「 ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、
天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」
使徒の働き 4章 12節
「 宗論はどちらが勝っても釈迦の恥 」 江戸川柳 より
「 可能であれば平和を、しかしどんな犠牲があろうとも真理を 」 ルター
ここまで徹底的に、真理をそのまま伝えている言葉がないと言ってもいいほどです。大胆というのは、こういうことです。
権威や圧力から自由にされて、真実に、良心をもって神に仕えることのできる自由です。
私にたとえ知識が無くとも、教理を知らずとも、主は私の神である事には変わりがない。
神が私の神になってくださったという、このことこそが私たちの恵みであり、喜びの基盤です。
この世には救い主だと自認するお方が多くおられますが、ただ、十字架にかかり甦られた主が、私の主。このお方のみが私を満たし恵まれる、
この方を喜びたい。この方に感謝を差し上げたい。私の全てを捧げたい。
生ける神の一人子、主キリスト・イエスへ。ただこのお方に。栄光あれ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます