マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

私ではなく

2015年04月24日 | 聖書

 

 「貧しい人々は、幸いである、/神の国はあなたがたのものである。」

                                             ルカの福音書 6章 20節

今通りゆく人たちにこう言う質問をしたら一体どういう答えが返ってくることでしょう。

「 あなたにとっての貧しとはなんでしょう。」 今私たちの生活は必要最低限の衣食住は守られています。

「 衣食足りて礼節を知る 」 と言うことばがありますが、

本当に貧しいのは心と心の貧しさ、人を思いやることの貧しさ、優しい言葉をかけることのない貧しさなどではないでしょうか。

マザー・テレサは、インドのカルカッタのロレット修道院の経営する学校の教師でした。そこには美しい庭があり、

中流階級の子供たちが学んでいました。しかし、修道院の外では、食物のない人々、家のない人々等々、

貧困の世界がありました。

マザー・テレサはこの状態に心を痛めていました。そしてあるとき、「 貧しい人の中の一番貧しい人に仕えよ 」 と言う

神の声を聞き、修道院を出る決心をするのです。わずかなお金をもってカルカッタのスラム街へ入っていきます。

カルカッタのひどい貧困に対し、一人で何ができるだろうか ? と思わなかったのでしょうか、そのような質問に対し、

「 あの方であって、わたしではない。その時確かでしたし、今でも確信しています。 」 と答えています。

自分がするのではなく、イエス様がなさる、と言うことです。そして、マザー・テレサを用いて、イエス様がなさったみわざを、

今わたしたちは見ているのです。

聖書の約束から少し

「  私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、

キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、

私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」  

                                              ガラテヤ 2:20

「  あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、

あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」

                                              Ⅱコリント  8:9

 

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叫びたい。

2015年04月17日 | 聖書


「 私の叫びに耳を留めてください。私はひどく、おとしめられていますから。

                       どうか、私を迫害する者から救い出してください。彼らは私よりも強いのです。」

                                              詩編 142編 6節

人にひどくばかにされたり、見下された、無視されたと感じたことはありませんか。

そんな時、どうしていますか。空に向かって 「 くそー 」 て叫びますか。しかしその叫びて何の慰めももたらさ無くって、

だだ無性に空しくなるだけという経験をしたことがありますか。嫌なものですね。

でも、そのような 「 被害者意識 」 は余計に悲しくなります。しかし、それは往々にして、私たちのヒガミである場合が

多いのではないでしょうか。ハッキリと言って、他人さんはそんなに私たちのことに関心はないのです。

( 誰でも一番興味があるのは自分自身のことです。) それなのに、ヒガミ根性でひどく貶められたと感じて、

その人を恨み怒り、復讐心に燃えるような攻撃的態度を取ったり、へたばってしまうこともありますが。

ひがんだり、怒ったり、ぺしゃんこになったりした方が負けです。

( もしかしたら、相手には何も伝わらなくって、なんで怒っているのかなて、気にもしていなかったりします。 )

そんな自分に勝つ方法は。

第一にどんな時、どんなところでも神を認めること、

第二に、神を恐れて悪から離れること、

第三に、心を尽くして神により頼むことです。そのとき、神はあなたの道をまっすぐにし、あなたの頭を高く上げてくださいます。

神を知り自分のことを神から教えていただくのです。

「 わが神、主よ、ただ僕の祈りと願いを顧みて、僕が御前にささげる叫びと祈りを聞き届けてください。」 Ⅱ歴代  6:19

「  わたしの魂よ、再び安らうがよい/主はお前に報いてくださる。」  詩編 116:7

「 この身とこの心とは尽き果てましょう。しかし神はとこしえに私の心の岩、私の分の土地です。」  詩編 73:26

「  私の神、主よ。私があなたに叫び求めると、あなたは私を、いやされました。 」  詩編 30:2

 

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兄弟姉妹

2015年04月10日 | 日記


「 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。」

                                           ロマ 12:10

ここに求められているのは、弱々しい愛ではなく、心からあふれる愛です。それによって私たちの心は、

他の人々の悲しみが自分の悲しみであるかのように私たちを傷つけ、

他の人々の繁栄が自分のものであるかのように私たちを喜ばせる証拠を得ます。

それはちようど、両親が子供の順調なときに喜び、失敗したり、堕落したときに非常に悩むのと同じです。

しかもこの場合、私たちは「自分のようにあなたの隣人を愛せよ」マルコ12:3 と言う戒めを実行することには、

まだはるかに及ばないことを学ばせられるのです。愛することは実に大きなことです。

父が子を愛するように愛することは、すべてのうちの最大のものです。

ただこのようなことは容易なことではなく、謙遜と、他者を認めて、尊敬する気持ちがなくでは永続しないのです。

しかし私たちに与えられているのは、神を父とし、互いを兄弟姉妹とする親しく新しい家族的交わりを求るならば

この世から争いがなくなることでしょう。

「 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。 」 ピリピ 2:3

「 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。」    Ⅱペテロ 1:7

「 ・・・・ 。あなたがたこそ、互いに愛し合うことを神から教えられた人たちだからです。 」  Ⅰテサロニケ 4:9

 

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新しい歌

2015年04月03日 | 聖書


 「 新しい歌を主に向かって歌え。全地よ、主に向かって歌え。 

     主に向かって歌い、御名をたたえよ。日から日へ、御救いの良い知らせを告げよ。」

                                           詩編 96編 1~ 2

私は福音を聞いて水の洗礼を受けてキリスト・イエスを心にお迎えし、聖霊のバプテストを受けたとき、

溢れるような喜びを体験しました。そして父なる神を賛美する新しい歌が湧き出てきました。

古い歌を新しい感激を持って歌えるようになりました。

誰でも自分の先祖が猿だとは思いたくないでしょう。( いや最初はアメーバ―の様なものだともそれから進化した。ホント ) 

聖書は創世記の中で、神は全てのものをその種類に従って造られたと記しています。

私たち神によって創られた被造物は、造り主である神に向かって歌います。

なぜなら、神は私たちを愛し、また交わりの中に入れるために私たちをつくられたのですから。

命なる神を賛美します。それは祈りであり、感激と喜びを表すものです。この詩編二十二編には、

神はイスラエルの讃美を受ける方と記しています。イスラエルとは神の王子、信仰を持って神に従う者の意味です。

神は信じる者が讃美を捧げるところに来てくださいます。

「 ・・・。「わがたましいは主をあがめ、 わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。」 ルカ 1:46 ~ 47

「 ・・・、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。」 ヨハ 15:11

「 ・・・ 、命に至る道をわたしに示し、/御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。』」    使徒  2:28

 

 

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