マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

重荷は、

2020年10月30日 | キリスト教

「主をたたえよ/日々、わたしたちを担い、救われる神を。」

     詩編 68篇 20節

重荷の受け止め方の代表的なものは「思い煩う」事です。

ある人は思い煩いを定義してこう言いました。

「自分のせいなのに人のせいだと思い込んで人を恨み人に責任をなすりつけ、

自分には手に負えず、神だけにしか解決できない問題なのに、自分だけでどうにかしょうともがくこと、

これが思い煩いである」しかし罪の解決は、「罪の赦し」のほかないのです。

イエス・キリストは私たちの身代わりとなって十字架にかかられ、

罪を赦してくださいました。このキリスト・イエスの愛の赦しの前に、

裸になって悔い改め、その愛の中に飛び込むとき、すべての罪の重荷は取り除かれるのです。

ゆだねきれない主には何時までたっても重く、電車に乗っても、

まだ自分で荷物を背負っているなら重さは変わらないのと同じです。

しかし、すべてをキリスト・イエス神の御子にゆだね、十字架の下ろした時、罪の重荷は軽くなるのです。

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幼子のように

2020年10月23日 | キリスト教

よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。                       口語訳聖書

 

「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません。   新改訳聖書第三版

 

「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。               新共同訳聖書

           

                               すべて マタイ 18章 3節

 

わたしたちは、地上では誰が、「より偉いか」を問題にします。

しかし、ここでは、「天国では誰が偉いか」が問題になっています。

天国にさえ序列があるのでしょうか。主イエスは、この序列を否定しません。

ただそれは、この地上と正反対の様相を呈しています。

そこでは幼子のような「低さ」が、一番偉いのです。主イエスは、高さも低さもない、

偉いも偉くもない、みな平等とは言わず、

地上とは真逆に「低さ」を強調して、そこに真の偉大さを見られるのです。

 

明確に、はっきりと、思いを変えないといけないということです。

表面的に、謙遜にならなければいけないというものではなく、

根底から、心の奥底から子供のようになっていないといけないということです。

天の御国は、子供のようなへりくだりがなければ入ることができないということです。

 

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喜び

2020年10月16日 | キリスト教

「神に従う人は誇らかに喜び祝い/御前に喜び祝って楽しむ。」

                     詩編 68篇 4節

「しかし、正しい者たちは喜び、神の御前で、こおどりせよ。喜びをもって楽しめ。」

                  … 詩編 68:3  新改訳3版

詩篇の中には、信仰の喜びー神との親しい交わりの喜び、愛されている喜び、

みことばに対する喜び、神の大いなるみわざにあずかった喜び、敵に対する勝利の喜び、

将来の確かな救いの完成に対する希望など・・が満ち溢れています。

その喜びこそまさに「いのちのしるし」なのです。

 

神への信頼が本当になると、本物の「喜び」が溢れるのです。

本物の喜びの姿を聖書はこう表現しています。

「神の国は飲み食いのことではなく義と平和と聖書による喜びだからです。

あなた方はイエス・キリストを見たことはないけれど愛しており、

今見てはいないけれど信じており、言葉に尽くすことの出来ない、

栄に満ちた喜びに踊っています。」

 

愛と信頼から湧き出る喜びです。そればかりでなく艱難さえ喜んでいます。

それは、艱難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、

練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。

オールウェザーの喜び、悲し時もきも苦しいときにも喜ぶ喜びです。あなたは今、心から喜んでいますか。

 

2テサロニケ 1:10
「その日に、主イエスは来られて、ご自分の聖徒たちによって栄光を受け、

    信じたすべての者の──そうです。あなたがたに対する私たちの証言は、

                    信じられたのです──感嘆の的となられます。」

 

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財産と命

2020年10月09日 | キリスト教

そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。

有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」

                   ルカ 12章 15節 

偽善は、人から歓心を得たいという強い思いですが、貪欲は、物を得たいという強い思いです。

ここで主が教えられているのは、富を蓄えること自体を非難しているのではありません。

主が諭されたのは財産が蓄えられたから、もう大丈夫だ。明日からは好きなように遊んで暮らそうと考えた「愚かさ」にあります。

なぜなら、人の命は財産によって保障されているわけではないからです。

生命というものは、いつでも「いのちの本源」によって生かされているものです。

そこへ考えが及ばないところに、愚かさがあるのです。ではどうしたらよいでしょうか。

主イエスはこのように教えられました。あなた方は地上に宝を積んではならない、

そこでは虫が食ったり、錆びついたりするし、また、盗人が忍びこんで盗み出したりする。

富は天に積みなさい。そこでは虫が食うことも、錆び付くこともなく、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。

あなたの富のある所に、あなたの心もあるのだ。と。

 

多くの人たちは、「これさえあれば、私は幸せになれる。生きがいを見出すことができる。」と思います。

そして、実際に欲しいものが手に入ると、「いや、まだもっと何かがあるはずだ。」と思って、

さらに多くのものを求めます。けっして満足することがないのです。

また、神によって生かされているのに、持ち物によって生きているのだと思う、このことが、高慢への入り口なのです。

 

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悩まないで

2020年10月02日 | キリスト教

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」

                    Ⅰペテロ 5章 7節

 

私たちの人生を確かにしてくださる方はただ一人の神です。

私たちを造り、支配しておられる神は父として私たちを愛してくださっています。

そして私たちの人生を通して、その神の御心を着実に実現しょうとしておられるのです。

「人間の心は自分道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる」箴言 16:9

困ったとき、問題や悩みがあるとき、何時でも素直に神の前に、自分の心を注ぎだしましょう。

コップを真っ逆さまにして中の水を全部注ぎだすように、私たちは空っぽにして神の前に出るとき、

神は戦う力が必要ならその力を、自分を変えることが必要なら新しいいのちを満たしてくださいます。

神に全部打ち明け、神にすべてを期待していくと、そこに新しい一日が開かれるのです。

 

「心配の始まりは、信仰の終わりであり、真の信仰の始まりは、心配の終わりである」ジョージ・ミュラー

 

恐れ不安の原因とは。…… 40%がこれから起こるかもしれない事柄。  

30%が昔の出来事の後悔  12%がもしかしたら病気になるかも… (一番は死というものの恐れ) 

 後の残りが人間関係です。

 

詩 94:19 
「私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように。」

 

ピリピ 4:7 
「そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」

 

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