マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

謙遜とは

2014年03月28日 | 日記

人は謙遜を口にしている時でさえ、高慢な時があります。

「 私どもは、自分を見てへり下るのではなく、十字架のあの方を、見てへり下るのである 
                                               マ―レ

人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。    箴言 18:12

謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。 箴言 22:4

それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。コロサイ 3:12

 平和な日々の中で、自己満足、無神論的世界観、物質万能主義の支配する今日この頃です。この風潮が、私たちの目をくらまして真実を覆い隠しています。もう遅すぎるという前に、今こそ襟を正しましょう。

 来るべき、神の大審判より救われる、安全地帯は、キリスト・イエスの十字架の贖いの他にはありません。

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私の確信

2014年03月21日 | 日記

 

・・・ 、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。

                                                            Ⅰサムエル 17章 45節B

  主は私の 牧者 であって、主は私と 共 に歩んでくださり、私が病み悩むときも 癒 してくださる神です。また、私が貧しく乏しいときにはあらゆる恵みょ持って 備 えてくださるから。私は声を大きく叫んで言います。主は私の頭の上にある 旗 ですと宣言するとき、主の 平安 が私のうちに満たされるのです。何故なら、わたしを守ってくださるお方は。 万軍 の主であり、全能 の神だからです。  

 牧者 ( ローイ )     主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。     詩編 23:1     口語訳
 
 共に ( シヤンマー )  その日から、「主がそこにおられる」と呼ばれる。           エゼキエル  48:35
 
 癒す ( ラファ― )    わたしはあなたをいやす主である。                   出エジプト  15:26
 
 備え ( イルエ )     「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。            創世記    22:14
 
 旗  ( ニシ )       モーセは祭壇を築いて、それを「主はわが旗」と名付けて、     出エジプト  17:15
 
 平安 ( シャローム )   それを「主は平安」と名づけた。                     士師記  6:24  口語訳

 万軍 ( ツェバォット )  万軍の主の名によってお前に立ち向かう。              Ⅰサムエル  17:45
 
 全能 ( シャダイ )    「わたしは全能の神である。 ・・・・ 。                  創世記    17:1

 ことばの前に、「 エル 」 または 「 ヤーウエ 」 または 「 エホバ 」 とつけます。例えば ( シャダイ ) の場合 エル・シャダイ となります。

              そして神は主キリスト・イエスを私に贈られた。ただただ感謝に尽きない。

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神のみ

2014年03月14日 | 日記

 

人は言う。「神に従う人は必ず実を結ぶ。神はいます。神はこの地を裁かれる。」             詩編 58編 12節  新共同訳

                                    

こうして人々は言おう。「まことに、正しい者には報いがある。まことに、さばく神が、地におられる。  詩編 58編 12節   新改訳

 物事を公平に正しく見極めることは必要ですが。あの人が悪い、この人が悪いと裁く態度は、裁く当人にとっても精神衛生上非常に悪いばかりか、時々問題を大きくしたり、物事を混乱させます。

 イエス・キリストは、あの有名な山上の説教の中で 「 人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。 」 ルカ 6:37  といわれています。

 パウロは言いました。人間が正しいとされるのは、決してやましいことが一つもないと言う自分の正しさによるのではない。人間の正しさなど、横の人と上辺だけの比較の問題にすぎません。人を正しくするのは神の愛、神の赦し、神の恵みだけです。自分の弱さ、小ささ、醜さをとことん認めて神の愛の中に飛び込むときだけ、人は 「 義とされる 」 のです。裁くのは神だけです。神は必要なとき、また最後に、裁き、報いてくださるのです。

 報いについて少し、

「・・・ イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分に報いてくださるように。」        ルツ 2:12  
                                                            
「・・・ 勇気を出しなさい。落胆してはならない。あなたたちの行いには、必ず報いがある。」             歴代下 15:7

「・・・  こうして人々は言おう。「まことに、正しい者には報いがある。まことに、さばく神が、地におられる。」   詩編   58:11

 終わりに、

「  あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。
                    しかし、人の子が来たとき、はたして地上に 信仰が見られるでしょうか
。」  ルカ 18:8 

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神の計画は

2014年03月07日 | 日記

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。 もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。

                                         エレミヤ書 29章11~13節

 問題が無くなった、嬉しい、これでさっぱりした、と喜んでも、また問題が次から次へ起きてきます。切がないですね。でもキリスト教の言う、問題が無くなると言うとは、神の平安あると言う事です。

もし、問題の中で揺り動かされない平安があれば、どんなに大きな問題が起きてきても、安心ですね。ただ、自分が強くなると言う事ではなく、問題を解決してくれる方に全幅信頼を置くということです。

まあ、他力本願と言えばそれまででけれども、このお方がまた力強いお方なのです。イエス・キリストの平安は、どんな苦しみ、また悩み中にあっも、変わらない平安 ( これをシャロームといいます。) を与えてくれます。この方を信じませんか。いや、この方のところへ来ませんか。主イエス・キリストはあなたを心待ちにしております。

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