「 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」
マタイ 6章 34節
「 明日の事を心配するのはやめなさい。 神は明日のことも心にかけてくださるのですから、一日一日を力いっぱい生き抜きなさい。 」
同 リビングバイブル より
「明日の悪を思い煩うな、今日の生命もわからぬ身。明日の生命がないならば、生きていない世の中を、思いを思い煩うことになる 」
ユダヤの諺より
不安な気持ちでいると心の中で神様の恵みや助けが働くことができません。また、不安な心境では問題解決に
つながるような有益なインスピレーション、つまりアイデアが生まれてくることはありません。
さらに不安は愛と正反対の感情なので、気持ちを不愉快にするばかりか、不安な状況を自分で作り出します。
その結果すべてがうまくゆかなくなり、自分自身ら対しても廻りの人々に対しても多大な迷惑を及ぼすことになります。
ですからキリストはしばしば思い悩むな、心配するな、恐れるな、心を取り乱すなと忠告されたのではないでしょうか。
そこで私は、日々の中や、仕事の中でも努めて心の平安を保つようにしてきました。それには万事を愛で考えることです。
愛の反対は不安ですが、愛があれば不安はなくなります。
「 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。
恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。 」 Ⅰヨハネ 4:18
「 神様を信頼し、いつも神様のことに思いをはせる者を、神様は何の心配もないように守ってくださいます。」
イザヤ 26章 3節 リビングバイブルより
終わりに、心配は、ほとんどが未来に関するもの、しかし未来は神の支配の中にあります。そして、思い煩いは、
性格の問題ではなく、信仰の問題、もし神の子と言われている私たちが思い煩うならば、
それは天の父を信頼していない証拠です。今日も労苦があることを覚えて、それも神の手にあることを覚えていたい。