ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

見えない王国の歌

2010-07-22 04:50:13 | 太平洋地域


 ”Hawaiian Memories”by NA LEO PILIMEHANA

 ハワイの人気者女性3人組のコーラスグループ、”ナレオ”の2005年度作品。(グループ名は”"the voices blending together”を意味する、とのこと)
 このアルバム、そのほとんどが古くからハワイに伝わる伝承歌なのだそうで、実際、なだらかな起伏を描く流れるようなメロディののどかな曲が続き、大いなるハワイの自然と人々の心に包まれるようで、実に癒されるものがある。

 そもそもこのグループ、ただ音楽好きの女子高校生が集まり、自ら楽器を弾きながら遊びで歌っていたものが、コンテストで優勝したのをきっかけにプロの歌い手となってしまったなんて次第らしいが、いかにもそんな気安さが音楽の中に流れていて気持ちがいい。この種の楽園音楽で気張られたって扱いに困るからねえ。

 いかにもハワイと言っていいのか、それぞれにいくつもの民族の血が混交している感じのメンバーの顔立ちだが、その歌唱法は特に民族色を伝えるものではなく、ジャズ的というか平均的アメリカンポップスらしいもの。いかにもアメリカの平均的健全な家庭に育ったお嬢さんたち、みたいな空気がくっきり伝わってくる歌声だ。
 もともと、”本土”であるアメリカから伝わってくるポップスに心ときめかしていた彼女らなのであって、ナレオの3人は普段はそれらのものに大いに影響を受けた”ハワイ風のアメリカン・ポップス”を主に英語で歌っている。どちらかと言えば、それが彼女らの本来の顔なのである。

 そんな彼女らが20年に及ぶと言うキャリアの中でただ一枚世に問うた、ハワイ民族の血にかかわるアルバム、それがこの”ハワイアン・メモリー”だった。
 ナレオの三人の、澄んだコーラスによって歌い上げられる古い、はじめて聴くのに懐かしいような旋律は、その癒し効果によってこちらの心を包み込む。
 が、やがて私たちは知るのである。それら旋律の底に沈んでいるのは、失われたハワイ王国の哀しみの記憶である事を。 そいつはまるで”気配”と言ってしまえるような儚さだが、歌の中心に深い陰影を刻んでいるような気がする。


トッカータとフーガとパイナップル

2009-08-18 03:28:19 | 太平洋地域
 ”Ukulele Bach”by Herb Ohta

 ハワイ在住の日系二世のウクレレ名人、オータサンことハーブ太田が2000年に発表したアルバムなのだけれど、あんまり聴いた事のある人が、というか、このアルバムの存在自体を知っている人があまりいないみたいだ。
 どんな事情かなかなか発売にならず、オータサン自身もハワイと東京を往復し、結構めんどくさい思いをして吹き込んだこのアルバムが結局陽の目をみないのでは?と心配になったようだし、発売後も、まあマイナーなレーベルのせいもあろうが、あまり話題になったとも言いがたい。

 私にしてからが、ある通販サイトのカタログの端のほうに、あんまり売る気もなさそうに置かれているこれを見て、「へえ、こんなアルバムが出ていたのか」とそこで初めて知って買い求めた次第で。で、その後、すぐにそのサイトは”発売中止”の表示に変わっている。アマゾンとかでははじめから扱いはなかったようだ。
 とはいえ、私がここで話題にしたのがきっかけで、このアルバムが幻の名盤扱いで”発掘”騒ぎとなり、さあ、紙ジャケデジリマボートラ付きで再発売しろ!との音楽ファンの声が燎原の火のように広がる、なんて事にも、まずならないだろう。
 なぜならこれは、ウクレレ一本で弾いたヨハン・セバスティアン・バッハ作品集などという素っ頓狂な、かつ誰が面白がるのだ?みたいな企画盤であるからだ。

 トッカータとフーガ、ブーレ、シシリアーノ、なんてのから”主よ、人の心の喜びよ”なんて曲まで、よく知られたバッハの曲が何の伴奏もなしに全16曲、ウクレレ一本で演奏されている。ギャグなし、ギミックなし、実直な性格のオータサンらしい、誠実にバッハの作品と向き合った達者な演奏が収められている。
 けど、使用楽器がウクレレだからね。これは、本来は”出オチの芸”でしょ?ウクレレ持ってステージに出てきたから何をやるのかと思ったらバッハを弾き始めた。無茶をしやがる、けど、結構上手く弾きこなすじゃないかと、初めは笑いが、そのうち賞賛の拍手が起こる、と。

 で、まあ、その一曲で終わっておくのが無事であろう。それがこのアルバム、全曲バッハですよ。しかも無伴奏。確かにこれ、話題にもならずに終わったのも無理はないかなあ・・・
 とか言ってますが。かねてよりオータサンのファンである私は、実はこのアルバム、気に入ってるんです。聴いているうちに、オータサンのウクレレの鄙びた響きによってポケットサイズに変容されたバッハの音楽の魂が、人の掌の上で風に吹かれてコロコロ転がっている、みたいな奇妙な幻想が生まれてくるのであって。なんだかすべての事象の輪郭が丸くなり、生の喜びを歌いだすような。まあ、私もいい加減、訳の分からない話をしているけど。

 と言うわけで。もちろん、You-Tubeに試聴用の画像はありませんでした。かわりに、似たような事をやっているジョン・キングと言う人のウクレレによるバッハ演奏を下に貼っておきます。というのも、どうかと思うが。




風の向こうのハワイ王国

2009-04-13 05:17:30 | 太平洋地域

 ”ハワイ王国時代のハワイ音楽”by 山内雄喜

 もはや改めて紹介の必要もないであろう、ハワイ音楽研究家にして演奏家である山内雄喜。これは山内によるハワイ音楽の歴史を辿る7部作シリーズ、その第2集です。ハワイ王室の音楽四天王なんだそうですね、カラ-カウア王、リリウオカラニ女王、リケリケ王女、レレイオーホク王子などの作品を中心に収められています。

 ハワイ王朝のアメリカ合衆国による併呑とその滅亡の悲劇、そしてそれに関わる音楽の物語については以前、パオアカラニの花束という文章を書いているんだけれど、ハワイ王朝とその音楽を思う時、やはりその悲劇的結末が意識に昇ってしまうのですな。

 このアルバムにしてもともかく美しいメロディの連発であり、その儚げな美しさが、楽園であるかに見えるハワイの地を吹き抜ける風の向こうに、失われた王国の記憶が蜃気楼のように一瞬だけ蘇る、そんな幻想を呼びます。

 アコースティック音楽の演奏家というイメージの強い山内はここで、珍しくと言っていいと思いますが電気を通したギターを使っています。最初に聞いたとき、ドン、と響く低音弦にちょっと驚かされたんだけれど、何度か聴き返す内、アルバムのテーマにはむしろ電気楽器の使用はふさわしかったのだろうな、なんて気がしてきます。

 いつものリアルな生ギターの響きはハワイの土と人々の暮らしの香りを運んでくるのだけれど、ここではエレクトリック・ギターの人工的増幅感(?)を伴う音の伸びの良さが織りなすちょっぴり非現実的な手触りが、ここに提示された美はもうこの世のものではないのだぞ、という現実との境界を改めて確認させる効果を作り出している。それゆえ滅びの美学がさらにまた悲しく美しく浮き彫りになる、みたいなね。

 まあ、山内氏ご本人がそういうつもりでエレクトリック・ギターを使ったのかどうかは知らないけれど。美しいアルバムです。


海流の中の島々

2008-07-06 01:42:14 | 太平洋地域


 ”Islands”by Cyrus Faryar

 奄美島歌、バハマのギタリストと並べてみたら、なんとなく流れで”島の歌を歌う人々”の特集をはじめてみる気になっている。まあ、夏らしくて良いじゃないか。
 そうなると、まず挨拶を通しておかねばならないのがサイラス・ファーヤーである、私の場合は。

