マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

元気のために

2023年12月29日 | キリスト教

今日は聖書からではなく

キリストの平和からの証です

さて、皆様方はこの一年間にどれほどの感謝をささげることができたのでしょう。

キリストの平和は健康のためにとても良いものです物です。 

多くの人達の心や体が病んでいる最も大きな原因は何でしょうか ???

 それは 怒り、憎しみ、赦せない心です。

それらは、あなたがたの心や肉体を蝕み、様々な病気を引き起こします

もしそういうものがあなたの心にあるのならば、主イエスのみ前で告白し、悔い改めていきましょう。

そして、その代わりに、キリストの平和が心を支配してくださいとお願いをしましょう。

キリスト・イエスの平和に勝る薬はありません。

この薬は ネットでも買えません ましてや市販の薬屋さんにもありません

あるのは主イエスのみ体である教会にて無料で手に入れることができます。

 

やっぱり聖書のみ言葉が必要ですね

コロサイ 3:15 

「また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、

あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」

ローマ 15:33

「平和の源である神があなたがた一同と共におられるように、アーメン。」

 

 

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クリスマスを

2023年12月22日 | 日記

「 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。

   それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」    

                       ヨハネ 3章 16節

イエス・キリストの誕生を祝うクリスマス、この日には二千年以上にわたって、世界中の人が祝っています 

しかしこのヨハネ3章16節の恵みを知っているなら このクリスマスを神に感謝し 神のみ前にひれ伏す時としたい 

この礼拝こそが真実のクリスマスです。 賑やかなクリスマスもいいですがこのクリスマスを イエスと二人っきりの喜びの日としませんか

 

信じ、希望し、愛する。この三つは昔からキリスト教が人間にとって最も大切なこととして教えてきたことです。

心の深いところで強く信じ、広やかで肯定的な希望を抱き、心身を費やして人を愛することを忘れてしまったのでしょうか。

その結果、多くの現代人が、人としてこの世に生を受けてきたことの有り難さ、尊さを感じ取れなくなっているような気がします。

 

イエスは、信じること、希望すること、愛することの大切さを、命をかけて教えて下さったのです。

それはこのことを始められたのは、神です。その御子を贈られたのは神であり、神がその御子を贈ったのは、

神が私たちを愛されたからです。すべてのことの背後には神の愛が満ち満ちています。


Ⅰコリント 13:13
「 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。 」

 

「 神は私たちの一人ひとりを、あたかも私たちのただ一人だけを愛されるように愛したもう」  アウグスチヌス

 

 

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隠れ家

2023年12月15日 | キリスト教

 

わたしのためにのがれの岩となり、わたしを救う堅固な城となってください。あなたはわが岩、わが城だからです。

                                 詩篇 71編 3節


何とかして自分で擁護する、あるいは他の人たちに擁護してもらうことを願います。
しかしダビデは、「あなたこそ、私の巌、とりでです。」と主こそが擁護してくださる方であると宣言しています。

 

     人生の海のあらしに もまれ来しこの身も 不思議なる神の手により 命びろいしぬ
 
         ※ いと静けき港に着き われは今安ろう
 
                     救い主イエスの手にある身はいともやすし
 
     かなしみと罪の中より 救われしこの身に いざないの声も たましい揺すぶること得じ
 
                     ※くりかえし
 
     すさまじき罪のあらしの もてあそぶまにまに 死を待つはたれぞ ただちに逃げこめ港に
 
                     ※くりかえし
                                        聖歌 472  より

 
あなたには、身も心も委ねきれる、逃れの場所がありますか。その所は本当に安全でしょうか。
 
また、あなたを十分に匿ってくれるところでしょうか。私も以前はお酒に走り、とばくに明け暮れし、夜の巷で心を満たし、
 
そこに自分を忘れようと逃げ込んでいたころがありました。しかし今思えばそこで提供してくれたのは、塩水だけでした。
 
飲んでも飲んでも私の渇きは変わらず、その自分を見るたびに失望し自分自身に嫌悪感を持っていました。
 
それはもう遠くの昔のことです。
 

 

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真実の自分を

2023年12月08日 | キリスト教

「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、

実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。」

                               黙示録 3章 17節 

 

「自分が富んでいる、豊かになって、乏しいものは何もない」というのは、いまの自分の生活に満足している姿です。

もちろん主にあって満足する心は大事ですが、ここでは、神がなくとも、キリストがいなくても、別に大きな支障はないとする心です。

 

自己満足の状態に対して、「実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者である」と言われています。

私たちの自己評価と、主の評価とは、このように正反対になるほど異なることが多いです。

私たちは人と比較して、「自分はそんなに悪くない」と思ってしまいますが、私たちが比較すべき対象は、唯一、神ご自身であり、イエスさまなのです。

自分の写真を、イエスさまの写真と照合させます。そこに映し出される自分の姿こそが、本当の姿なのです。

 

自己満足の信仰生活、礼拝を守りさえすれば良いという人々に、主は「私はあなたを知らない」と言われる。

 

マタイ7:21-23


「私に向かって、主よ、主よと言う者が皆、天の国に入るわけではない。私の天の父の御心を行う者だけが入るのである。

かの日には、大勢の者が私に、主よ、主よ、私たちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、

御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんかと言うであろう。そのとき、私はきっぱりとこう言おう。

あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、私から離れ去れ」。

 

 

 

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