「 あなたが畑で穀物の刈り入れをして、束の一つを畑に置き忘れたときは、
それを取りに戻ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。
あなたの神、主が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。」
申命記 24 章 19 節
生活に苦しんでおられる人とは、( 現在は自分が招いた生活苦というものもありますが )
ここでは否応がなしに苦しまされている人のことをいうのではないでしょうか。
このような無力な、社会的に弱い立場の人に対する愛を神は祝福されるといわれるのです。
はっきりとこれ見よがしに恵むのではなく、忘れてやるのです、わざと目こぼしをするのです。
それは配慮であり優しさです。なにか 「 してやるからな 」 という態度でされてもあまり嬉しくありません。
それだけではなく、小さなプライドというものが傷つきます。
自分の行為を誇ることもなく、相手に恵んでもらった礼を言わせることでもない。さりげない愛の思いです。
人の基本的人権への配慮と主なる紙を礼拝することとは切り離すことができないのです。
なぜなら、私たちのすべての手のわざを祝福してくださるからです。
「 必ず彼に与えなさい。また与えるとき、心に未練を持ってはならない。このことのために、
あなたの神、主は、あなたのすべての働きと手のわざを祝福してくださる。 」 申命記 15:10
「 幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される。」 詩篇 41:1
「 寄るべのない者に施しをするのは、主に貸すことだ。主がその善行に報いてくださる。」 箴言 19:17
「 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。」 ローマ 13:10
全生庵 http://www.theway.jp/zen/
言霊百神 http://futomani.jp/