 サイラスは1970年代初めに地味に活躍し、2枚の”幻の名盤”をそっと時代の片隅に残していったアメリカ(一応)のシンガー・ソングライターである。まあ、それ以外にも仲間と作ったコーラスグループでの活躍もあるのだが、そいつはこっちへ置いておく事とする。

 ともかくこの人のアルバムは手に入りにくくてね、つまりは本国アメリカでろくに売れちゃいなかったから、盤の絶対数が少なかったって事なんだろうが、当時はそこまで気が廻らず、盤の入手困難の現実は即、サイラスのミュージシャンとしての神格化に寄与した。

 サイラスはイラン人の父と英国人の母との間に生まれ、父親の仕事の都合で世界各地を転々としつつ育った人物で、とりあえずハワイの地を永久の住処と定めたようだが、まさに生きたワールドミュージックみたいな存在といえよう。そんな彼のライフストーリーは彼の音楽にも大いに影を落とし、不思議にエキゾティックな感触を作り出していた。

 サイラスの2枚目のアルバムである、この”アイランド”は、そんな彼の魂の故郷ハワイ、をとりあえずの舞台に、だが音楽そのものはハワイ音楽というよりはもう少し漠然たる定義を行った方が適当だろう。太平洋のただ中の”海流の中の島々”にイメージを託し、展開してみせた彼の音楽による文明批評のための幻想空間とでも言うべきものとなっている。

 展開されるのは、ハワイ音楽とは似て非なるもの、むしろ根底には、60年代ニューヨークのフォーク・シーンでユニークなギタープレイを売り物に、独特のブルージィな音楽を展開していたフレッド・ニールあたりに親和性がある気がする。フレッド・ニールについてはこのアルバムでも、名曲”ドルフィン”がカヴァーされているが。

 あるいは独特の書き割り的南国楽園音楽を創造して見せたマーチン・デニーなどにも通ずる感覚もあるようだ。

 過酷な現実と断絶されたその場所。時の止まったような世界は静けさと安らぎと、そして奇妙な淡い悲しみに満たされている。
 広大な海の広がりと空を紅く染めて沈み行く夕日のイメージ。まるで巨大なバスタブと化したかのような幻想の中の大洋。浮かぶ島々は、人々がそれぞれに心に抱いた孤独の表彰だろうか。

 終盤に歌われる、ハリー・ニルソン作の「パラダイス」の、”楽園としてのポップ・ミュージック”そのものを体現するかのような愛らしいメロディが切ない。ニルソンがこの世を去ってすでに久しい今となっては。

世界の果てのピアノ

2007-09-26 04:07:24 | 太平洋地域


 ”Waikiki”by Rene Paulo

 テレビのドキュメンタリ-で見たんだけれど。ハワイ諸島のうち一番東の島は、その島の生物層の調査をする数人の学者以外立ち入り禁止なんだってね。島の本来の生態を調査できるように、なるべく自然のままの姿におかれているそうな。

 昔はアメリカ海軍の基地なんかあったんだそうだけどそこも放棄されて久しく、錆び付いた軍艦の破片が海水に洗われていたりする。打ち寄せる波と吹きつける風以外、なんの物音もしなくてね。時間の止ったような世界。世界の果てってのはつまりあんな場所じゃないかなあ、とか見ていて思ったものです。

 もっとも、そんな島の岸辺にも遠い大陸から、清涼飲料のプラスチック容器なんかが流れ着いていたりもするんだけれど。

 と言うわけで、ハワイアンのムード・ピアノという妙な代物であります。

 このレネという人は、ハワイの高級ホテルのショー・ラウンジ専属のピアノ弾きで、宿泊客のためにハワイの古くからの伝承曲なんかを華麗なソロピアノで奏でるのを生業としている。
 もう相当な高齢なんだけど、かくしゃくとしてピアノに向い、こうしてレコーディングなんかもしている。

