「また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をすることを志し、
自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。」
Ⅰテサロニケ 4章 11節
この勧めの理由は、主の再臨の教えを誤解して、自分たちの生活のための職業を放棄して、
兄弟愛を当てにし、それに依存する「ぶらさがり現象」が起こり始めたことにあります。
主の再臨の教えがそうした誤解を生まないようにするために、
パウロはここであえて自分の仕事に身を入れ、自分の手で働くことで、
「落ち着いた生活を、熱心に求める」ように命じたのです。
これは今日の私たちにおいても有効な勧めです。そして、私たちは主が近いことを知って、
そこで自分が従事している仕事をきちんと行なっていることが大事なのです。
Ⅰテサロニケ 4章 12節
「外の人々に対してもりっぱにふるまうことができ、また乏しいことがないようにするためです。」
外の人々というのは、教会外の人々ということです。経済的にしっかりと自立して、それで教会外の人々にも、
きちんとしていることを見せることができるようにしなければいけない、
ということです。これが、ますます愛し合うことの一貫となっています。
人生の仕事や事業に成功するには、運・鈍・根の三つの条件が揃うことが、
必要であると言われています。まず「鈍」ですが、にぶいと書きますが、
本当は才能や能力を指している言葉で、劣っているという意味ではありません。
「根」とは根性という意味です。どんなに優れた才能に恵まれていても、
根性や意地をもって持続的に努力するのでなければ、どんな優れた才能も宝の持ち腐れに終わってしまいます。
そして、「運」ですが普通これは幸運の意味です。運命は宿命ではありません。
運命は自らの思念が創造して像している者です。不運その原因は物事を暗く否定的に考え、
文句ばかり言う、そのことに気づいてからは、何事も肯定的にとらえ感謝し祝福することにしました。
そうすると驚くほど幸運に恵まれることがわかりました。