マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

知っておられる。

2020年08月28日 | 聖書

「わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに/主よ、あなたはすべてを知っておられる。」

                     詩編 139篇 4節

この詩編のことばは、紀元前九百年ごろの信仰者の叫びです。

人がどこへ逃れようとも、神からは逃れない事が書かれています。

人は孤独であり、また社会的なものと言われています。

家族、友人、仲間と共に生きていくなかで、自分の失敗、

あるいは全くの誤解で周りの人から排斥され、孤独になってしまう場合があります。

そんな時に一番の助け手となり、ゆっくりと悩みを聞いてくれるのは、

忍耐と愛に満ちた親、兄弟、夫婦、仲間や友人でしょう。

しかし、その交わりの中にあっても、孤独のどん底で悩む者にとっては、

本当の意味での支え手とはなり切れないかもしれません。

しかし、神が共にいてくださる以上に心強いことはないでしょう。

この口から言葉が出る前から私の考えを知っておられるからです。

この世に生まれる前から、神はあなたを見守ってくださっているということです。

 

私たちは自分の内に相矛盾した二つの面を持っています。

ひとつは、孤独のゆえに、「自分を知ってほしい」という面であり、

もうひとつは、恐れのゆえに「人に自分のことを知られたくない」という面です。

神は私たちのすべて(良い面も悪い面もすべて)知った上で、私たちとかかわってくださいます。

それは、私たちが神とのかかわりなしに生きることはできない者だからです。

あなたも安心して神の前に進み出ましょう。シャローム  そして  マラナ・タ

 

マタイ6:8
「あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。」

 

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真の勝利とは。

2020年08月21日 | キリスト教

「神と共に我らは力を振るいます。神が敵を踏みにじってくださいます。」

       詩編 60篇 14節

神に任せきり、神と共に歩むとき、私にだって力ある働きができるのです。

それでは、「力ある働き」とはどんな働きでしょう。

第一に、エネルギーに満ちた、生き生きとした働きではないでしょうか。

朝ごとに、神から、愛や慰めや励まし、いのちの力をいただいて目を輝かせて働くのです。

 

第二に、世間の言う大事業、大成功とは違うかもしれませんが、人の役に立つ、

神に喜んでいただける、永遠につながる価値のある働きではないでしょうか。

神の目から見る偉大さと、人の考える偉大さは何と違うことでしょう。イ

エス・キリストは偉大な者になろうと思うなら、仕える者になりなさいと言われました。

私たちは、神を信じることによって、神に祈ることによって、

また神を愛し、神に従うことによって「力ある働き」ができるのです。

また、イエスは言われました。

「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」

このくらいのことだったら自分にもできる、と思ってしまうことが私たちには無いでしょうか。

また、ピリピ人へのパウロの書簡には、「私は、私を強くしてくださる方によって、

どんなことでもできるのです。」とあります。

自分で勝手にできないと思い込んで、主のみこころを求めるのを止めてしまうことはないでしょうか。

 

聖書個所  ヨハネ15:5  ビリピ 4:13 
 

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十分です。

2020年08月14日 | キリスト教

「すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。

      力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。……。」

                         Ⅱコリント 12章 9節 

私たちは自分の都合のよいことばかり願い、また、それを叶えることが神の仕事であるかのように考えがちです。

病気を癒してください。お金が与えられるようにしてください。この苦しみを取ってください … など。

願うことは決して悪いことではないのですけれども、その後に「しかしながら、御心のままに」と付け加えることを忘れてはいませんか。

そして神は言われるのです。「あなたには、私の恵みで十分である」と。神の愛というものは、

人間を不幸、災難、苦しみから遠ざけることにあるのではなく、

それらの試練に耐える力を添えてくださることにあります。誰しも試練から逃れたいと願いますが、

にもかかわらず、与えられたときには、神の愛に信頼して乗り切っていきたいと思います。

神は、私たちの夢、野心、期待がそがれていき、これでもかと言わんばかりに、私たちを低くされますが、

神からの苦難は私たちに対しての励ましであり慰めでもあることを覚えたいものです。シャローム。

 

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口が

2020年08月08日 | キリスト教

「 口をもって犯す過ち、唇の言葉、傲慢の罠に/

    自分の唱える呪いや欺く言葉の罠に/彼らが捕えられますように。」

                    詩編 59篇 13節

 口はわざわいの元と言いますが、

その第一は「高慢な言葉」です。チョトした言葉の端々に人を見下ろす心が出ます。

人を見下す言葉は、人と人との心の通い路をシャットアウトし、

また、自分では永遠に気づかないかもしれませんが、人の心を傷つけています。

 

第二に、「のろい」です。呪いの言葉は、私たちが思う以上に私たちの口から出ているものです。

恨みごと、裁きのことば、皮肉、トゲのある憎しみに満ちたやり返すことば、

ことば … 悪が悪を生む口の罪はのろいです。

 

第三に、「あざむき、よこしま」です。人の美点を見つけいそれを褒めることは、

気持ちの良い事です。心が通います。

しかし、あざむき、よこしまと言うのは口先が巧みで心のねじけていることです。

まず動機がいけないのです。自分を偽り他人を偽ることです。愛も平和も生まれません。

イエス・キリストは私たちの心をきよめてくださいます。この方にならっていきましょう。

 

 エゼキエル 33:31

「彼らはもっともらしい顔をしてやって来る。 そして、あなたの前に座って聞くだろう。

だが、わたしが言うとおりにする気はさらさらない。 口では、いかにも調子よく、

わたしを愛しているようなことを言うが、その実、心は金銭欲でいっぱいだ。」

 

 Ⅰヨハネ 3:18 
「幼い子供たちよ。 口先だけで人を愛するのではなく、真実をこめて愛し、

実践によって、神様の愛を示そうではありませんか。」 

主イエスのあわれみがあなたがたを強くされますように。シャローム

 

 

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