「主をたたえよ/日々、わたしたちを担い、救われる神を。」
詩編 68篇 20節
重荷の受け止め方の代表的なものは「思い煩う」事です。
ある人は思い煩いを定義してこう言いました。
「自分のせいなのに人のせいだと思い込んで人を恨み人に責任をなすりつけ、
自分には手に負えず、神だけにしか解決できない問題なのに、自分だけでどうにかしょうともがくこと、
これが思い煩いである」しかし罪の解決は、「罪の赦し」のほかないのです。
イエス・キリストは私たちの身代わりとなって十字架にかかられ、
罪を赦してくださいました。このキリスト・イエスの愛の赦しの前に、
裸になって悔い改め、その愛の中に飛び込むとき、すべての罪の重荷は取り除かれるのです。
ゆだねきれない主には何時までたっても重く、電車に乗っても、
まだ自分で荷物を背負っているなら重さは変わらないのと同じです。
しかし、すべてをキリスト・イエス神の御子にゆだね、十字架の下ろした時、罪の重荷は軽くなるのです。