 しかし、妙な音楽もあったものです。ハワイの古い曲なんてものは、和音二つ知っていれば演奏出来ちゃうようなシンプルな響きのものが多いのであって。それに大量の代理コードなどぶち込みまして装飾のフレーズをあれこれ織り込み、無理やりゴージャスな響きの音楽に仕上げてしまっている。

 まあ、彼は普通のバンドマン気質の人であって音楽的野心があるわけではない。ひたすらムード・ピアノのプレイヤーであり、ただたまたま、その勤務地がハワイのホテルであっただけである。結果的にそんな音楽が出来上がってしまった、それだけの事であって。

 で、こうして彼のこのアルバムなど聞いていると、例の”立ち入り禁止のハワイ東端の小島”に打ち寄せる波の音など思い出してしまうわけです。

 やはり、そのような場所にあるべき楽器ではないと感じられるのです、ピアノと言う楽器。でも、歴然とその場に存在してしまって、達者なテクニックで鍵盤に指を躍らせる演奏家がいる。そして彼の演奏を、ドレスアップしてカクテルなんか味わいつつ楽しむ人々がいる。人間の営為の、考えてみればずいぶんな奇妙さ。

 昔は、船に乗せられてこの島にやって来たのだろうなあ、ハワイにおける一台目のグランドピアノは。波に揺られて、調整などはメチャクチャになってたんだろうなあ。

 太古から変わらず島に寄せる波や風の響き、そいつは人間などが姿を消してしまった後も同じ調子で聴こえているんだろう。
 ピアノのフレーズの合間から、ふとした弾みで、そんな時を越えた太古の波や風の音が気配として聞こえてきてしまう時がある。人々が築き上げた文明の栄華の間隙をぬって、そいつは人の心に忍び寄り、響き渡る。

 ハワイの地霊の仕業なんでしょうねえ、これは。

ウクレレは燃えている

2007-08-31 00:52:15 | 太平洋地域


 ”Ukulele Paradise!”by 平川洌

 サンズイに”列”で”キヨシ”と読むとは知らなんだなあ。ともあれ、私が恐れ入りつつ”スロウハンド”と密かに渾名しているウクレレの名手、平川氏の好アルバムであります。

 スロウハンドとはもちろんクラプトンの昔のアダ名を念頭に置いているのであって。平川氏はエディ・カマエ~ハーブ・オオタの流れに連なる、ウクレレの風雲児系列のプレイヤーであります。つまり、旧来の、のどかに和音を奏でるリズム楽器の立場に甘んじることなくバンドの中央に位置し、ソロで華麗にメロディを弾きまくるタイプのミュージシャン。

 とは言え、日本ハワイアンの歴史などにはまるで詳しくない私、平川氏がその世界でどのような立場にあるのやら、詳しくは存じません。が、その演奏を聴く限りでは、かなりの革命児なのではあるまいかと想像する次第で。

 平川氏がアルバムで取り上げる曲目の多くは、いわゆるハワイアンからは大幅に逸脱するケースも多い。プラターズやらナットキング・コールやらプレスリーなどのレパートリー、映画音楽やポルカやら。ともかく、ロックの、といいますかビートルズの時代の到来寸前までのポピュラー音楽総まくり、みたいなセレクトであり、まあ平川氏、その頃に青春を送られたかと思うんですが、興味深い。

 また、バンドの編成もハワイアンへの固執はまるでみられず、私の集めた近作においてはスチールギター等の、いわゆるハワイアンぽい楽器は使うことなく、むしろ軽くジャズっぽいプレイをするピアノ弾きを相棒としてスインギーに決める演奏を好まれるようです。

