異なる二種類のおもり、異なる二種類の枡、そのどちらも主に忌みきらわれる。
箴言 20:10
いくら混ぜても、かき回しても、混ざらない、いくら共に話し合いをと接点を見つけようとしてもそれは無理、
水と油そのような関係。どちらも、これだけは譲れないとしたら、
葛藤と言うことばがあります。なぜこのような心の状態になるのでしょう。
「葛藤」とは、二つ、もしくはそれ以上の何かに心が満たされているゆえです、
善し悪しは別として、一つの方向に向かっている時、人はこれも良し悪しは別として魅力的に感じるものです。
しかし、人は神に向かって真っすぐの向うとき、まことの命、まことの力をいただけるのです。その人はさらに魅力的になります。
そして、真理は一つ、たとへ、このことで排他的と言われようが、このことは絶対に譲れない、それ以外はすべて譲ったとしても、
これからのクリスチャン生活に必要な事では、
人の心の内にあるもの、それが主からのものであれば、御霊によって与えられているものであれば、それをしっかりと守ること、
そして聞いている耳と見ている目をしっかりと持っていることでしょう。
箴言 20:5
「思い計らいは人の心の中の深い水。・・・・・・。」
箴言 20:12
「聞く耳、見る目、主がこの両方を造られた。」