マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

期待の約束

2025年04月04日 | 日記

 

「彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死なく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」

                                           ヨハネの黙示録 21章 4節

 

究極の慰めが、新しいエルサレムにおいて与えられます。

私たちがこの地上に生まれてくるときから持っている矛盾、つまり生まれてきたのに、死ななければいけないという矛盾の中で、私たちは悲しみ、叫び、苦しみます。

イエスさまが、ラザロの死を悼むマリヤの姿を見て、涙を流され、憤られましたが、それは死が人類に対して、どうすることもできない叫びと悲しみをもたらすからです。

けれども、イエスさまが死に打ち勝たれて、打ち勝たれただけではなく、最後にはこのように死そのものが滅び去るのです


そこであなたに 神がともにおられるという 慰めの讃美をお贈りします

 

「 なぜ 」
         作詞    津村 とみえ  ・   作曲    大本 きよし
                      
    1  なぜ  うつむいているの  寂しい顔をして  いつしょに行きませんか  イエス様のそばに
       

         ※  知ってください あなたのために  十字架負われた イエス様の愛を
   

    2   なぜ  泣いているの  いっぱい涙をためて  いっしょに歌いませんか  イエス様をたたえて

                    ※        折り返し

    3   なぜ  嘆いているの  心を痛めて いっしょに祈りませんか  イエス様を信じて
        
                    ※        折り返し

          すべのクリスチャンの願いです。まだ主がよく分からないという、あなたへ贈ります。

 

 

 

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どっちにつきますか

2025年03月28日 | キリスト教

「わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、

わたしに仕える者もいるべきです。  もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。」     ヨハネ  12:26

 

現在、地球には、何十億人という人がいます。

それらの人を大きく二つに分けるとすると、次のように分けることができます。

一組は、イエス様を信じている人たちです。もう一組は、イエス様を信じていない人たちです。

そして、私たちは、このどちらかに属します。どちらに属するかは、とても大切なことです。片足をあちらに、もう一方をこちらにしていると疲れますよ。

 

「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。

このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。」

                                                 黙示録 3:15 ~16 

                                                   

主に出会ったと言うことは大変素晴らしく、感謝してもし尽くせないものです。信仰の先輩そして影で祈り支えてくれた信仰の友に感謝。

しかし、この友だちに出会っただけでは不完全です、自身が悔いて神の前にひれ伏し、主を体験的にお迎えしなければならない。

 

あなたは真実にどちらに属しておられますか。今はやりのニューハーフであってはならないのです。今日、潔く主に平伏しましょう。

「 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」  マタ イ 11:28

 

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私の子たちへ

2025年03月21日 | キリスト教

「しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。」
            

                                   Ⅰコリント 8章 3節


まず知っておきたいことは

神を知るのではなく、神に知られているとあります。愛するご自分の子どもとして、知られていることを。


少しおませな子、少しおくての子、少しヤンチャな子、少し消極的な子、突走てしまう子、賢い子、楽しい子、愉快な子、

できる子もできない子も、み~んな、私の子。

 

でも、私としては少しもどかしく思うと神は言われる。

子たちよ、何故、私の前に出るのに、取り繕っている、何故、構えて私の前に来てまで、善い子ぶるのでしょう。

 

こんなにも、私はお前たちを愛しているのに。さあ、そのままでいいからその笑顔を私に、見せておくれ。
   
              愛するすべての子達へ          天の父より

  

まず神が私を愛された、私が神を愛したからではなく、私の良い所だけを見られたのでもなく、善い所も悪い所もすべて知ったうえで、私を招いてくださっています。

いや、私だけではなく、この記事に目を留められたあなたも神はそのままで良いから来なさいと招いておられます。    

 

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一番大切なもの

2025年03月14日 | キリスト教

いのちは食べ物よりたいせつであり、からだは着物よりたいせつだからです。

                                 ルカの福音書 12章 23節

それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。

そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』

そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。

そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』

しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。

そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』

自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」

それから弟子たちに言われた。「だから、わたしはあなたがたに言います。

いのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのことで何を着ようかと心配したりするのはやめなさい。

いのちは食べ物よりたいせつであり、からだは着物よりたいせつだからです。

 

 では、信仰を持てばその段階で愚かさと決別できるのでしょうか。

残念ですが、それは 「 否 」 です。クリスチャンであるキリスト者も、愚かになり得るのです。

その場合の愚かさとは、思い煩い、または心配という形で現れます。このことは主を絶対的に信頼していない証拠でもあります。

あの信仰の偉人である、ウェスレーは 「 何はともあれ、あなた方は、神の国を求めなさい 」この原則を適用して祝福を得た一人でした。 

   

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覚有情

2025年03月07日 | キリスト教

わたしがフェイスブック で 毎週シリーズで 投稿している 「 覚有情 」から少し お贈りします

 

「 覚有情 」
          ( 約束 ) 
・・  ロマ 8:28 

「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、

         すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」

・・  神のための益か

・・  私のための益か

・・  ここには 大きな隔たりかあるように見えるが

・・  真実は どちらも神の栄光となるという事です。

・・  私の喜びは   神の喜び  という自負はありますか

・・  理解不能だが  神の計画があることを知ろう 

・・  神を信頼して 神に主権を明け渡していこう

・・  もうすでに御存知だと思いますが もう一つ知ることがあります  

・・  神はとてつもなく あなたを愛しています

・・  この神を 「 知的知識 」としてではなく 

・・  「 体験をした 知識 」となられますように

・・ シャローム そして マラナ・タ

 

 

    「 覚有情 」

        ( 試練と守りの恵み )

・・  詩編 41:4 

「主よ、その人が病の床にあるとき、支え/力を失って伏すとき、立ち直らせてください。」

・・  突然ですが 

・・  モーセとダビデとパウロの共通点は 何でしょう

・・  それぞれは 人の命を奪ったということ

・・  しかし真に悔い神の前に出た時 神はそれ以上に彼らを用いました

・・  なぜなら 彼らは自分の罪というものを 知らされ 悔い改め神に委ねたから

・・  父なる神の赦しと癒しは底知れずです  神が言われる通り 「慰めと愛しみは尽きない」から

・・  Ⅱコリント 12:9 
    すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。

    だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。


   私たちも、ありのままの罪のある姿のままで 神からのあわれみを乞うことができますように   

 

 

 

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