 それにしても、情け容赦のないプレイをする人だなあと、今、CDを聴き返して思わず笑ってしまったんだけれど。アップテンポの曲では素早い各種フレーズを駆使し、演奏時間いっぱいを存分に駆け回る。スローな曲では凝った装飾フレーズ全開で、切ない情感を歌い上げる。

 他の楽器がソロを取っている時でも、あるいはパワフルなコードストロークを、あるいはアルペジオを、あるいは凝ったオブリガートで主旋律に絡みまくりと、自己主張をやめない。この人、あとちょっと生まれるのが遅くてロック・ミュージシャンをやっていたら、ブッとい音でレス・ポールとか弾きまくっていたんだろうなあ、などと空想し、ふと笑えてしまったりしたのだけれど。

 そういえば。私は観光地の繁華街で育った者であり、その地の利を生かして(?)キャバレー等に出ている、人生ハスに構えたイナセなバンドマン諸氏に楽器の演奏法や音楽理論を学び、育って来たのだけれど、よく言われた言葉がある。「バンドをやるなら、音楽のジャンルにこだわるなよ。手前の楽器にこだわれ」と。
 この言葉の実践なのだろうなあ、平川氏の演奏姿勢なども。

 ともかくこのアルバム、この夏、私がもっとも頻繁に聴いたアイテムなのであって、夏の締めくくりとして、ここに紹介する次第。平川氏の作品にしては、取り上げられた曲は素直にハワイアン中心である(笑)特にラストの「ホノルルの月」の切なさは、何度聞いてもよろしいですなあ。

楽園の脂肪=イズラエル・カマカヴィヴォオレ

2007-08-11 01:54:58 | 太平洋地域


 ”Alone in Iz World ”by Israel Kamakawiwo'ole

 昨日のケアリィ・レイシェルに関する文章は、長いばかりで意味不明だったかなあと反省しきりなのであります。
 まあ要するに、インテリのミュージシャンが「大衆音楽、かくあらねばならぬ」なんて導き出した理論の元に伝津音楽の再生とかやると、なんかちょっと無理が出る場合があるなあ、というだけのオハナシでした。

 プライベートでは愛聴盤はモーツァルトで、時には家族そろってスーツにネクタイ締めてディナーに出かける人が、仕事だってんで裸になって褌締めて「ウケレレハヤマカ、ハレウォウッ!」とか、アダモちゃん(なんてたとえ、”ひょうきん族”を見てた人でなけりゃ通じないか)みたいなノリで”チャント”とかやっても、なんか見ている側も辛いものがあったりするでしょう?

 アメリカン・フォークっぽい音が好きならそういう音楽をやればいいじゃない、無理して伝統回帰なんかせずに。とか言ってしまいますが、その一方、そんなインテリの表現者のやせ我慢からクリエイトされるなにものかもあるってのもまた、認めておかなければならないんだけれど。

 で、本日はそんな心配もない、同じくハワイ音楽界の、これは天然の鬼才、イズラエル・カマカヴィヴォオレのアルバムなど。彼をここで取り上げるのは2度目です。

 まあとりあえず上に掲げましたジャケ写真をご覧ください。CGとかじゃないよ、ほんとにこんな体型をしているの。相撲取りも顔負けの偉丈夫だったんだけど、実は彼の場合は単に不健康に太っていただけで、ついに体が耐えられず、1997年、38歳という若さでこの世を去ってしまった。自分の体型を支えきれなかったというか、心臓が耐え切れなかったみたいね。

 ハワイというかポリネシア方面には、こんな具合に驚異的に太った人ってのがよくいるんだけど、ただ太っているからって、ポリネシア文化を深く理解し、身に付けた表現者であるなんて考える理由はどこにもない。けど、もしかしたらそうなんじゃないかなんてふと思わせてしまうミュージシャン、それが”イズ”でありました。

