マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

奴隷に

2021年05月28日 | キリスト教

「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。

                    あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」

                      マタイ 6章24節

 

私たちはクリスチャンになるにあたって、神の奴隷になるか、お金の奴隷になるかの決断をしなければなりません。

「お金もたくさんためて、それでクリスチャンとして生きれば、なんと素晴らしい人生が送れるのだろうか。」というのは不可能なのです。

自分は主のしもべであることのはっきりとした決断をして、自分に与えられている財産はすべて神のものであるという認識に立ち、

いかにしてこれを神を愛するために用いていくことができるのかを考えるべきです。

 

金銭(富)は、私たちが神に仕えていないかぎり、私たちを神のように支配することになります。

金銭(富)を使っているのではなく、金銭(富)に使われてしまうのです。自分が金を管理しているのではなく、

金が自分を支配するのです。そこから脱却するには、神に仕えることだけが解決です。

 

しかし、人には欲という強敵がいます。世間という強力な引力があります。

そして悪魔が私たちを虜にしょうと待ち構えています。我欲、世間にいざない、

悪魔の偽りと、私たちの中におられる神との間を、行ったり来たりしていては惨めです。

何時如何なる時も神に仕えていること忘れずにいたい。

 

 

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神からの知恵

2021年05月21日 | キリスト教

「それは知恵が多ければ悩みが多く、知識を増す者は憂いを増すからである。」  口語訳 

 

「実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す。」   新改訳第三版

 

「知恵が深まれば悩みも深まり/知識が増せば痛みも増す。」          新共同訳   

 

                    伝道者の書 1章 18節 

 

「実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す」とあります。

だからと言って、「知恵や知識を得ても悩みや悲しみを増すだけだから、

そのようなものは必要ない」と考えることは浅はかな考えです。

 

このことばが意味することは、上からの知恵、神についての知識がなければ、結局のところ、

「新しいもの」に触れることができず、「虚しさ」的な悩みと悲しみしか得られないということなのです。

人類はバベルの塔の如く、知識を蓄え、知恵を増し加えました。

その結果、本当に幸福になったのでしょうか。知らなければそれで済んでいたことを、

知ったために悩みが増し、不安と恐れを抱くようになりました。

それは知識や知恵によって、被造物として神を畏れなくなったからです。

人の知恵や知識は僅かな限られたものでしかなく、

知るべきものも知らない者であることを認めて、謙遜に神を畏れましょう。


 

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愛について

2021年05月14日 | キリスト教

「 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。」

           Ⅰコリント 13章 4節

 

本当の愛、無条件の愛というのは、主イエスによるしかないと思いますが、

ここに、ヴァージニア・サターの詩が、とても味わい深いのでアップします。

 

私はあなたを、束縛せずに愛したい

判定せずに称賛したい

侵入せずに結ばれたい

強制せずに誘いたい

うしろめたさなしに別れたい

責めることなく評価したい

見下すことなく助けたい

あなたも同じようにしてくれたら

ふたりはほんとうに出会い

お互いを豊かにできるでしょう


ここにあるのは単純な愛の賛歌ではない。愛とは誰かを愛するという感情的なものではなく、

相手に仕えるという信仰の出来事なのです。

感情は消えるが、信仰に基づく愛は永続する。終末の時、異言も説教もすたれるが、愛は滅びない。

 

 

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戦われる神

2021年05月07日 | キリスト教

「彼らの顔が侮りで覆われるなら/彼らは主の御名を求めるようになるでしょう。」
        共同訳
「彼らの顔を恥で満たしてください。【主】よ。彼らがあなたの御名を慕い求めるようにしてください。」
        新改訳

                詩篇 83扁16節 

人に見られると恥ずかしい、人に見られると恥ずかしいと思っても、誰にも見られず、

分からなければ恥ずかしいとは思わないという面があります。

しかし、突然のように、心に光が差し込んで、人の前で恥じるのではなく、

神の前に自分の卑しさ、罪深さを知り、悔い改め、神の絶大な愛の中に飛び込むことができるとしたら、

神の前に恥を知ることはになんなと大切なことでしょう。

その先には、罪の暗さも惨めさも完全に追放された、まるで長いトンネルから抜け出したような

明るい生活があるのです。自分の力で人前を飾る戦々恐々の生き方ではなく、

幼子のように神を慕う新しい生活が開けてくるのです。

 

今の世界の状態を聖書的参照


これからのイスラエルが体験していく事柄です。

イスラエルがエジプトを出た時もそうでしたが、イスラエルを襲う敵が倒れることによって、

主がまことの神であることを世に知らしめる働きを、主は持っておられます。

同じようにイスラエルを攻める預言が、エゼキエル書38-39章にあります。

ロシア、イラン、スーダン、リビア、トルコなどの国々が現れますが、

彼らが地に倒れる働きを主が行われることによって、

38章23節「わたしがわたしの大いなることを示し、わたしの聖なることを示して、

多くの国々の見ている前で、わたしを知らせるとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。」とあります。

そしてもちろん、最後のハルマゲドンの戦いでは、イスラエルに攻めてきた全世界の軍隊が、

主のご来臨を見て、嘆き悲しむことが預言されています(マタイ24:30)。

聖書にある地名、 現在の地名です。

ゴグ ・・・・・・・・・・・ ロシア

エドム、モアブ、アモン、・・・・ ヨルダン

イシュマエル・・・・・・・・・・サウジアラビア

ハガル・・・・・・・・・・・・・エジプト

ゲバル・・・・・・・・・・・・・イラク

ペリシテ・・・・・・・・・・・・バレスチナ

アッシリア・・・・・・・・・・・シリヤ、イラン

ツロ・・・・・・・・・・・・・・レバノン  この終末といわれる事柄に関係をしてくる国々です。

 

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