「 しかし、祭司長、長老たちから訴えがなされたときは、何もお答えにならなかった。」
マタイ 27章 12節
キリスト・イエスが裁判で訴えられたとき、ローマ総督ポンテオ・ピラトが、キリストを非常に不思議に思ったいう所です。
大祭司や長老たちから主イエス・キリストはいろいろ訴えがなされましたが、それに対して、何もお答えにはなりませんでした。
ピラトは、イエス・キリストに彼らがあなたに対して、こんなにさまざまな不利な証言をしているのが聞こえないのかと言います。
しかし、イエス・キリストはどの訴えにたいしても、一言もお答えにはなりませんでした。
それで総督ピラトは非常に不思議に思ったと聖書にあります。
キリストの黙秘権は、権威に対する反抗でもなく、裁判官への不信でもなく、人々への恨みの情による黙秘でもなかったからです。
ピラトが不思議に思ったのは、イエス・キリストの穏やかさだったに違いありません。イエス・キリストのこの穏やかさは、
父なる神に自分の一切を託して生きるという謙虚さではないでしょうか。私たちもこの穏やかさをもって一生を過ごしたいものです。
ここで少し伝説として言われているこぼれ話を一つ。( ピラトの妻について。)
ピラトの妻は、ユダヤ教に回宗して、その名をクローディア・プロキュラと呼ばれ、後にクリスチャンになったと言われています。
今に至るまで、コプト教会は、ピラトとその妻を聖人に列しています。
聖書からすこし、
イザヤ 53:7
「 彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、
毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。」
Ⅰ ヨハネ 2:6
「神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。」