 さすがにその体型ならでは、という、もうソウル・ミュージックの歌手とサシで十分張り合えそうな野太い声が、まるでそれに不釣合いに思える非常にデリケートな歌いまわしでハワイ伝統のフラの小曲など歌い上げる。こいつがなかなか風情のあるものだったんだなあ。

 何も無理して作り上げることはない、”イズ”という歌手のフタを開ければ、そこには古きハワイ文化のエッセンスが流れ出して来た。いや、実情はそんなもんじゃない、イズラエルも自らの表現を求めて悩んだ日々もあったかも知れないんだけど、でも、その巨体を見ると、なんだかはじめからポリネシア音楽の才能は彼の体に刷り込み済みだったみたいに思えてならないのであります。

 これはそんな歌手・イズラエルの死後、4年ほどたってから彼を偲んでリリースされた未発表録音集。ハワイ民謡の定番もあれば、ナット・キングコールのヒット曲、”モナリザ”のハワイアン・ヴァージョンなんてのも収められています。
 スタジオでテスト版として吹き込まれたものなのかも知れない。非常にリラックスした表情のイズラエルの歌が聞ける。音の方も、ほとんどがイズラエル自身によるウクレレの弾き語りがメイン。何曲かで、簡単なギターの伴奏が付けられていたり、静かにストリングスがかぶっていたり。

 紺碧のハワイの海の広がりを前に、気ままにハワイの神々と対話を交わすイズラエルの姿が浮かんできて、こいつは非常に気持ちのいいハワイ音楽のアルバムです。
 

楽園喪失=ケアリイ・レイシェル

2007-08-10 03:07:09 | 太平洋地域


 ”Kawaipunahele” by Keali`i Reichel

 ケアリイ・レイシェル。ハワイのコンテンポラリー・ポップスを代表する人気歌手、というのが、彼への一般的評価であろう。
 我々日本人としては、あの「涙そうそう」にハワイ語の歌詞をつけ、メロディにもポリネシアの伝承歌の旋律を忍び込ませた、あの歌の”レイシェル・ヴァージョン”を発表、ハワイでヒットさせた人物、という理解の方が親しみ易いかもしれない。

 「涙そうそう」を作曲した”ビギン”のメンバーがハワイのレイシェルの自宅を訪ね、歌を披露しあう趣旨のドキュメンタリーをテレビで見た記憶がある。”現地の大物”を目の前にしたビギンの連中が、妙に緊張しているのがはっきり分かり、なんだかおかしかった。
 まあ私としては、あのようなポジションにある歌に目ざとく注目し、自らの持ち歌としてしまうのがいかにもレイシェル、なんて底意地の悪い想いを弄びつつ、日本とハワイの二組のミュージシャンの交歓風景を見ていたのだが。

 いや、本当にいやがらせ的視線を送ってしまっているのだが、それほど素直にレイシェルの活動を受け入れられないのだ、私は。

 ケアリイ・レイシェルはまだ10代のうちにハワイの伝統的な詠唱、いわゆる”チャント”を独学で学んだりフラ団体を発足させたり、その一方でハワイ大学でハワイ語を研究し、ハワイ語復活のプログラムに関わったりもしてきた。つまり、相当に意識的にハワイの文化のありようと向き合いつつ、ミュージシャンとしてのキャリアを積んできたといえるだろう。
 そのあたりが、レイシェルという歌手の強みでもあり、また弱みでもあろうと、私はこの頃、考え始めているのだが。

 上に添付したのが1995年に発表され、ハワイにおいて驚異的大ヒットを記録した、レイシェルのデビュー・アルバムのジャケなのだが、異郷に住む我々には奇矯と写る姿である。六尺褌としか見えない下穿きのみを身に付けた半裸で、背中まで伸ばした髪を風になびかせ、なにやら宗教儀式を思わせるポーズをとっている。
 ハワイ文化の伝統にこそ連ならん、との彼の心意気がここに表明されているのですなあ。そして普通にステージにも、その姿で臨むようだ。
 そのあたりがハワイ文化にこだわる男、レイシェルの面目躍如と言ったところなのでしょう。

