マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

信じなさい

2017年05月25日 | キリスト教

「 心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」

                               ヨハネ 14章 1節

「どんなことがあっても、心配したりあわてたりしてはいけません。 神を信じ、何もかも、わたしに任せなさい。」

                                同 リビングバイブル

 

十字架を目前にしたイエスは、弟子たちを置いてどこかへ行ってしまうと言われましたので、

弟子たちの心が騒いでいたに違いありません。

でも、弟子たちだけでなく、私たち誰でも同じような経験があるのではないでしょうか。

この人生には心を騒がせるようなことがあまりにも多いのです。

強くありたいと願いながら弱く、うまくやりたいと切に願いながらボロボロ失敗してしまう。

愛し愛されたいと思いながら身近な人とさえうまくいっていない ・・・・・・ 。

環境も私たちの心を騒がす要因となります。経済的な悩みや心配、病気の苦しみや思い煩い、

生別死別の苦しみ、また、将来を思うと、その不安さに不安になります。イエスはこんな私たちに、

「 心を騒がせてはなりません。神の力と愛の約束を思い出し、神を100パーセント信頼してそれに

打ち勝ちなさい。神を信じなさい。私を信じなさい」 と力強く言われるのです。

 

哀歌  3:57

「  私があなたに呼ばわるとき、あなたは近づいて、『恐れるな。』と仰せられました。 」

イザヤ 41:13

 あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、「恐れるな。わたしがあなたを助ける。」と言っているのだから。」

 

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祈りとは

2017年05月19日 | キリスト教

「私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、主よ。」

                                                   詩編 19編 14節

ユダヤの人々が贖い主と言うときは、自分が窮地に陥り、全財産を失い、自分の身まで奴隷として売り渡さなければならないようなとき、

犠牲を払ってまで買い戻し、助けてくれる親戚のことなのです。私たちにとっては、命を投げ出し、全身の血を流し切って、

滅びから、裁きから救ってくださるイエス・キリストこそ贖い主です。そんな贖い主に、「私はこんなことをしました。認めてください」と、

まるで商取引のようには祈りません。私たちには差し出すべきものは何もなく御前に祈る祈りの言葉をお受け下さいと祈るばかりです。

心の底から沸き上がる信頼、願い、感謝と礼拝の思いと言葉だけしかありません。しかし、神はどんな供え物にも勝って、

遜った信頼と祈りをお受け下さるのではないでしょうか。そのためには、贖い主なる、主の赦しと助けが必要なのです。

ロマ 12:1

「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。

あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」

 

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共に歩く

2017年05月12日 | キリスト教

「 彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、

昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。」

                                         イザヤ 63章 9節

私の知っている神は、私たちを遠くから眺めて、苦しんでいる私たちに、更に教訓を与えるような神ではありません。

一緒に悩み、苦しみをその心でまた体で感じてくださる神です。そう私たちの悩みと悲しみ、苦しみを神は無視することはできずに、

共に悩み苦しんでくださるのです。神は私たちの悩みと苦しみの中に入ろうとしているのです。そして、この悩みを理解してくださり、

あなたにとって一番良いことはと、どうしたらよいのかを一緒に考えて下さり、そこから救い出して、

さらに、罪の中に欲望の奴隷になって自分を失っている者を神は代価を支払って買い戻して、生き生きとして自由なあいのある、

人生に変えてくださるのです。

それがここに言う贖いと言うことです。このことが最もよくあらわされているのがイエスの十字架の死です。

神は常に私たちを見守っていてくださるのです。感謝。ハレルヤ。

 

ヘブル 4:15

「 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、

   すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」

ヤコブ 1:13

 だれでも誘惑に会う場合、「この誘惑は、神からきたものだ」と言ってはならない。神は悪の誘惑に陥るようなかたではなく、

また自ら進んで人を誘惑することもなさらない。 」

 

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大きな違い

2017年05月05日 | キリスト教

「 もし、ほんとうにあなたがたが、聖書に従って、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という最高の律法を守るなら、

あなたがたの行ないはりっぱです。 」                  ヤコブの手紙 2章 8節

 

神は人をご自分の姿にかたどって造り、その上自由意志というものを与えれました。そして、人は神に逆らうことを覚え、

そのために、自分自身をも滅ぼすことさえできるようになりました。この事は一つの大きな謎と言うます。

現代の私たちの目前で見られるさまざまな現象はこの謎の恐ろしい一面ではないかと思います。

しかし人はまた他方で、この自由意志によって、自ら進んで神に仕え、隣人のために尽くし、

永遠の救いを勝ち取ることもできるのです。なんと大きな違いでしょうか。

神からいただいた「自由」を自由に使いこなすことは悪いことではありませんが、一致、真理、そして隣人への愛のため自らの自由を

放棄できるのならば、これこそが自由の最も素晴らしい使い方と言えるのではないでしょうか。

今日知ることは、あなたがたこそ、互いに愛し合うことを神から教えられた人たちです。なぜなら、与えられた聖霊によって、

神の愛が私たちの心に注がれているからです。 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。

あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

 

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