マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

祈り

2015年01月30日 | 聖書


 生涯、神に従う者として栄え/月の失われるときまでも/豊かな平和に恵まれますように。」

                                            詩編 72編 7節

これは公正と平和を願う祈りです。 (今この地球全体の願いでもあります。) 

天国のイメージ、神の国のシンボルは、公正と平和だと言うことができると思います。

私たちが国民として願うことも、この社会に公正と平和が行われることでしょう。

要領よくやり、またごり押しをして得をした人もいれば、正直者は馬鹿を見ると言うことも現実です。

ですから、この世に対して公正を求めて行っても限界があります。(今は悪が栄えていますが、神の国ではこの逆です)

しかし神は決して偏り見る方ではありません。今不公平だと思える事にも、

神は必ず公正さをもって結末をつけてくださるのです。

そして「平和」とありますが、聖書ではキリストこそ「平和の君」だと言われています。

このキリストを私たちの心の中に迎える時、どんな中にあっても潤いを与えて平和にさせていただけるのです。

「 もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。」

                                                        ルカ 19章 42節

「 彼らは平和の道を知らない。」                                    ローマ 3章 17節

「 平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。 」       マタイ  5章 9節

 

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足跡

2015年01月23日 | 聖書

 

「 主よ。なぜ、あなたは遠く離れてお立ちなのですか。苦しみのときに、なぜ、身を隠されるのですか。」

                                                   詩編 10編 1節

見ず知らずの道でも。

寂しい道でも

人目につかない場所でも、

ひとりで歩いているのではない、

あなたの足跡が近くにあるから。

虐待された人々はみな、主のもとに来ます。 主は苦しんでいる人々の隠れ家です。」

                                             詩編 9編 9節

神を見ることができなかったら、

話しかけてみよう。

神が見えなくとも、

そこにおられることがわかっているように語りかけてみよう。

必ずこたえが聞こえてくるはず。

わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。

わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」  ヨハネ 14章 3節

 

 

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生きるために

2015年01月16日 | 聖書

自分の命が後いくばくも無いと知ったときに神に祈った言葉。

       「 私の命は一年です。あなたの成しうる限りに、私を用いてください。」 ジャンヌ・ダルク

 

 「  アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。

  しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)」      塚本訳 ヨハネ 12:24

 

 十字架を目の前にされたイエスはここで死んで生きる生き方を教えられました。自我の追及をやめ、自我に死ぬ生き方こそ、

実り多き生き方だと教えられたのです。( 自我・利己主義について。安全でありたいという欲求に動かされて、自分の出世と

自分の身の安全、この二つが生を駆り立てる力、 )

 

 それに続いて、イエスはここで 「 仕える 」 生き方を教えられました。救世軍の創設者ウィリアム・ブースも

「 私たちが救われたのは仕えるためだ 」 と言いました。人のその生き様は、その人が何のために命を捧げるか、

何に仕えているかで決まるといった人もいます。金銭に仕え、金の奴隷となり、肉欲に仕える人は「 ほろび」 の道をたどります。

 

 しかし、神とその愛に仕える人は天国 (神の国・王国) の報いを受けるのです。イエス・キリストに仕える、愛といのちに仕えると

は、いつもイエスと共にいて、いつもイエスのことば、神の言葉を聞くことです。そして聞いたら素直に従うことです。

 

       「 (十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、

        わたしのために(この世の)命を失う者は、 (永遠の)命を得るのだから」  塚本訳  マタイ 16:25

 

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あなたの人生は

2015年01月02日 | 聖書


「 あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。」

                                          ピリピ 2章 13節

まずこの書の最初の1章6節を見てみましょう。

「 あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、

           わたしは確信しています。」  1章 6節 とパウロは確信を持って語っています。

 

神はみ心のままに働いて志を建てさせ、事を行わせてくださるのです。私たちの心の中に、生きる目的、私たちの果たす使命という

ものをもう一度、確認したいと思います。

生きる目的が自分のものになっていないと、私たちの歩みには迷いが生じます。また、理想的な響きを持つものであったとしても、

それが人から押し付けられたものであると、本当の自分の力を引き出すことはできません。

どんな大きな目標も、出発点はいつもありのままの自分自身であることを忘れないようにしたいと思います。自分抜きの人生は自

分の人生ではありません。人生の主役は自分であって、神さまが、私のために特別な人生を用意してくださっているのです。

私以外の人で、どんなに立派な人であっても、私の人生を歩むことはできません。

要は誰の人生を生きるのかと言うことなのではないでしょうか。これはあなたのただ一回限りの人生です。ただ、誰かのために働き

たいという善い思いを持つことは、神の喜ばれるところです。私たちが主を喜びとするとき、主は私たちの心に、ご自分の願いとして

そのことを行う力を表されるです。

 

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