マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

義なる方が。

2019年04月26日 | キリスト教
「天の果てを出で立ち/天の果てを目指して行く。その熱から隠れうるものはない。」
            詩編 19篇 7節

自然の中に私たちは神の栄光を見ることができます。これを自然啓示と巷では呼ばれています。

神さまのこのような、ご自分に現し方に対して私たちがきちんと応答しなければ、

次の神の救い、贖いについてのご計画も分からなくなります。しばしば人間的な良い話を聞いて、

例えば人の犠牲的な献身であるとか、キリスト教の一面を表しているにしか過ぎない話とか、

聖書の話であっても放蕩息子のたとえ話にある父親の愛であるとか、人間中心のメッセージは、

本当の福音を伝えていることにはならないのです。

さてここでは、神の創造された自然の代表として、太陽の姿が、本当に生き生きと描かれています。

この太陽はまた、愛と恵みと力と命そのものを象徴しています。

第一に、朝になると必ず太陽が昇るように神の恵みは必ず現れるのです。

第二に、神は太陽のように公平なお方です。よい人の上にも悪い人の上にも太陽が輝くように、

神は罪人の上にも挫折した者の上にも輝きくて改めて信じるものを救われるのです。

第三に、神は太陽のように罪の暗闇を追い払い、人の空しさ、悲しさを癒してくださいます。
「わたしの名を恐れるあなた方には、義の太陽が昇り、その翼には、癒しがある」マラキ書 4:2 A

ヘブル 11:6
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、
神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければな らないのです。

自然界における創造主の栄光を認めることによって、初めて神の贖いも理解できます。


 
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神に選ばれた者です。

2019年04月19日 | キリスト教


「そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から召されたのですから、

その召しにふさわしく歩み、 一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、」
 
 
                                  エペソ 4章 1~2

私たちは神に召され、神の霊を受けた者だ。だからそれにふさわしく歩めと言われる。
 
ですから、神の⼦とされた私たちにはとても⾒合った者、似つかわしい事柄なのです。

わたしたちは、心を開いて熱心に聞きとらなければなりません。

時代劇のドラマで「殿、ご乱⼼遊ばれてはなりませぬ」という台詞があります。

殿様は殿様らしく振舞ってくださいということでしょう。

皇室などにかかわる者たちは それにふさわしい格式を⾝につけるために、それなりの教育を受けます。

私たちは皇室の者になることはできま せんが、それ以上の神の家族の⼀⼈とされています。

神の家族として⽣きるにふさわしい者として⽣きることが 期待されているのです。

神から使命を与えられて、その使命に忠実に従うようにとこの世に遣わされました。

そのために必要な事は、神を待ち望むことだと神は私たちに語っておられます。

自分自身の思いを優先して、失敗して自ら苦しみを受け取ってしまう私たちです。

神は天から私たちのもとに来られ、救いの御手を動かしてくださいます。

いつどんな時でも神の召しにふさわしく歩む、そんな人生を自ら選び取っていきたいと思います。


ガラテヤ6:4
「自分の行ないをよく調べなさい。そうすれば、誇れると思ったことも、ただ自分だけの誇りで、

 ほかの人に対して誇れることはできないでしょう。」


 
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答えてくださる神。

2019年04月12日 | キリスト教

「主よ、王に勝利を与え/呼び求める我らに答えてください。」
               詩編 20篇 10節

あなたはどんな一生を送りたいと思いますか。泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生。

太く短くという人も、細く長くという人もおられるでしょう。

しかし聖書は、「平安で静かな一生」を送るのが神の御心だといっています。

振り返ってみると、人間は昔から、争い、奪い合い、殺し合って戦争の歴史を続けてきました。

こんなに素晴らしい頭脳と知性を備えられ、神に似せて作られた人間が辿って来たのは戦争の歴史なのです。

その根本は、人が神に背き、神を退けて、自分勝手な欲望だけを満足させようとする罪の道を歩み始めたからです。

罪を悔い改めて、一人一人が神に立ち返る以外に平和への道はないのです。

大事なのは、「呼ぶときに答えてください」という祈りです。主に呼びかけて、主が答えてくださる、

そのような祈りに満ちた私た ちにしてくださいという願いです。

詩篇 20:8
「戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが、我らは、我らの神、主の御名を唱える」。

イザヤ31:1
「災いだ、助けを求めてエジプトに下り、馬を支えとする者は。彼らは戦車の数が多く、

騎兵の数がおびただしいことを頼りとし、イスラエルの聖なる方を仰がず、主を尋ね求めようとしない」。
 
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ただ信じなさい。

2019年04月05日 | キリスト教
「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」
                ヨハネ 14章 1節
 
十字架を目前としたイエスは、弟子たちを置いてどこかへ行ってしまうと言われたので、

弟子たちの心が騒いでいたのでしょう。でも、弟子たちだけででなく、

私たち誰にでも同じような経験があるのではないでしょうか。

日々の歩みには心を騒がせるようなことがあまりにも多いのです。強くありたいと思いながら弱く、

うまくやりたいと切に思いながら失敗してしまう。

愛し愛されたいと思っていながら身近な人とさえうまくいっていない。

環境も私たちの心を騒がせる要因となります。経済的な悩みや心配、病気の苦しみや思い煩い、

生別死別の苦しみ。また、将来を思うと、その不安定さで不安になる。

イエスはこんな私たちに対して、「心を騒がしてはなりません。神の力と愛の約束を思い出し、

100 パーセント信頼してそれに打ち勝ちなさい」と力強く言われるのです。

そして約束はこう続きます。「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、

あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。

わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。

わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。わたしの行く道はあなたがたも知っています。」

イエスは「場所を用意しに行く」と言われる。イエスは、これから受ける苦しみ(十字架の死)

と栄光(復活)を、弟子たちが父の家(神の国)に入ることができるようになるための準備

として考えておられる。しかし、今の弟子たちには理解できなかった。

後になって聖霊によって理解を得ることになるのです。

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