 普通、インテリの歌手はこんな格好はしませんてば。しても、まあ、さまにはならない。とりあえずやってる音楽が安く見えかねないからやめた方がいいんじゃないかと私は思うんだが。まあ、ヨソモノの推測以上の話はしていないのだが。

 その彼の音楽世界なのだが、70年代アメリカ西海岸のフォーク志向のシンガー・ソングライターたちが”売り”にしていた心優しきアコースティック・サウンドとハワイ伝統のフラ音楽の混交した、なかなかに繊細な響きを持っている。そのサウンドでビートルズなどのハワイ風のカヴァーなどやられると、「待ってました」と拍手を送りたくなるような心地良さなのだが、ただ、上に述べた褌姿でそれを歌われてもね。

 と、こんな文章でニュアンスが伝わるかどうか自信がないのだが、なんだかどこか、レイシェルって人は頭先行で音楽活動を行なっているゆえの無理、みたいなものが感じられて仕方ないのだ、私には。
 レイシェルのご自慢の”チャント”にしても、なんかとって付けたようでねえ。普通にハワイアン・フォーク(?)を歌ってくれていればそれで十分、心地良いのに、ハワイの伝統だからって、無理やり妙な呪文を挟み込まれても。

 レイシェルって、つまりは70年代のアメリカ西海岸風のシンガーソングライター、というのが本来の資質なのではないか。
 でも彼の場合、その上に、”ハワイの伝統を受け継ぐワンランク上の意識の高い芸術家たる自分は、こうあるべきである”なんてタテマエがそびえ立ってる。それが音楽全体をゆがめている。
 そんなものをそびえ立たせてしまったのがつまり、先に言った”ハワイ文化研究家”でもある歌手、たるレイシェルの抱える問題点じゃないか。”天然”でいられない中途半端に知性派のミュージシャンだけが抱えるタイプの。

 私は「あんなこと、やらなけりゃいいのになあ」と思っている。褌姿の”チャント”やらで神秘めかすのは。なんか安易な神秘主義にハワイの音楽を封じ込めてしまう結果になりそうな気がしてならないのだ。それよりなにより、音楽の佇まいがヘルスセンターなどの余興っぽく見えてくる。
 いやまあ、やっぱりこれもヨソモノの余計な一言なんですよ、基本的には。答えは、ハワイの人々が出すべきなのであって。

 ・・・一貫して嫌味な書き方をしているなあ。レイシェルって、それほど嫌いな歌手じゃなかった筈なんだが、いざ文章にしてみたらこんなことになってしまった。
 でもって、このように自らの音楽をもって伝統文化にこそ連ならんと志した若者に、当たり前のように”歪み”を背負わせてしまうハワイの近代史の裏面、という風に話は続くのであるが、書ききる自信はないので、すみません、今回のところは中途半端にフェイドアウトさせてください。(腰砕けだね、しかし)


ハワイアン・ミュージックへの断念

2007-07-27 05:28:33 | 太平洋地域


 ギャビー・パヒヌイ(1921~1980)

 雑誌広告に、「パニニ・レーベルからギャビー・パヒヌイをはじめとしたハワイ音楽の名盤各種がCD復刻」なんて書いてあって、なんだか「もういいよ」みたいな疲れた気分でそれを眺めてしまったのだった。
 そこに紹介されているアイテムのうち、ほとんどを私はかなり前に(もちろんアナログ盤時代に)手に入れ、そしていつの間にか手放してしまっている。”疲れた気分”というのはすなわち、ハワイ音楽へのある種の諦念のようなものだ。これらのアルバムはとうに聴き馴染み、そしてついに何も分からなかった、という・・・

