マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

許すことは

2022年08月19日 | キリスト教

「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。

主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。」

                      コロサイ 3章 13節

ウィリアム・バークレーはクリスチャンとして私たちが人を許すために

三つのことを学ばなければならなと言いいました。

そしてその第一は「理解すること」であるというのです。

「人の行動にはいつも理由がある。粗野な人、失礼な人、気難しい人には、心配事があるか、他の苦痛があるかもしれない。

人を疑ったり嫌ったりする人は、相手に対して何か誤解があるか、相手の言動を曲解しているのかもしれない。

あるいは環境や遺伝のせいかもしれないし、また、気難しい気質のため問題が多く人間関係がうまくいかないのかもしれない。

人を非難する前にその人を理解しょうと努めれば許すことも容易だろう。」

 

そして、他の二つの許しの鍵は「忘れること」と「愛すること」と語っています。

ここは、赦すことへの勧めですが、「赦す」という意味を考えなければいけません。

それは、端的にいうと「過ぎ去らせる」ということです。

 

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真実の豊かさとは。

2022年08月12日 | キリスト教

主に従う人が持っている物は僅かでも/主に逆らう者、権力ある者の富にまさる。

                    詩篇 37扁 16節

「 ひとりの正しい者の持つわずかなもの 」 とはいったい何なのでしょうか。

豊かないのち、豊かな心ではないでしょうか。自分を正しいとし、人にも正しいとされていたパリサイ人と、

自分を罪人だと自覚し、人からも罪人と思われていた取税人は、神殿から遠くで祈った。

方やパリサイ人は神殿の前で、祈りました。

このパリサイ人の祈りは「 後ろの取税人のような罪人ではないことを感謝します。……」 でした。

この取税人の祈りは、「神よ。こんな罪人のわたしをあわれんでください」 でした。

主イエス・キリストの軍配は取税人のほうにはっきりと示されました。

罪を悔い改めて神を畏れ、神に新しい心をいただいた正しい心こそ、豊かなのです。

 

見えるところは僅かでも、それは宝石のように貴重なものです。

御言葉と心の関係を主が土のたとえで話されていたとき、

良い土地に落ちる種は三十倍、六十倍、百倍の実を結ばせると約束されましたが、

それはただ、良い土地に一つの種が落ちるという僅かな出来事によってです。

大事な格言です。私たちが持っているものは少なく見えるかもしれません。

しかし、そのわずかに見えるものをもって、主は支えてくださいます。

福音こそが人の問題を根本的に解決する力を持っているのです。

罪から救う力を持っています。したがって、わずかなのですが全てを持っています。

 

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