マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

本当の平和は、

2022年02月25日 | キリスト教

わたしが国に平和を与えるから、あなたがたは安らかに寝ることができ、あなたがたを恐れさすものはないであろう。

わたしはまた国のうちから悪い獣を絶やすであろう。つるぎがあなたがたの国を行き巡ることはないであろう。

                                    レビ記 26章 6節

私たち日本人は、どうしても平和の尊さを理解することができません。

平和は空気のように、吸えば手に入れることができると考えてしまいます。

また、私たちはこの豊かな日本に住んでいると、収穫も安全も空気のように当たり前に思ってしまいますが、

安全も、それぞれの収穫も、主が与えてくださいました。私たちは、経済のこと、食の安全、体の健康など、安全を求めていますが、

それは主が与えてくださるという信仰がないといけません。しかし、イスラエルにとって、平和は尊い神からの賜物なのです。

 

古代ローマの人々の間では「汝が平和を欲するなら、戦争の備えをせよ」ということわざが、しきりと語られたのです。

実際に地中海にまたがる一大軍事帝国を建設しました。世界中の国々も同じようにしたのですが、

それによって平和は生まれてこなかったのです。今現在も平和な世界は来ていません。

ところが、レビ記26章3節以下で「あなたたちが私の掟に従って歩み、私の戒めを忠実に守るならば …… 」 

と聖書では語られています。すなわち、神の言葉に従う時、神は雨を与えて地は産物をだし、

また国に平和を与えるので、恐れさすものは無いというというのです。

ですから、神の言葉に従うよりも、衣食住の問題について思い煩ったり、とこかの国が攻めてくるのではないかと恐れて、

戦争の準備に心奪われるならば、本末転倒ではないでしょうか。

心穏やかにし、主のなさる業を期待していきましょう。シャローム  そして  マラナ・タ

 

 

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力ある聖書の言葉

2022年02月18日 | キリスト教

イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、

          神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」

                  マタイ 4章 4節

身体は衣食住で満たされ、心は知識や愛情で満たされるが、

私たちが衣食住や知識や愛情だけで満たされないのは、

心の奥底に「神の口から出る一つ一つのことばで、なければ満たされない霊がある」からだというのです。

確かに私たちは動物とは全く異なり、神と交わることのできる霊を持っている霊的存在なのです。

このことを忘れていては、私たちの心に満足がないのは当然だと思う、

私たちが真に求めるべきものは、神の口から出る一つ一つのみ言葉です。

 

ここで、イエスは、「書いてある。」と言われています。聖書からの引用です。

イエスはみことばをもって誘惑に抵抗されました。私たちも同じようにして誘惑に抵抗する事が出来ます。

また、「とも書いてある。」と言われて、再びみことばをもって抵抗されました。

私たちが聖書を読むときに、ただ一つのことばに基づいて教理や教義を作り出す傾向があります。

けれども、聖書はつねに全体として見ていかなければなりません。バランスが必要です。

 

そして、イエスが即座にみことばを引用されましたが、誘惑の場面においてすぐにみことばを引用できるように、

みことばを心に蓄えていかなければなりません。必要な時に、聖霊がそれを思い起こさせてくださいます。

 

ヤコブ 1:21

「すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、

すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」

 

 

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神は笑われる

2022年02月11日 | キリスト教

「天の御座に着いておられる方は笑い主はその者どもを嘲られる。

そのとき主は怒りをもって彼らに告げ激しく怒って彼らを恐れおののかせる。」

                  詩篇 2扁 4~5節

ここには、神のユーモアがあります。

国々の王たちは、最新兵器をもってキリストに立ち向かおうとしているわけですが、

それに対して天の御座に着いておられる方は笑っておられて、嘲られています。

私たちが天からの余裕が与えられているのは、ここにあります。

私たちはキリストにあって、天につなげられている者たちです。

ですから、地上で起こっていることを見れば息苦しくなるのですが、

天の御座におられる方の視点で眺めれば、滑稽にさえ思える姿であると認めることができ、

物ともしない、動じないのです。ここから私たちは、心の余裕が生まれるのです。

たとえ世が騒々しくなっても、神が王であり、すべてを仕切っておられるのです。

 

神を無視して動く人間の姿を、神は笑い、あざけられ、怒っておられると、この詩篇では語られています。

やがてやってくる地震で地が裂けるとき、すべての王も国民も、その裂け目に吸い込まれます。

全世界が氷で閉ざされ、やがてその氷が溶けるとき、私たち人類はどうなるのでしょうか。

いま世界中の学者、文学者、預言者、占い師が言っていることと、描いていることは、みんな、

神のみ前の人間の無力さにほかなりません。神が人間の歴史にピリオドを打たれるのです。

私たちは、神こそ、天上で人類の歴史を支配していることを悟るべきです。神は、笑い、あざけり、

怒るだけの神ではありません。

聖書が私たちに告げるメッセージは、神は愛であり、この混乱した人類を救う救い主です。

そのメッセージは、昔から預言者を通し、多くの部分に分けられ、いろいろな方法で語られています。

 


「天の御座に着いておられる方は笑う」という表現は、詩篇ではここと、他に二か所にしかありません。

37:13 
主は悪しき者を笑われる。彼の日が来るのをご覧になるから。

59:8 
しかし【主】よあなたは彼らを笑いすべての国々を嘲られます。

 

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主よ。あわれみを。

2022年02月04日 | キリスト教

イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」

                マタイ 18章 22節

七回まで赦すべきでしょうか、ということですが、当時ラビは三回までと言っていましたか、

相当頑張っているのです。けれども、それは彼の誇り、自慢の裏返しでもあります。

私たちが真面目に頑張る時に、イエスは完全に打ち砕くようなことを言われます。

なぜなら、天の御国は私たちの功徳ではなく、神の恵みによって成り立っているからです。

イエスは、「七回を七十倍するまで」と言われました。

このことについて、「主よ。私は自分では赦せません!」と叫び声をあげるのではないでしょうか。

つまり、私たち人間が思いつく赦しと、神の考えておられる赦しとは、桁外れに違うのです。

 

私たちの持っている能力や性質は、それぞれに様々です。聖書によれば、それはみんな神からのプレゼントです。

神が世界をお創りになった時、「すべてのものは極めて良かった」と創世記にしるされています。

すべてが最高に良かったのです。もともと良いものを、悪くしてしまうのは私たちの見方や考え方が

間違いやすいからではないでしょうか。他人との関係や社会の約束事の中では短所と思われていることが

本当は、私たちが生きていくためになくてはならない大切な性格や能力であることが多いのです。

その社会的には「短所」と見られがちな事柄を「長所」とするのは、本人の謙虚さと、どんな小さな人々をも

慈しみの眼差しで見守ってくださる神のような愛の豊かさに生きようと努力する人々の広い心ではないでしょう。

 

 

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