マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

人はみな草のようだ

2024年02月23日 | キリスト教

「声が聞こえる、『呼ばわれ』。わたしは言った、『なんと呼ばわりましょうか』。

          『人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のようだ』。」

                                  イザヤ 40章 6節 

人の世に生きていると、物質文明の絶頂期にあるため、人の力とわざが際立ってみえます。

しかし、神の目からご覧になると、まことに「人は草」のように弱く、小さな存在です。

大地がチョット揺れると、一瞬にして瓦礫となって、命を失います。まことに脆い、はかないものです。

それを忘れて、人が何者かであるように思うなら、必ず報いをうけるでしょう。

 

詩篇 40:7

「主のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ」

 

主の時が来れば、ここでは「主のいぶきがその上に吹く」とありますが、

主がご自分の意思一つで、これら人間の栄光をしぼませることがおできになる、ということです。

 

あなたの高ぶりは神は喜ばれていません  神のみ前に遜ることを 覚えたい

平安があなたの内に注がれ喜びに満ち力一杯歩めるように  シャローム

 

 

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望郷

2024年02月16日 | キリスト教

 
  けれども、私たちの国籍は天にあります。・・・・・・ 。    

                ピリピ人への手紙 3章 20節 

 

「 心は躍るよ 心は躍るよ カナンの地想うだに 我が胸 躍るよ 」   聖歌 642番より (ヨルダンの彼方に。)

 
一日の業をすべて終え、床に就くとき。あなたの心境はいかがでしょう。

「 今日一日感謝でした。明日が楽しみです 」 と言うことのできる日々を送っておられますか。

勿論日々好ましくない事柄が否が応でも向こうからやってくるのが現実ですが、

しかし、このような心で平安な夜を迎えることができると言うことは、ただ神のあわれみと言えるでしょう。

 

一日。何とか過ぎた、いや、主のみ手の中で過ごさせていただいた、この感謝と共に。カナンの地に一日近づいたと思うとき、

明日への希望が湧きあがり、力が沸き上がってきます。今日と言う日は主が下さり、その中の諸々のこと、

即ち、喜ばしいこと、悲しいこと、嫌なこと。等々に対して積極的に迎えることができるのです。

この地上では旅人、カナンの地目指して喜び勇んで歩む日々なのです。                 


                    想像してください。あなたがカナンの地におられることを。 

 

「  しかし、私たちのふるさとは天にあります。 そこには救い主である主イエス・キリストがおられます。

         私たちは、キリスト様がそこから帰って来られるのを、ひたすら待ち望んでいるのです。」    3:20   リビングバイブル

 

 

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渇いていますか

2024年02月10日 | キリスト教


見よ、その日が来ればと/主なる神は言われる。わたしは大地に飢えを送る。

     それはパンに飢えることでもなく/水に渇くことでもなく/主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。

 
                                         アモス書 8章 11節


これが、今日を警告している言葉であると言えないでしょうか?御言葉はたくさん語られています。

アモスが獅子のように吼えたように、この世に対する神の声は至る所に聞こえています。

主の奉仕者、御言葉を語る者が、もっともたくさん起こされなければいけません。どんどん、御言葉を、神のご計画全体を伝え聞かせなければいけません。

こんなに分厚い聖書が、私たちの目の前にあるのです!これを読ませ、教え、悟らせる必要があるのです。


少しからだの調子が悪くって、入院した、検査漬けで聖書を読むことが出来なかった。と言う程度のものではないのです。

神不在の世界が必ず来ると言うのです。主の、み言葉を聞きたくっても、誰も語らない、

誰もそれを解き明かさない、どこにも救いの招きがなくなるということは、

世の最後と言うことでしょうか。

 

いや。これはある人たちにとってはとても素晴らしいことなのかもしれませんね。暗闇に住み出てこない人々のことですが、

神がこの人たちに計画している事は、永遠に愛のない世界に住まわせる事。しかし、神の御心は全ての人々を救いに入れたいと言う、

今、まだ神のみ言葉が語られている間に、主を受け入れられますように。

日本人独特の横を見てからではなく、あなた個人として足を踏み出しましょう。

 

Ⅱコリント 6:2

「  神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」 

  

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微笑み

2024年02月02日 | キリスト教

 

ほほえみは、お金を払う必要のないものだが  相手にとってはひじょうな価値をもつものだ 

ほほえまれたものを、豊かにしながらも、 ほほえんだ人は何も失わない

フラッシュのように、瞬間的に消えるが、 記憶には永久にとどまる

どんなにお金があっても、ほほえみなしには貧しく いかに貧しくても、ほほえみの功徳によって飛んでいる

家庭には平安を生み出し、社会では善意を増し 二人の友のあいだでは、友情の合言葉となる

疲れたものには休息に、失望するものには光になり 悲しむものには太陽、さまざまの心配に対しては、

自然の解毒剤の役目を果たす

 

しかし買うことの出来ないもの、頼んでも得られないもの 借りられもしない代わりに、盗まれないもの、

なぜなら自然に現れ、与えられるまでは、存在せず、値打もないからだ

 

もしあなたが、誰かに期待したほほえみを、得られなかったら、

不愉快になる代わりに あなたの方からほほえみかけてごらんなさい

実際、ほほえみを忘れた人ほど それを必要としているものはないのだから

          

      ノートルダム清心学園理事長である 渡辺和子氏の著書 「 面倒だから、しよう 」 よりの抜粋です

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