ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

滅び得た者、滅び得ぬ者

2006-03-17 01:50:38 | 音楽論など

 初めて買った、というか買ってしまった民俗音楽のレコードと言えば、例のブライアン・ジョーンズ・プレゼンツの”Jajouka”だろう。晩年(と言うのも悲しいが)のブライアンがモロッコに赴き録音して来た、現地のトランス系(?)民俗音楽のアルバムである。

 ともかく60年代のローリング・ストーンズの、と言うよりブライアン個人のファンだったといっていい当時の私は、リアルタイムであのアルバムを買ってしまったのだ。まさか、いくらなんでも少しはロックな事をやっているだろうと現実を甘く見て。

 が、聴いてみると本当に民俗音楽のレコードで、なんだか訳の分からねー音楽がギッチリ詰まっている。呆れ果ててすべてを聴くことも泣く売り飛ばしてしまったのだが、今だったらそれなりに楽しんで聴くことも可能だろうなあ。なにしろモロッコといえば、マグレブ地域でも音楽的には特にお気に入りの場所だから。今の私には。

 とは思うのだが、そう思う頃にはその盤は手に入らない。いや、どこかで手には入るかも知れないが、なにやら版権問題でジャケットがオリジナルとは違うデザインになっている。何しろ縁起ものだから、そりゃしがないCDとはいえ、オリジナル仕様で手に入れたい。と思っているゆえ、”Jajouka”への再挑戦は、いまだならずにいる。

 ずっと以前、ブライアンを主人公のブラックジョーク小説を構想した事がある。

 ”事故にあわずに生き延びたストーンズのブライアン・ジョーンズが、ひょんなことから健全きわまるクイズ番組の司会者をする羽目になり、やけくそでしょうもないジョークを連発したらそれが逆に受けてしまう。ついには不本意ながらも全英のお茶の間の人気者になってしまい、なおかつその番組は好評のまま30年続く。いやいや続けたその番組の最終回の夜に・・・”
 なんてドタバタ・コメディで、まあ、結局、ものにはならなかったのだが。

 今、なんとなくテレビをつけたら、細野晴臣やキヨシローなんかが演歌歌手のなんとかいうコをボーカルに、”パープルヘイズ音頭”みたいなのをやっていたんで、そこはかとなく不愉快になる。
 まだ、そんなことをやっているのか。そんなのってさあ、もうやりつくされて手垢にまみれた、凄くありきたりなアイディアじゃないか。昔やっていた臨時バンドだかユニットだかの再結成というが、いまさら麗々しくそんなものを引っ張り出して、得意になっているんじゃねーよ。
 いやいや、こういった”功なり名を遂げた”ヒトビトってのはもう、ワシらの敵なんでしょうね。

 元気だった頃の寺山修司が、NHK教育テレビの”日曜美術館”に出て、シュールレアリズム画家のマグリットに関し、「かってはさまざまなイマジネーションの源となってくれたマグリットだが、いまやコマーシャルな世界においてそのイメージを流用され、退屈な日常の一部と化してしまっている。我々は今日、かって我々が愛した、あのマグリットの山高帽の紳士を敵とするところから、始めなくてはならないのではないだろうか」と発言していたのを思い出す。

 いや、それは今に始まったことではなく。
 かって、同じ時代を過ごした者たち。生き残った者たちの生き方は納得が行かず、支持する気持ちの続いている者たちは、もうこの世のものではなかったりする。いやいや。死者たちは、生の時間が短すぎてドジを踏む間もなかったという、ただそれだけの違いでしかないのか。