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江戸開府400年

2010-02-07 23:38:40 | Weblog
2月4日に続いて、江戸開府400年について歴史散歩したいと思います。今年、4月白欧高校のPTAOBによる歴史散歩の会で品川宿を歩いた際、萱原元校長より説明された話をもとにお知らせします。

家康は江戸をなぜ選んだのか

天正18年(1590)、豊臣秀吉は関東の覇者・北条氏を滅ぼし関東を制圧。その後、東海5カ国を治めていた徳川家康は、関東7カ国(伊豆・相模・武蔵・上総・下総・上野・下野の一部)への国替えを命じられます。



そこで自らの居城を江戸に置くのですが、家康はなぜ北条氏の城があった小田原や由緒ある鎌倉ではなく、江戸を選んだのでしょうか?実は当初、家康は江戸に居城作を構えるつもりはなかったという話があります。
家康に江戸を拠点とするよう命じたのは秀吉ではないかというのです。江戸幕府編さんの『徳川実紀』(19世紀前半)によると、小田原城攻めの際、秀吉と家康の間で次のようなやり取りがあったというのです。
秀吉「小田原城を落としたら、この城は徳川殿に明け渡して進ぜよう。そうなったら徳川殿は、この城に住まわれるおつもりか?」
家康「さしあたりこの城に住むよりありますまい」
秀吉「小田原より東方に江戸という地があるが、景勝の地と聞く。徳川殿はそこを本城と定めるのがよろしかろう」
ライバルである家康を京から遠ざけるための秀吉の策略であるという説もあるようです。



週間江戸が創刊されてシリーズで江戸開府400年にふさわしい様々な角度から、江戸の研究を何回かに分けて出版されるようです。
参考になると思います。