「貧しい人々は、幸いである、/神の国はあなたがたのものである。」
ルカの福音書 6章 20節
今通りゆく人たちにこう言う質問をしたら一体どういう答えが返ってくることでしょう。
「 あなたにとっての貧しとはなんでしょう。」 今私たちの生活は必要最低限の衣食住は守られています。
「 衣食足りて礼節を知る 」 と言うことばがありますが、
本当に貧しいのは心と心の貧しさ、人を思いやることの貧しさ、優しい言葉をかけることのない貧しさなどではないでしょうか。
マザー・テレサは、インドのカルカッタのロレット修道院の経営する学校の教師でした。そこには美しい庭があり、
中流階級の子供たちが学んでいました。しかし、修道院の外では、食物のない人々、家のない人々等々、
貧困の世界がありました。
マザー・テレサはこの状態に心を痛めていました。そしてあるとき、「 貧しい人の中の一番貧しい人に仕えよ 」 と言う
神の声を聞き、修道院を出る決心をするのです。わずかなお金をもってカルカッタのスラム街へ入っていきます。
カルカッタのひどい貧困に対し、一人で何ができるだろうか ? と思わなかったのでしょうか、そのような質問に対し、
「 あの方であって、わたしではない。その時確かでしたし、今でも確信しています。 」 と答えています。
自分がするのではなく、イエス様がなさる、と言うことです。そして、マザー・テレサを用いて、イエス様がなさったみわざを、
今わたしたちは見ているのです。
聖書の約束から少し
「 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、
キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、
私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」
ガラテヤ 2:20
「 あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、
あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」
Ⅱコリント 8:9