わたしが国に平和を与えるから、あなたがたは安らかに寝ることができ、あなたがたを恐れさすものはないであろう。
わたしはまた国のうちから悪い獣を絶やすであろう。つるぎがあなたがたの国を行き巡ることはないであろう。
レビ記 26章 6節
私たち日本人は、どうしても平和の尊さを理解することができません。
平和は空気のように、吸えば手に入れることができると考えてしまいます。
また、私たちはこの豊かな日本に住んでいると、収穫も安全も空気のように当たり前に思ってしまいますが、
安全も、それぞれの収穫も、主が与えてくださいました。私たちは、経済のこと、食の安全、体の健康など、安全を求めていますが、
それは主が与えてくださるという信仰がないといけません。しかし、イスラエルにとって、平和は尊い神からの賜物なのです。
古代ローマの人々の間では「汝が平和を欲するなら、戦争の備えをせよ」ということわざが、しきりと語られたのです。
実際に地中海にまたがる一大軍事帝国を建設しました。世界中の国々も同じようにしたのですが、
それによって平和は生まれてこなかったのです。今現在も平和な世界は来ていません。
ところが、レビ記26章3節以下で「あなたたちが私の掟に従って歩み、私の戒めを忠実に守るならば …… 」
と聖書では語られています。すなわち、神の言葉に従う時、神は雨を与えて地は産物をだし、
また国に平和を与えるので、恐れさすものは無いというというのです。
ですから、神の言葉に従うよりも、衣食住の問題について思い煩ったり、とこかの国が攻めてくるのではないかと恐れて、
戦争の準備に心奪われるならば、本末転倒ではないでしょうか。
心穏やかにし、主のなさる業を期待していきましょう。シャローム そして マラナ・タ