マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

良しとされた。

2016年02月26日 | 聖書

「 神はその光をよしと見られた。そして神はこの光とやみとを区別された。

   神は、この光を昼と名づけ、このやみを夜と名づけられた。こうして夕があり、朝があった。第一日。 」

                                             創世記 1章 4節 ~ 5節


「それを見て、神様は大いに満足し、光とやみとを区別しました。 しばらくのあいだ光はそのまま輝き続け、やがて、

もう一度やみに閉ざされました。 神様は光を「 昼 」、やみを「 夜 」と名づけました。 昼と夜ができて、一日目は終わりです。 」              

                                            創世記 1章 4節 ~ 5節    リビングバイブル

 

最初に、人間にとって 「光」 は不可欠なものです。「闇」 に覆われた地に光を創造することにより、神は人間が住むための備え

をされた、このことからここでの光とは、神ご自身ではなく、神によって創られたものだということが分かります。多くの宗教は、

そのものを神として礼拝しますが、聖書は、光は神によって造られたので、神によって支配されていることを知らせています。

 

さて。神は昼を良しとされましたが、闇を良しとはされませんでした。闇は、光を離れて自分を失うのです。

しかし、神は闇を夜と名づけられました。闇が神の御手の中で、使命を与えられたことに他ならない。

夜は、人間が働くことができず、神の働きに任せ、疲れを休め、神を信頼するときでもあります。

「 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」 

「  光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。 」  どちらもヨハネの福音書の1章 5節です。

このことを忘れる人は、神の恵みの意味を本当には理解できないでしょう。

 

( 堕落以前には、「 闇 」 とは、悪的な要素はありませんでした。堕落以後に、この闇は悪しきものとなった。)

 

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恵みを示す方。

2016年02月19日 | キリスト教

 「 恵みを示す者があろうかと、多くの人は問います。主よ、わたしたちに御顔の光を向けてください。」

                                                 詩編 4編 7節

 

祝福、恵み、平安に満ちた人生の秘訣は、神の光の中を歩むことです。

私たち人間は、神の光の届かない暗闇の中に人間の自由があり、楽しみがあると考えています。しかし、ダビデは、

神の光の届かない自我の暗闇の中のとんでもない経験をしました。ダビデのような大人物でさえ、姦と殺人の罪に陥り、

辱めの極限と魂の苦しみを経験したのです。そして、ダビデは祈るのです。「 神さま照らしてください、神さま、あなたの光の中に、

今日も歩ませてください 」 と。罪のはかない楽しみ、エゴの自由を求めると神から隠れたい、暗闇の中に歩みたいと

思うようになるのです。しかし、本当の光輝く、力強い、喜びに満ちた人生を歩こうと思うなら、光の中を歩むべきです。

光だけが、人生から暗闇を追い出すことができるからです。

聖書から少し

「 悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。」  ヨハ ネ 3:20

「 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、/我らの歩みを平和の道に導く。」    ルカ 1:79

「 わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」   ヨハネ  8:12

 

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神にある平安

2016年02月12日 | キリスト教

「 わたしはまたその地に平和を与える。あなたがたはだれにも悩まされずに寝る。

    わたしはまた悪い獣をその国から除く。剣があなたがたの国を通り過ぎることはない。 」

                                             レビ記 26章 6節

 

古代ローマの人々の間では 「 汝が平和を欲するなら、戦争の備えをせよ 」 ということわざが、しきりに語られ、実際に

地中海にまたがる一大軍事帝国を建設しました。世界中の国々も同じようにしていたのですが、それによっては平和は生まれな

かったのです。

このことは現代の国々にも言えることではないでしょうか。力さえあればと、また、抑止力として他の武器を持つことによって

自国の平和を維持しょうとしています。この平和は、自分だけという平和という上に成り立っています。

 ところがこのレビ記では、「 もし、あなたがたがわたしのおきてに従って歩み、わたしの命令を守り、それらを行なうなら

わたしはその季節にしたがってあなたがたに雨を与え、地は産物を出し、畑の木々はその実を結び、 あなたがたの麦打ちは、

ぶどうの取り入れ時まで続き、ぶどうの取り入れ時は、種蒔きの時まで続く。あなたがたは満ち足りるまでパンを食べ、

安らかにあなたがたの地に住む。 」    レビ 26:3 ~ 5  とあります。

すなわち、神のみ言葉に従うとき、神は雨を与えて地は産物を出し、また国に平和を与えるので、恐れさすものはないというのです。

だから、神の言葉に従うよりも、衣食住の問題について思い煩ったり、どこかの国が攻めてくるのではないかと恐れて、

戦争の準備に心奪われるなら、本末転倒ではないしょうか。

聖書から少し

「神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。 」  詩編 1:6

「神に従う人は七度倒れても起き上がる。神に逆らう者は災難に遭えばつまずく。」 箴言 24:16

「神に従う者の行く道は平らです。あなたは神に従う者の道をまっすぐにされる。 」  イザヤ 26:7

「 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。 だから、明日のこと

まで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」  マタイ  6:33~34

 

 

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神の口から

2016年02月05日 | キリスト教


「 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」

                                                 マタイの福音書 4章 4節

身体は衣食住で満たされ、心は知識や愛情で満たされますが。人間が衣食住や愛情だけで満たされれないのは、

心の奥底に 「 神の口から出る一つひとつの言葉でなければ満たされない霊がある 」 からだと言っています。

確かに人間は動物とは全く異なり、神と交わることの出来る霊を持っている霊的存在です。

このことを忘れて、人の心に満足がないのは当然だと思います。私たちが真に求めるべきものは、

神の口から出る一つひとつのみ言葉です。

聖書から少し

「それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。

それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、

ということを、あなたにわからせるためであった。 」   申命記  8:3  

「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。 」

                                     マタイ 6:33

ですから。

「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。 」マタイ  6:34

                       ここに来られたあなたに平安がありますように。シャローム

 

 

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