マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

教会の顔として

2021年08月13日 | キリスト教

「また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をすることを志し、

自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。」

           Ⅰテサロニケ 4章 11節

この勧めの理由は、主の再臨の教えを誤解して、自分たちの生活のための職業を放棄して、

兄弟愛を当てにし、それに依存する「ぶらさがり現象」が起こり始めたことにあります。

主の再臨の教えがそうした誤解を生まないようにするために、

パウロはここであえて自分の仕事に身を入れ、自分の手で働くことで、

「落ち着いた生活を、熱心に求める」ように命じたのです。

これは今日の私たちにおいても有効な勧めです。そして、私たちは主が近いことを知って、

そこで自分が従事している仕事をきちんと行なっていることが大事なのです。

 

Ⅰテサロニケ 4章 12節
 「外の人々に対してもりっぱにふるまうことができ、また乏しいことがないようにするためです。」

外の人々というのは、教会外の人々ということです。経済的にしっかりと自立して、それで教会外の人々にも、

きちんとしていることを見せることができるようにしなければいけない、

ということです。これが、ますます愛し合うことの一貫となっています。

 

人生の仕事や事業に成功するには、運・鈍・根の三つの条件が揃うことが、

必要であると言われています。まず「鈍」ですが、にぶいと書きますが、

本当は才能や能力を指している言葉で、劣っているという意味ではありません。

「根」とは根性という意味です。どんなに優れた才能に恵まれていても、

根性や意地をもって持続的に努力するのでなければ、どんな優れた才能も宝の持ち腐れに終わってしまいます。

そして、「運」ですが普通これは幸運の意味です。運命は宿命ではありません。

運命は自らの思念が創造して像している者です。不運その原因は物事を暗く否定的に考え、

文句ばかり言う、そのことに気づいてからは、何事も肯定的にとらえ感謝し祝福することにしました。

そうすると驚くほど幸運に恵まれることがわかりました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

確信を

2021年08月06日 | キリスト教

「神は、みこころのままに、

 あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」

                       ピリピ 2章 13節

 

私たちの内に一つの志、意志が与えられます。意志に働きかけられた神は、

その事柄に力を与えて、事を実際に行うことができるようにしてくださいます。

ですから能動的であり、活動的です。

神が働きかけて、そこで私たちはその働きに乗るために、

自分というものが清められて、練られて、そして砕かれて、

主のなさりたいことの器として整えられていきます。

 

私たちは、生きる目的、私たちの果たす使命というものをもう一度、確認したいと思います。

生きる目的が自分のものになっていないと、私たちの歩みは迷いが生じます。

また、理想的な響きを持つものであったとしても、それが人から押し付けられたものであると、

本当の自分の力を引き出すことができません。

どんな大きな目標も、出発点はいつもありのままの自分自身であることを忘れないようにしたいと思います。

自分抜きの人生は自分の人生ではありません。人生の主役は自分であって、

神が、自分ために特別な人生を用意してくださっているのです。

自分以外の人で、どんな立派な人であっても、自分の人生を歩むことはできないのです。

 

主が自分に願いを置いてくださっていることを、私たちは確信を持つべきです、

そして、それをつぶやかずに、疑わずに行なうのです。

すると、このことを始められたのは神ご自身なのですから、

神はかならず、それをキリストの日までに完成してくださるのです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする