goo blog サービス終了のお知らせ 

マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

主は私の中に

2025年06月14日 | 日記

「私は、わが巌の神に申し上げます。「なぜ、あなたは私をお忘れになったのですか。

           なぜ私は敵のしいたげに、嘆いて歩くのですか。」

                               詩編 42編 9節
 

主にある愛する方々よ、あなたはこのみ言葉の質問に答えることができますか。

なぜこのように繰り返して喜びの代わりに悲しみが訪れるのか、その理由を見出すことができますか。

なぜあなたの心がいつまでも暗くふさぎ込んでいるのを。そのままにしておくのですか。

夜が朝へと変わることなど決してないと、だれがあなたに告げたのですか。

不満の冬はいよいよ寒さが厳しくなり。雪はより深く、さらに激しい絶望の嵐が吹き荒れるだろうと、

一体だれがあなたに語ったのですか。

 

夜のあとに朝が訪れ、日照りの後には夕立が、冬の後には春と夏が続くことを知らないのですか。

希望を持ちなさい。どんなときにも希望を持ちなさい、神は決してあなたを見捨てることはないのですから。

感謝。主は私の只中に居られることを知りました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

期待の約束

2025年04月04日 | 日記

 

「彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死なく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」

                                           ヨハネの黙示録 21章 4節

 

究極の慰めが、新しいエルサレムにおいて与えられます。

私たちがこの地上に生まれてくるときから持っている矛盾、つまり生まれてきたのに、死ななければいけないという矛盾の中で、私たちは悲しみ、叫び、苦しみます。

イエスさまが、ラザロの死を悼むマリヤの姿を見て、涙を流され、憤られましたが、それは死が人類に対して、どうすることもできない叫びと悲しみをもたらすからです。

けれども、イエスさまが死に打ち勝たれて、打ち勝たれただけではなく、最後にはこのように死そのものが滅び去るのです


そこであなたに 神がともにおられるという 慰めの讃美をお贈りします

 

「 なぜ 」
         作詞    津村 とみえ  ・   作曲    大本 きよし
                      
    1  なぜ  うつむいているの  寂しい顔をして  いつしょに行きませんか  イエス様のそばに
       

         ※  知ってください あなたのために  十字架負われた イエス様の愛を
   

    2   なぜ  泣いているの  いっぱい涙をためて  いっしょに歌いませんか  イエス様をたたえて

                    ※        折り返し

    3   なぜ  嘆いているの  心を痛めて いっしょに祈りませんか  イエス様を信じて
        
                    ※        折り返し

          すべのクリスチャンの願いです。まだ主がよく分からないという、あなたへ贈ります。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あなたの心はどっち

2024年08月02日 | 日記

「  私はあなたの仰せの道を走ります。あなたが、私の心を広くしてくださるからです。」

                                    詩編 119 編 32節

私たちは 「 広い心 」 を持っいるでしょうか。それとも 「 狭い心 」 を持っているでしょうか。

「 広い世間を狭くして渡る 」 という言葉がありますが、今日は、狭い心とは何かを考えてみましょう。

第一に、それは劣等感で狭くなった心です。劣等感とは、実際のところ何の関係もなく、自分が劣っているとか、

無価値だとか、生きていく自信がないという感情です。

そこから始まる、自己嫌悪、自己否定になってしまうという感情です。要は、自分と何かまたは誰かとを比較する

所にあります。しかし聖書の神はそうは言っておられないのです。それどころかあなたは素晴らしいと言われるのです。

 

有るすばらしい働きをし、多くの人々に手助けをして助け。人々から本当に尊敬を受けている人がおられました。

そのひとは、おじいさんから背負わされた悪い病気のため、苦しみ、猛烈な劣等感に捕らわれて、世間を最高に狭く

渡る人でした。

第二に、エゴイズムで狭くなった心があります。それは自己中心という神の嫌われる性質のことです。

ともかく自分がみんなの中心でなければならない、そのために人々を押しのけ受け入れないという人のことです。

 

では広い心とはどんなものでしょうか。第一に、人も自分もありのままに受け入れ愛する心です。

第二に、人をもてなし人のお世話をする、神と人とのために生きる心です。先ほど紹介した人は、ある時近所で開かれた、

キリスト教の伝道集会に出てみました。あまり期待もせずに、人目を忍んではいった集会、それが祝福への門でした。

神はこのかたを受け入れて下さり、この人の心を広くしてくださいました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あきらめないで

2024年05月17日 | 日記

「 いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。」

                                   ルカの福音書  18章 1節


私たちの主イエスは、いつでも、どんな時でも絶えず祈れるように、たとえを用いて話されました。

「絶えず」「いつも」という表現はこの当時画期的な表現でした。

 

当時のユダヤ教では、「 神を絶えざる祈りで煩わせるな、一日三回より多く祈るべきでない」と教えていた。


神を畏れず( 恐れず ) 人を人とも思わない裁判官のところに、非力な貧しいやもめが助けを求めてやってきました。

 

あまりにひつこく訴えるので、煩わしくなって、その訴えを聞き入れたというのです。


「まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、

彼らをいつまでもほっておかれることがあろうか」とイエスは言っています。


私たちはどんな問題でも神のところへ携えて行き、祈り続けなければなりません、それは確信と期待を持った信仰の祈りなのです。

私たちは絶えず祈り続ける者ですが祈りが応えられる時と方法、その結果については神にお任せしなくてはなりません。

それは神が一番良いときに、最善の方法で答えてくださることを信じるからです。祈りを通して自分の問題を理解し整理し、

神にそれらの問題の中に介入していただくのです。


「 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」  伝道者の書 3:11


信仰のない祈りとは、

マタイ 6:7
「 祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。」         
     

私たちはこの世において、失望させるようなことが多く出てきます。希望をなくさせるような出来事が起こります。

でも、失望しないように祈りなさい、神を信じる者は決して失望に終わりません、と、イエスは教えられるのです。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近くにおられた神

2024年01月18日 | 日記

 
「 主よ。なぜ、あなたは遠く離れてお立ちなのですか。苦しみのときに、なぜ、身を隠されるのですか。」

                                詩編 10編 1節

見ず知らずの道でも。

寂しい道でも

人目につかない場所でも、

ひとりで歩いているのではない、

あなたの足跡が近くにあるから。

たとえ 今 苦しみと虐げの只中であっても神は見ておられる


虐げにあうとき、苦しむとき、私たちは、主の御名という砦があります。頼るところがあります。

「 虐待された人々はみな、主のもとに来ます。 主は苦しんでいる人々の隠れ家です。」

                                  詩編 9:9

 

神を見ることができなかったら、

話しかけてみよう。

神が見えなくとも、

そこにおられることがわかっているように語りかけてみよう。

必ずこたえが聞こえてくるはず。

 


「 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。

わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」  ヨハネ 14:3
       

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする