「その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。
その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」
詩編 1篇 3節
主の教えを喜びとし、それを思い巡らす結果が、ここに書かれているとおりです。
私たちは、「植えられた者」です。神によって、命の水の源であられるキリストの中に
植えられた者であり、命の御霊によって実を結びます。
私たちはすでにキリストといういのちの水の源泉にふれています。
このキリストのうちに神の知恵と知識との宝がすべて隠されています。
ですから、キリストのことばを私たちのうちに豊かに住まわせ、キリストの中に根差し、
主にある者と共に建てられていく者とされているのです。
また、この繁栄は、少しずつであることを忘れないでください。木から実が結ばれるのに時間がかかるように、
繁栄にも時間が必要です。そして、自分の行為によって繁栄するのでもありません。
自分の仕事はただみことばを自分に蓄えること、主の教えを喜びとしていることです。
神のいのちの中に深く根を下ろした人生こそ幸せな人生ですが、その第一の祝福はいのちの祝福です。
幸いな祝福された人生とは、神のいのち、つまり本物のいのちと繋がっているものなのです。
いのちがありさえすれば冬に枯れても、霜に打たれ、虫に食われ、嵐に倒れても、また芽をふくのです。
その第二の祝福は成長の祝福です。いのちのあるものは成長するのです。
第三の祝福は美しさの祝福です。いのちのある人生は愛と喜びと平和の美しさに飾れらるのです。
そして第四の祝福は実りの祝福です。いのちのある人生には実が実ります。祝福が他の人にまで及ぶ実を結ぶのです。
エレミヤ 17:7-8
「祝福されよ、主に信頼する人は。主がその人のよりどころとなられる。
彼は水のほとりに植えられた木。水路のほとりに根を張り、暑さが襲うのを見ることなく、
その葉は青々としている。干ばつの年にも憂いがなく、実を結ぶことをやめない」。