マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

ありがとうございました。

2017年12月29日 | キリスト教


「 見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。」

                                          イザヤ 49章 16節

 

このお方に守られた一年でした。神の庇護の中ですべてが満ち足りました。感謝。

私が感謝をし喜ぶことは、神の栄光となりますように。わが父である神に賛美と感謝とを捧げます。

また、今年と同様に。

日々がクリスマスであり。日々がキリストであり。日々をイースターの恵みとして、

新しい年も歩まさせていただきます。私は神に愛されているという自信があります。

そして、この神の恵みを多くの人たちに伝えていくことができればと願っています。

では新しい年に希望と期待とをもって、シャローム そして  マラナ・タ

 

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メリー・クリスマス

2017年12月22日 | キリスト教


 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」

                                            ルカ 2章 14節

主の御降誕をお祝いいたします。

クリスマスは聖書が伝えてくれた嬉しい知らせです。神様は私たちのことを深く愛してくださって、

不思議な仕方で私たちのために、素晴らしいことをしてくださいました。

それは、救い主キリストが偉い学者や強い王様や英雄としてではなく、

一人の赤ちゃんとして、暗く寒い夜に貧しい家畜小屋で生まれてくださった、ということです。

どんなに小さい子供でも、悲しみや苦しみの中にある人も、みんなが少しもこわがらないで、

喜んで、安心して信じることができるためでした。

クリスマスに表された、このような神様の心は、イエス様のことばと御業、十字架の死と復活の訪れの中で、

ますますはっきりとしていきます。どんなに暗い気持ちで悲しんでいる人も、淋しい人も、憎しみ争っている人も、

もう大丈夫なのです。このキリストが共にいて、明るく暖かくしてくださいます。


Ⅱテモテ 
1:9 神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、

   ご自身の計画と恵みとによるのです。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられたものであって、

1:10 それが今、私たちの救い主キリスト・イエスの現われによって明らかにされたのです。キリストは死を滅ぼし、

   福音によって、いのちと不滅を明らかに示されました。


マタイ  11:28

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」

 

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祈り

2017年12月15日 | キリスト教


「 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、

わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」

                                                 黙示録 3章 20節

「彼とともに食事を」をするということ、現在私たちが共に食事をすると言う以上にもっと深い意味があります。

それは「食べる人と一つになる」という意味があるのです。同じパンを食べ、同じスープから飲むことによって、

互いが一つとなることを象徴しています。そこで主イエスは御霊によって私たちと一つとなり、

親密な交わりに招いてくださっているのです。

 

さて今回は私たちの祈りについて次の三つの点にまとめてみました。その一つめの祈りは、

イエスに私たちの問題の中に入っていただくことであって、神を動かすとか、神に一方的に訴えるものではありません。

神は問題をよくご存知であり、私たちが神を迎え入れるよう待っておられるのです。

第二の祈りは、イエスのみ名により聴かれるものです。「あなたが、私の名によって父に求める祈りはなんでも、

父が与えて下さるためである」とあります。

第三は祈りは信仰生活の武器です。キリストの弟子たちは二つの武器を与えられ、ローマ、ギリシャ、さらに

全世界へ広がっていきました。それは十字架と復活のキリストであり、今一つは祈りでした。


マタイ 6:6

「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。

そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」


マルコ 11:24

「だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる」

 

 

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花水木の由来

2017年12月08日 | キリスト教


「 イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。」

                           ヨハネ 19章 17節

 

「 花水木の由来 」 (白倉昇進 著 ) と言う小冊子からご紹介します。

イエスが十字架につけられた時代には、花水木( 英語名は ドッグウッドと言うそうです ) は樫の木のように大きかったそうです。

堅く丈夫であったので、刑罰用の十字架の材料として用いられていました。

このような残酷な目的で使われてきたので、花水木は惨めな気持ちになっていました、この木で作られた十字架にかかられたイエスは、

花水木の気持ちを察せられ優しく哀れみの心を注がれ「 わが十字架上の苦しみに対する汝の悲しみと、心の痛みゆえに、

今後、花水木は十字架に使われるほど大きな木には決して成長しないだろう」 と言われました。

花水木をよく見ると、十字架を形どった四枚の花弁の先端には釘後の印と、その周りには血潮を現す赤い斑点が、

そして花弁の中にイエスの茨の冠がくっきりと出て、キリストの受難を物語っています。

このように花水木は花咲く度にイエス様の十字架を偲ばせ、この花を見る人の心に主イエスの十字架の奥義を思い起こさせるのです。    

 

ヘブル 12:2   「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」

 

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絶えず祈りなさい

2017年12月01日 | キリスト教


「 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。

これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」

                                 Ⅰテサロニケ 5章 16~18節

感謝せよとありますが、不幸や悲劇に関して神に感謝せよと言っているのではなく、

順境であれ、逆境であれ人生のあらゆる状況に置いて神に感謝しなさいと言うことです。

事実心から喜べない時もあります。しかしそのときにおいても神の配慮は有ることを知れば

おのずと感謝が起きてくるのでは。

 主はよく祈っておられました。福音書のいろいろな所で祈られる姿をよく目にします。

祈りについて短い文集 「 そよ風のように生きる 」の中から少し紹介させていただきます。

「 自分の中にいらっしゃる神様に出会うため雑念を払いましょう。努力なしには、誰も心を落ち着けることができません。

神様の呼びかけを聴くために心を落ち着かせましょう。生活が惰性に流されないために。」

 祈りの効果はすぐには現れないかもしれませんが、好意の結果はお礼の言葉や金品ですぐに返ってきますが、

種をまいて花が咲くまでに時間がかかるように、祈りの効果が表れるまでには時を必要とします。

毎日短い時間から祈る事を始めてください。何時でも、どこでも祈れるようになります。


ヘブル  12:5 ~7

「そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。

「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。

主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」

訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。

父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。」

 

 

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