マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

貧しいとは

2023年10月27日 | キリスト教

「貧しい人々は、幸いである、/神の国はあなたがたのものである。」

                              ルカの福音書 6章 20節

 

今通りゆく人たちにこう言う質問をしたら一体どういう答えが返ってくることでしょう。

「 あなたにとっての貧しとはなんでしょう。」 今私たちの生活は必要最低限の衣食住は守られています。

「 衣食足りて礼節を知る 」 と言うことばがありますが、

本当に貧しいのは心と心の貧しさ、人を思いやることの貧しさ、優しい言葉をかけることのない貧しさなどではないでしょうか。


マザー・テレサは、インドのカルカッタのロレット修道院の経営する学校の教師でした。そこには美しい庭があり、

中流階級の子供たちが学んでいました。しかし、修道院の外では、食物のない人々、家のない人々等々、

貧困の世界がありました。

マザー・テレサはこの状態に心を痛めていました。そしてあるとき、「 貧しい人の中の一番貧しい人に仕えよ 」 と言う

神の声を聞き、修道院を出る決心をするのです。わずかなお金をもってカルカッタのスラム街へ入っていきます。

カルカッタのひどい貧困に対し、一人で何ができるだろうか ? と思わなかったのでしょうか、そのような質問に対し、

「 あの方であって、わたしではない。その時確かでしたし、今でも確信しています。 」 と答えています。

自分がするのではなく、イエス様がなさる、と言うことです。そして、マザー・テレサを用いて、イエス様がなさったみわざを、

今わたしたちは見ているのです。

 

聖書の約束から少し

「  私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、

キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、

私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」  

                                              ガラテヤ 2:20

「  あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、

あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」

                                              Ⅱコリント  8:9

 

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究極的目的

2023年10月20日 | キリスト教

「 しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、

               なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない。」

                                                           伝道者の書  2:11

地上の人生の成功の意味は何なのだろうか。

スティーブ・ジョブズはアップル社を創業し、この世的には栄華を極めたが、56歳ですい臓がんのために亡くなった。

彼は生前「墓場で一番の金持ちになるなんて何の意味がある」という言葉を残している。

ジョブズの言葉
「墓場で一番の金持ちになるなんて何の意味がある。今日は最高だったといって眠りにつく。私にはこっちのほうが重要なのだ」。

旧約続編 シラ書 14:12-17
「次のことを心に留めよ。死は必ずやって来る。しかし陰府の定めはお前には示されていない・・・お前が苦労して得たものは、他人の手に渡り、汗の結晶もくじで分配されてしまうではないか。与えよ、受けよ、心を楽しませよ。陰府で楽しみをどうして求めえようか」


自分の人生、どう使おうと勝手だ。そう、その通りですか゛。全てが自分のためになるとは、限らないのです。

人の現在の生き方を、決めるものは、その人の未来観でしょう。神か、富か、どちらを取ると言われたら、多くの人は富のほうに手を出すことでしょう。ま

だ、富のはかなさを知らないからではないからでしょうか。富は、永遠にはあなたのものとはならないのです。そのことは十分に知っているはずなのに、

この世での刹那的なひと時に人生を求めてしまう。弱いわたしたちです。

 三つの選択

 この世においてか ・・・・ 。

 あの世においてか ・・・・ 。

 この世も、あの世においてもか ・・・・ 。

主イエス・キリストを信じる者には、今も、また来る日においても、全て満たされるのです。少し、虫のいい話に思われるでしょうが、私たちはこれを事実

とし受け入れています。

あなたはどちらに賭けられるでしょうか、あなた次第です ・・・・ が。
 

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主の家に住まう

2023年10月13日 | キリスト教

「たとい軍勢が陣営を張って、わたしを攻めても、わたしの心は恐れない。

  たといいくさが起って、わたしを攻めても、なおわたしはみずから頼むところがある。」

                                詩篇 27編 3節 

 

まず知っていてほしいことは、いろいろな面で攻撃を受ける時に、

審判者であられる主が戻ってこられることをです。

神に信頼する時、何者をも恐れない生き方ができます。

このような安心を得たいと多くの人々は努めているのではないでしょうか。 

しかし、金銀財宝を積み蓄えようとも、この平安を得ることはできません。

むしろ、そのようなものから離れて、退路を断ち、神のみに心を委ねることが幸いです。

あなたの「頼むところ」はなんでしょうか。

 

そして、私にとって生涯の願いは「主の家」に住むことです。

ここにこそ、神との絶えざる交わり、神の現臨の中での平安が豊かに在り、

それらは私のために備えられています。感謝  ハレルヤ  シャローム

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神の哀れみに、縋りつく

2023年10月06日 | 日記

「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、

          その行いの実によって報いをするためである。」

                                        エレミヤ  17章 10節 

神が人を見る視点は顔かたちや、はでなパフォーマンスではなく、外に現れた現象に囚われず心深くに隠れた動機を探られます。

また、様々な試練を通して私たちの思いを知ろうとなさるのです。

ある意味で怖い話ですが、神に真実に従い、赤裸々に自分をさらけ出しているなら、

なにも恐れることはいりません。神は私たちを知り尽くしてそれぞれに応えてくださるのです。

 

ダビデはこう祈っています。「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。」

そして彼は続けて、「私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」

傷ついた道を知らされることによって、初めてとこしえの道を歩むことができるのです。

私たちが自分の邪悪さを知ることによって初めて、本当に神の憐れみにすがり、

キリストの十字架のところに走っていくことができます。

人間には自分の心を知ることはできませんが、主は知っておられます。以下神の約束です。

 

詩篇 139 編 23~24節
「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。

私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」

1歴代28:9
「主はすべての心を探り、すべての思いの向かうところを読み取られるからである。」

箴言17:3
「銀にはるつぼ、金には炉、人の心をためすのは主。」

 

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