪われることを示したものと言えます。

しかし、主イエス・キリストの優しさは、そのすぐ後に続く言葉によって表されています。

「私に従ってきなさい」と。この主イエス・キリストと共に歩む人生は大きなこと小さなこと色々とありますが。

ただ言えるのはこのお方と共に過ごす人生は恵みに満ちていると言うことなのです。

聖書から

イザヤ 46:4

「 同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。

わたしが担い、背負い、救い出す。」

エレミヤ 15:20

「 ・・・・ 。わたしがあなたと共にいて助け/あなたを救い出す、と主は言われる。」

 

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神が信頼している

2016年08月19日 | キリスト教

「 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。

              だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

                                      ルカの福音書 22章 32節

まず最初に、キリストを信じたときから試練は必ず起きる ( この人生においても、試練というものはありますが、

この主を信じたときから起きる試練とは大分異なります。) ここでは、試練がなくなりますようにとは祈らずに、

信仰がなくならないようにと祈られています。またふるいにかけられて益々純粋に磨かれていくのです。

それも主の恵みによってです。

 この箇所は、イエスがご自分の受難を予告された時、メシアとしての使命の完成がどのような結末になるかを、

つかめていないペテロに言われた言葉です。この後自分に背くことを知りながらも、改心した後のペテロを信頼して、

兄弟の面倒を頼まれるイエスのペテロへの、心の温かさがにじんでいます。

そのことは、現代の私たちへの信頼を込めた愛の励ましでもあります。また、イエスがご自分を裏切るものを完全に

赦す愛の深さの開示ともいえるでしょう。

イエスは遺言として、ヨハネ福音書 13章 34で 

「・・・。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」 と言われました。

私たちも好きな人、気の合う人が愛し合うだけではなく、気の合わぬ人、裏切る人をも許し愛する、

キリストの道を歩けるように努めたい。

聖書から

ルカ 22:31

「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。」


Ⅰペテロ 1:7

「信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、

     イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。」


ヘブル  11:6

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、

       神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」 

 

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救われるのです

2016年08月12日 | キリスト教

「 実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。 」

                                      ローマ 10章 10節

 

言葉は心の産物です。心にあることが、口の言葉に出るのですから、根本問題は心にあります。

しかし、心と言葉が対立して、心の通りに言葉が出ないことがあります。心の底では

「 自分が悪い。神にお詫びをして、神の言われるとおりにしよう。頼ろう、信じよう、従おう 」 と思うのに、

口に出てきません。そこで、うやむやで割り切れないままに、暗闇を歩き続けるのです。

この聖句は「実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。」と語られています。

信仰+告白=私たちの姿勢です。それは証しとして、自分がどちら側にいるのかを明確に宣言すると言うことです。

「 私を呼べ。私はあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる 」 

と言われる神に祈る一言が、新しい人生の糸口になるのではないでしょうか。

聖書から

エレミヤ 33:2 ~3

「地を造られた主、それを形造って確立させた主、その名は主である方がこう仰せられる。わたしを呼べ。

そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」

へブル 11:6

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、

神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」

ヤコブ  5:16

「だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。…・・・ 。」

 

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必ず現れるのです

2016年08月05日 | キリスト教


 天の果てを出で立ち/天の果てを目指して行く。その熱から隠れうるものはない。

                                        詩編 19編 7節

「 天然(自然界)と律法とは、共にあい矛盾するものではない。」  内村鑑三

神の創造された自然の代表として、太陽の姿が、ほんとうに生き生きと描写されています。

この太陽はまた、愛と恵みと力といのちそりものを象徴しているのではないでしょうか

第一に、

当然のように思われますが、当然と考えるにはあまりにも不思議です。

朝になると必ず太陽が昇るように神の恵みは必ず現れるのです。

第二に、

神は太陽のように公平なお方です。よい人の上にも悪い人の上にも太陽が輝くように

神は私のような罪人の上にも挫折した者の上にも輝き悔い改めて信じる者を救われるのです。

第三に、

神は太陽のように罪の暗闇を追い払い、人間のむなしさ、悲しさを癒してくださいます。

「私の名を畏れるあなた方には、義の太陽が昇り、その翼には、癒しがある。」

 

聖書から少し

詩編 84:11

「まことに、神なる主は太陽です。盾です。主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。」

マタイ 5:45

「… 天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。 」

ネヘミヤ  9:31

「… 、あなたは大いなるあわれみをかけて、彼らを滅ぼし尽くさず、彼らを捨てられませんでした。

あなたは、情け深く、あわれみ深い神であられますから。」

 

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