マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

信頼

2016年11月25日 | キリスト教

「 彼らはあなたに叫び、彼らは助け出されました。彼らはあなたに信頼し、彼らは恥を見ませんでした。」

                           詩編 22篇 5節

 

人には誤解され、わかってもらえず、どこを向いてもとりつく島もない。しかも、いくら神に叫んでも、神もだんまり、

そんな経験があなたにもあるでしょうか ?  魂がうめき、もだえる時です。

自分の中には、罪も咎も間違いもないと思うのに、神に答えてもらえない。ダビデもヨブもそんな経験をしたのです。

しかしダビデは暗くてつらい魂の経験を通して教えられたことを、ここに告白しているのです。

神は聖です。ご自身の聖さ、愛と真実に、決して背くことができません。神は聞いてくださるのです、

ひがまず、呪わず、神を賛美し、神を礼拝し続ける民に、やがて御顔が見えてくるのです。

のろいと怒りの中には神はおられないのです。

詩編 22篇 22~26

「 私は、御名を私の兄弟たちに語り告げ、会衆の中で、あなたを賛美しましょう。主を恐れる人々よ。主を賛美せよ。ヤコブのすべ

てのすえよ。主をあがめよ。イスラエルのすべてのすえよ。主の前におののけ。まことに、主は悩む者の悩みをさげすむことなく、い

とうことなく、御顔を隠されもしなかった。むしろ、彼が助けを叫び求めたとき、聞いてくださった。大会衆の中での私の賛美はあなた

から出たものです。私は主を恐れる人々の前で私の誓いを果たします。悩む者は、食べて、満ち足り、主を尋ね求める人々は、主

を賛美しましょう。あなたがたの心が、いつまでも生きるように。 」

 

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順番

2016年11月18日 | キリスト教

 「……。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。 」

                                              ピリピ人ヘリ手紙 2章 7~8節

 

主イエスは、人間関係における従順を次のように教えられました。

「 子供たち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。それは正しいことです」  エペソ 6章 1節

「 妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。 」   エペソ 5章 22節

「  同じように、若い人たち、長老に従いなさい。……。 」    Ⅰペテロ 5章 5節

「  人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、

          今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。 」      ローマ 13章 1節   

「  このようにしてキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々に信頼されます。 」     ローマ 14章 18節

 

以上。主イエスの勧めです。先ず、神との縦の線、そしてこの世における横の線。これが交わって十字架になるのです。

何よりも全能の神を第一とする。この順番が守られたのなら、この世には争いがなくなるのではないでしょうか。

 

                                                    

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死んでも生きる

2016年11月11日 | キリスト教


「 わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。 」

                                           ヨハネの福音書 11章 25節

 神が人間をどのようにお造りになったか創世記に記されています。「 主なる神は、土( アダマ ) の塵で人( アダム ) を形づ

り、その鼻に命の息を吹きいれられた。こうして生きる者になった。」 創世記2:7  

( 塵だけではなく、命の息と両方で生きたものとなったのです。) 人間は「 死 」において肉体は埋葬され土に帰り、

霊は神の元に帰るのです。 しかし、どの霊も神の元へ帰ることができるのではありません。

罪を赦された者しか帰られないのです。主イエスは人を救うために人となって生れてくださいました。

そして、人の罪のために身代わりになって、十字架にはりつけになられました。

父なる神は、その十字架の死の故に人間すべての罪を赦して下さいました。

主イエスは三日目に朽ちない永遠の体に復活されました。主イエスを信じる者が永遠に生きるためです。

「 わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」 この約束は、体の復活の約束です。

「 生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。」 このみ言葉は霊的命の存続性の約束です。

聖書から

ヘブル 9:27

「 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、」

ヨハネ  3:36

 御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、 神の怒りが… 。」

Ⅰコリント  15:20

「 しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。」

 

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人の子は

2016年11月04日 | キリスト教


それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。」

                                        マルコの福音書 9章 31節

主イエスははっきりと「 人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する 」 と語られましたが、

弟子たちはこの言葉がわからなかったと言います。この点主イエスの三十三年の生涯は、弟子のユダに裏切られ、

無罪だと分かっていたポンテオ・ピラトにより処刑され。ペテロをはじめとする弟子たちにも裏切られるという

理解されない報われない孤独な生涯でした。

キリスト教の一番大切な点は私たちを愛し救うため 「殺されること」 を承知で三十三年の生涯をおえられた主イエスにあります。

パウロは人間の持つ罪、無知、醜さ、悪、弱さ、病死など、「否定的な部分」 がキリストの十字架の死によって受け入れられ、

キリストの復活によって「好ましい部分」に変えられることを語り続けています。ここに語られている神の愛、私たちの罪、

その罪を引き受けるキリストの死、救いと恵み、復活による神の国の王座に着くこと、これが聖書に示す「神の国への道」なのです。

聖書から

イザヤ  53:3 ~4

彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。

 

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