マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

ゆるしなさい

2016年01月29日 | キリスト教


 イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。」

                                             マタイの福音書 18章 22節

 

人が和を持って生きていくために大事なこととは 「 人が赦されるためには、ゆるさなければならない 」 と言う事です。

また、神の赦しと人のゆるしは切り離すことはできない、それは愛される資格のない者が大きな神の愛を受けたからです。

さて、私たちの持っている能力や性格は、それぞれに様々です。聖書によれば、それはみんな神からのプレゼントです、

神が世界を創造したとき、「 全てのものは極めてよかった 」 と旧約聖書の創世記に書かれています。

もともと良いものを、悪くしてしまうのは私たち人間の見方や考え方が間違いやすいからではないでしょうか。

他人との関係や社会の約束事の中では短所と思われていることが、本当は、私たちが生きていくためにはなくてはならない

大切な性格や能力であることが多いのです。

その社会的には、「 短所 」 と見られがちな事柄を 「 長所 」 とするのは、本人の謙虚さと、どんな小さな人々をも

慈しみの眼差して見守ってくださる神のような愛の豊かさに生きようと努力する人々の広い心ではないでしょうか。

 

聖書から

「あわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。

                  あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです。 」    ヤコブ 2:13

「 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。

しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。」  マタイ  6:14 ~15

「 あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。」   マタイ 5:7

 

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神は笑い

2016年01月22日 | キリスト教

「  天の御座に着いておられる方は笑う。主はその者どもをあざけられる。
      ここに主は、怒りをもって彼らに告げ、燃える怒りで彼らを恐れおののかせる。 」  詩編 2編 4~5

 

神を無視して動く人間の姿を、神は笑い、あざけられ、怒っておられると、詩編では歌われています。

やがてやって来る地震で地が裂けるとき、すべての王も国民も、その裂け目に吸い込まれます。

全世界が氷で閉ざされ、やがてその氷が溶けるとき、人間はどうなるのでしょう。

今世界中の学者、文学者、預言者、占い師が言っていること、描いていることは、みんな、神の前の人間の無力さ

にほかなりません。神が人間の歴史にピリオドを打たれるのです。

私たちは、神こそ、天上で人類の歴史を支配していることを悟るべきです。

神は笑い、あざけり、怒るだけの神ではありません。聖書が私たちに告げるメッセージは、神は愛であり、

この混乱した人類を救う救い主です。そのメッセージは、預言者を通し、多くの部分に分けられ、

いろいろの方法で語られました。

 

聖書から

「 主は彼を笑われる。彼の日が迫っているのをご覧になるから。」  詩編 37:13

「 しかし主よ。あなたは、彼らを笑い、すべての国々を、あざけられます 」    詩編 59:8 

「 わたしが呼んだのに、あなたがたは拒んだ。わたしは手を伸べたが、顧みる者はない。
あなたがたはわたしのすべての忠告を無視し、わたしの叱責を受け入れなかった。
それで、わたしも、あなたがたが災難に会うときに笑い、あなたがたを恐怖が襲うとき、あざけろう」 箴言 1:24 ~26

「 まことに主は、イスラエルの家にこう仰せられる。「わたしを求めて生きよ。」  アモス 5:4

 

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良いことでした

2016年01月15日 | 聖書


「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。  」   新改訳  詩編 119編 71節

「卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたの掟を学ぶようになりました。」  共同訳  詩編 119編 71節

 

万物の成長を止める冬こそ、土壌にとっては安息の時であり、

その間に来年の目覚ましい活躍のための復活の力が蓄積されるのです。実に行き届いた神の愛の配慮ではないでしょうか。

私たちはこの寒い冬の中にあっても、尚その中に秘められた神の愛のみ心を悟って、この寒い冬の為にも感謝することを学びたい。

 ところで自然界に冬が来るだけではなく、私たちの人生にも冬があります。時には花咲く順調な春もあるでしょう。

あるいは額に汗して労する勤労の夏もあるでしょう。成功の実を楽しむ収穫の秋もあるでしょう。しかし

また日の光さえ見えない逆境の冬も何回となく回ってくるのです。自然界に冬を与え、草木のために配慮して。

人間のために最善の取り計らいをしてくださる神は逆境の中にも、必ず恵みを備えてくださると言う事を学びたいものです。

 

聖書から

「 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、

 私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。 」      新改訳  ヘブル 12:10

 

「 肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父はわたしたちの益となるように、

御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。 」     共同訳   ヘブル 12:10

 

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2016年01月08日 | キリスト教

                         足跡(Footprints) より : 作者  マーガレット・F・パワーズ

 ある夜、彼は夢を見た。それは主とともに海岸を歩いている夢だった。その時彼の人生が走馬灯のように空を横切った。

その場面場面で彼は砂浜に二組の足跡があることに気がついた。ひとつは主のもの、そしてもうひとつは自分のものであった。

 そして最後のシーンが現れた時、彼は砂浜の足跡を振り返って見た。すると彼が歩んできた今までの道の多くの時に、

たったひとつの足跡しかないことに気がついた。そしてそれはまた彼の人生で最も困難で悲しみに打ちひしがれている

ときのものであることに気づかされた。

彼はこのことでひどく悩み、主に尋ねた。「主よ、かつて私があなたに従うと決心した時、あなたはどんな時も

私とともに歩んでくださると約束されたではありませんか。でも私の人生で最も苦しかった時、

ひとつの足跡しかありません。私が最もあなたを必要としていた時、どうしてあなたは私を置き去りにされたのですか?

私には理解できません。」

 

主は答えられた。「私の高価で尊い子よ、私はあなたを愛している。決して見捨てたりはしない。

あなたが試練や苦しみの中にあった時、たった一組しか足跡がなかったのは私があなたを携え歩いていたからです。」

 

「 … 。あなたの神、主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」申命記 31:6

「… 。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」  マタイ 28:20

 

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この一年も

2016年01月01日 | キリスト教

「 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、

               見えないものはいつまでも続くからです。」           Ⅱコリント 4章 18節

 

ノルウェーの詩人ボルグは「 お金 」 という詩でこのように言っています。

食物はお金で買えるが、食欲は買えない。

薬はお金で買えるが、健康は買えない。

寝台はお金で買えるが、睡眠は買えない。

化粧品はお金で買えるが、美しさは買えない。

別荘はお金で買えるが、心地よさは買えない。

快楽はお金で買えるが、喜びは買えない。

友達はお金で得られても、友情は得られない。

使用人はお金で得られても、忠実さは得られない。

静かな日々はおお金で得られても、平安は得られない。

よく考えてみますと。お金で買えないものはみな、無代価で与えられる神からの贈り物です。

私たちのこの目は何を見、そこから何を得ることを願うのでしょう。

聖書から少し

「そこで、イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。

それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」    ヨハネ 9:39

「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。

   目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。」      Ⅰヨハネ 4:20

 

 

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