マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

聞いてくださった

2016年04月29日 | 聖書

 

「 立ち上がってください、主よ。人間が思い上がるのを許さず/御顔を向けて異邦の民を裁いてください。」

                                            詩編 9 編 20節

 

昔、イスラエルの民は、モーゼに率いられてシナイの砂漠をさまよいました。

( 本当は神の導きの手の中にあったのですが、人々はそのことを理解し得なかったのです。

人は力に満ちた神の前に自らの弱さ、無能を悟らなければならない。) 彼らは天幕住まいでした。

その真ん中に神の契約の箱を置いた天幕がありました。モーゼは、雲の柱、火の柱の導きに従って、

契約の箱を担ぎ、前進しました。契約の箱を担いで前進するときはいつも、「 主よ。立ち上がってください 」 

と言ったことが旧約聖書の民数記の中に記されています。私はその時の情景を心に描きます。そして、思うのです。

「 神様、立ち上がって敵を破り、私を助けてください 」 と。悲鳴のような叫び声を上げなくても、

( ここで知っていてほしいのは、主イエス・キリストの十字架の恵みによって、民ではなく、子とされたと言う事です。)

私の人生、私の朝夕の生活の中で、神が神として立ち上がっていてくださる。私が神の民として従っているところに、

私の人生の勝利も平和や喜びも、人生の使命も栄光もあるのだと思うのです。

聖書から

「 まことに、主は悩む者の悩みをさげすむことなく、いとうことなく、御顔を隠されもしなかった。

   むしろ、彼が助けを叫び求めたとき、聞いてくださった。」   詩編 22:24

 

 

 

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あなたを守り

2016年04月22日 | 聖書

 

「 主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
                 

                          主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。 」   

                                                       詩編 121編 7~ 8節

 

神を信じていない人があっても、私たちの人生には人の及ばない何か強い力が働いていると言う事を感じている人は多くいます。

人生と言うのは、自分の力で切り開いてゆくんだと、そんなふうに豪語している人も、自分の力ではどうしょうもない事態に出くわすと、

何か自分の手の届かない特別な力が働いている、そんなふうに感じる者です、

そして運であるとか、つき、さだめというもののせいにして、特に失敗や自分の足りないところを言い逃れしようとするものです。

人の及ばぬ力はどちらかと言うと、良い方向より、悪い方向に働くもののようですが、

神には私たちを祝福し恵みに満たす力が働いています。特にこの八節の励ましの言葉により、大きな勇気を与えられ、

神の国を目指す私たちは、互いに、このような言葉を交わし合って進んでいきたいものです。

 

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しっかり握って

2016年04月15日 | キリスト教

 

「主に逆らう者は勝手にふるまいます/人の子らの中に/卑しむべきことがもてはやされるこのとき。」  詩編 12編 9節

「人の子の間で、卑しいことがあがめられているときには、悪者が、至る所で横行します。」          詩編 12編 8節

 

 世が末の時代になり社会的倫理が破れてくると  いやしいことがあがめられる 」 ようになります。

( 卑しいこととは嘘、中傷などの偽りの舌による人間関係の破壊的現象 ) 

倫理とか道徳と言ってもピンとこなくても、 「 汚いこと、卑しいこと 」 と言うと案外わかるのではないでしょうか。

悪臭が漂うごみための汚さがすぐわかるように、人と人との交わりの中の 「 汚いこと 」「 卑しいこと 」 は本能的にわかり、

したくないのです。しかし現代は、そんな 「 卑しいことが 」 横行している時代だと思いませんか。

人の尊厳を踏みにじるような獣のような考えと行いが満ちています。

聖書の中に 「 上にあるものを求めなさい。地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい 」 という聖句があります。

心の中に神を宿す。これこそ、栄光に満ちた人間らしい尊厳ある生き方を贈る秘訣ではないでしょうか。

誰も信じられない、何を信じたらいいのか、これは現代の私たちの悩みであり嘆きです。

この時代の民の叫びを聞き立ち上がってくださった主は、今も生きておられ、あなたの叫びを聞いておられるのです。

聖書から

「 いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、

苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。」    ピリピ 2:16

  あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する

答え方がわかります。 」                                   コロサイ 4:6

 

 

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共に歩く

2016年04月08日 | キリスト教


「 ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。」

                                       伝道者の書 4章 9節

人生には必ず伴侶が必要です、それは父なる神がアダムに助け手として、イブを与えられたことから来ます。

それが結婚という祝福された人生の始まりです。二人は一つとなるのです。「それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、

ふたりは一体となるのである。」 創世記 2:24  とあります。

私たちここでしっかりと心に留め置きたいことは、二人の関係はともに助け手として祝福を受けると言う事です。

どちらか一方が支配することは神の思いではないと言う事です。「神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。

わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」  創世記 2:18

 この聖句の中の二人とはもうお分かりでしょうが、夫婦のことでもあります。これは家族の祝福が家族だけの喜びではなく、

神の喜びであり、また私たちが神へお返しする栄光でもあります。その二人が力を合わせて一つの仕事に励むと、

ひとりでするよりも軽やかで、楽しくなりますし、しかも、その報いを二人で喜び、楽しむことができるのです。

 そして、この聖句を私 ( あなた ) とイエスとに置き換えて考えて見て下さい。イエスは私 ( あなた ) と共におられるなら、

苦労も苦労でなくなります。その報いは大きいのです。イエスが共におられるのなら、私が人々からどのように見られようとも、

私自身は平安のうちにこの人生を歩むことができるのです。

聖書から

「 結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。なぜなら、

  神は不品行な者と姦淫を行なう者とをさばかれるからです。」  ヘブル 13:4

 

 

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迫害する者のために

2016年04月01日 | キリスト教


「 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」

                                                マタイ 5章 44節

私たちは知っています。当然という愛があると言う事を、それは親子の愛・情熱の愛・友情という愛を、これらもまた、儚く消えゆくよう

な薄ぺらい愛に成り果ててしまったような時代です。神はこのような愛よりも、とても受け入れがたい愛を望んでおられるのです。

こんなラビの話があります。

出エジプトの際に。エジプト軍が紅海で溺死したときのことだそうです。この大きな業を御使いが讃美の歌を歌い始めると、神は悲し

んで言われた。「私の手の業が海に沈んでしまったのに、お前たちは私の前で歌うのか」と。神はご自身が作られた被造物のうち何

が滅んでも喜ばれないのです。

 

 「渡る世間に鬼はなし」ということわざがありますが、ご時世では、「渡る世間は鬼ばかり」のようです。また一歩家を出れば、七人

の敵がいるとも言われています。事実、人間の歴史は民族と民族、国と国との敵対と争いの繰り返しでした。今この時点でもこれが

正義だと振りかざしている醜い争いがあるのです。ところが、イエスは、「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と言われました。

敵を愛せよが響くところに新しい世界が始まるのです。全ての人に、「太陽を上らせ、雨を降らせてくださる」天の神の存在にありま

す。敵であれ、隣人であれ、神は全ての人間にとっての天の父なのです。またすべての人間にとって子供なのです。
 

聖書から

 「自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。

 また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませ

んか。だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。」マタイ 5章から。

 

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