マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

わが贖い主よ

2022年07月29日 | キリスト教

 どうか、わたしの口の言葉が御旨にかない/心の思いが御前に置かれますように。

          主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ。

                       詩篇 19扁 15節
 
ユダヤの人々が贖い主と言う時は、自分が窮地に陥り、全財産を失い、

自分の身まで奴隷として売り渡さなければならないような時、

犠牲を払ってまで買い戻し、助けてくれる親戚のことです。

わたしたちにとっては、いのちを投げ出し、全身の血を流し切って、

滅びから、さばきから救って下さる主イエス・キリストこそ贖い主です。

そんな贖い主に、「私はこんなことをしました。認めてください」と

まるで商取引のようには祈りません。私たちには差し出すものが何もなく、

み前に祈る祈りの言葉をお受けくださいと祈るばかりです。

心の底から湧き上がる信頼、願い、感謝と礼拝の思いとことばだけしかありません、

しかし、神はどんな供え物にも勝って、へりくだった信頼と祈りを受けて下さるのではないでしょうか。


これを私たちの祈りにしたいと思います。自分が発する言葉において、

主に受け入れられるものであるように。また、心の思いが受け入れられたものでありますように。

 

 

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共に悲しみ。

2022年07月22日 | キリスト教

彼らの苦難を常に御自分の苦難とし/御前に仕える御使いによって彼らを救い/

  愛と憐れみをもって彼らを贖い/昔から常に/彼らを負い、彼らを担ってくださった。

                             イザヤ 63章 9節

私たちの悩み悲しみ、苦しみを神は無視されるのではなく、ここの約束は、共に悩み悲しみ、

苦しんでくださっているというのです。

神、自ら私たちのこの思いと心の中に入って下さり。

共に涙を流し、理解してくださるのです。さらにこの世の神の奴隷あり、欲望の奴隷になって自分を見失っている私を、

神は尊い御子の血潮にてこの世の神から贖いだし主に在る自由の世界に置いていてくださいました。

 

私たちを遠くから眺めて、苦しんでいる私たちに教訓を与えるような方ではなく、

いっしょに苦しみを感じてくださっているのです。


ヘブル 4:15 
この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、

あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。

 

 

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自由とは

2022年07月08日 | キリスト教

もしあなたがたが、聖書に従って、「隣人を自分のように愛しなさい」

    という最も尊い律法を実行しているのなら、それは結構なことです。

                     ヤコブ 2章 8節

大事なのは、「最高 ( 尊い) の律法」と訳されているところです。

これは、「王の律法」と訳すことのできるものです。

栄光の主イエス・キリストの律法でありますから、王なるキリストの律法ということです。

つまり、これは王権をともなった、絶対権威のある、畏れ多い律法であるということです。

この律法に違反する者なら、それ相当の罰が伴うというものであります。私たちは、キリストの御国にいます。

そして、王なるキリストが与えられている掟の中に生きており、それがこの隣人を愛するという掟なのです。

 

神は人をご自分の姿にかたどって創り、その上自由意志というものをお与えになりました。

そして、人は神に逆らうことを覚え、そのために、自分自身を滅ぼすことさえできるようになりました。

これは一つの大きな謎と言えるのでは、現代の私たちの目の前で見られるいろいろな現象はこの謎の恐ろしい一面です。

しかし人はまた他方で、この自由意志のために、自ら進んで神に仕え、隣人のために尽くし、

永遠の救いを勝ち取ることもできるのです。なんと大きな違い、ギャブでしょう。

神からいただいた「自由」を自由に使いこなすことは悪いことではないが、

一致、真理、そして隣人への愛のために自らの自由を放棄することができれば、

これこそが自由の最も素晴らしい使い方ではないでしょうか。

 

レビ記 19 章 18 節
あなたはあだを返してはならない。あなたの民の人々に恨みをいだいてはならない。

あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。わたしは主である。

 

 

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侮れば。

2022年07月01日 | キリスト教

「 神に逆らう者は高慢で神を求めず/何事も神を無視してたくらむ。」

                  詩篇 10扁 4節

「罪を認めて悔い改めよ」と叫ぶエレミヤを人々は嘲笑し、しかもエレミヤが語る滅亡預言は成就しない。

悪がますます栄える現実の中で、エレミヤは神に叫ぶ。

神の不在経験によってもたらされるリアリティは、私たちの神に対する幻想が打ち砕かれて、

神に対する真の信仰を強めてくれることにあります。神の沈黙が、神の不在が、

神と私たちとの関係を浅瀬から深みへと導いてくれるのです。目にする現実に、心が落ち込んでしまうのではなく、

私たちがそれまで持っていた神に対する幻想から解放されて、柔軟にされることで、内なる暗闇から抜け出す経験をするのです。

神の不在を個人的に経験することで、結局は、私たちが神の臨在をより強く、より深く味わうように導かれる

・・・ここに神の不在経験の隠された意義があると思います。

 

また、これが聖書の定義による高慢です。「神はいない」という考え、また神を尋ね求めようとしない心です。

神を全く介することをしない、高慢な心の表れです。神はいないとする者たちが、それとなく幸せに暮らしています。

それで、自分はこのように長らく幸せに暮らすのだ、災いは来ないと豪語している姿です。

私はここに、日本の姿をみます。自分たちだけでできる、そして日本はこれからも豊かに暮らしていけるであろうというものです。

今の楽しみだけで生きているので、そうした夢想のような、幻想のような世界で生きることができています。

日本人は高慢な民族だと言いました。ここで使われている意味で言ったのだと思います。

一見、まじめで人によくする人でも、神のことを求め、考えることについては意に介さないことが多いです。

 

エレミヤ12:1-2 
「正しいのは、主よ、あなたです。それでも、私はあなたと争い、裁きについて論じたい。

なぜ、神に逆らう者の道は栄え、欺く者は皆、安穏に過ごしているのですか。あなたが彼らを植えられたので、

彼らは根を張り、育って実を結んでいます。口先ではあなたに近く、腹ではあなたから遠いのです」。

ローマ 1:20
「神の目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神聖は世界の創造されたときからこのかた、

被造物によって知られはっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」

 

 

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