 市民プールのBGM、くらいの認識しかなかったハワイアンを”探求する価値のある音楽”と認識させてくれたのは、ありがちな話ではあるが、ライ・クーダーの”チキン・スキン・ミュージック”だった。あのアルバムでスラックキー・ギターなるハワイ独特のオープン・チューニングのギターの弾き方を知り、巨匠、というかハワイ音楽中興の祖、ギャビーの存在を知った。

 その演奏に興味を惹かれてハワイ音楽のレコードを集め、と行きたいところだが、そうは行かなかった。ハワイの音楽などその辺に普通に転がっているだろうくらいに思っていたのに、たいした盤にお目にかかれない。売っている店自体に出会えない。読むべき解説書のタグイにも出会えず知識も深まっていないので、そもそも何を買えばいいのか、音楽の勘所はどこなのかなども分かっていなかったりもしたのだが。

 仕方がないので、ライ・クーダーとギャビーとのセッションアルバムや、ギャビーのソロ、あるいは所属していたバンドのアルバムなど数少ない獲物を繰り返し聴いてみるのだが、「なるほど良い感じの演奏だな」とは感じるものの、それ以上に踏み込めるものがない。”白熱のアドリブ合戦”とか”A民族とB民族、奇跡の文化混交”みたいな派手な見所聴き所があればまだしも、なのだが、そのような分かりやすいフックもなく、ハワイ音楽はただのどかに流れて行くばかり。

 出会いのはじめは目新しく思えたスラックキー・ギターも聴きなれてしまえば「どれを聴いてもただぼんやりとした響きがあるだけだなあ」との感想があるばかりなのだった。

 いや、突っ込んで聞けばそれなりのものがあるのだろうが、私にはその”音楽のシッポ”とでも言うべきものをついに掴むことができずに終わった。
 他の人はどうなんだろう?同じように”チキン・スキン・ミュージック”でハワイ音楽に興味を持った人は少なからずいるはずなのに、”その後の成果”を誇っている人に、あまり逢ったことはないのだが。

 まあ、他の人の事情はともかく、ギャビーのアルバム群はそんな私の、ついにものにできなかったハワイ音楽への敗北の記念碑みたいなもので、苦い思いばかりが残る代物なのだ。

 おかしいのは、私はそのくせして、たとえば日系2世のウクレレ名人、オータサンことハーブ・オオタの音楽が大好きだったりすることだ。
 オータサンの音楽はバンドのスタイルがハワイ音楽風だったりするけれども、その実態はウクレレを使ったジャズだったりイージー・リスニングだったりする。あるいはボサノバを演じてみたりの逸脱を繰り返している。全編、バッハをソロで演奏したアルバムさえある。

 そんなオータサンや、あるいは彼のスタイルのフォロワーたるウクレレ弾きたちの音楽を愛好することは、単にウクレレの音が好き、といった事情以外の何があるのか。
 ん、まあ、考えたって分からないことだろうな~。うん、もうハワイ音楽近辺に関してはあれこれ考えることはやめたの。ホイホイっと。


パオアカラニの花束

2007-03-04 04:54:05 | 太平洋地域


 相変らず昼下がりのひととき、街の周囲に広がる山間部の別荘地帯を散歩気分で車で流して歩いたりしているのだが、今年はこの暖冬のせいで、そこの道沿いに植えられている桜がえらいことになっている。
 テレビの天気予報では桜前線がどうの、なんて話は始まってもいないというのに、当地の桜はすでに満開を通り越して、散り始めているのだ。

 いつも春は別荘地帯の満開の桜がアーチを作った、その道を通り抜けるのがなかなかの快感だったのだが、こう早々と散ってしまっては、そいつを見届ける者もなし、いくらなんでももったいない。見物人が私のような物好きな閑人だけでは、桜もやりきれなかろうよ。 
 などと呟きながら、散り落ちた桜の花びらが染め上げたピンク色の道路をダラダラ走り抜けたりしているのだが。

 そんな際に良く聴くBGMは、以前ここで話題にしたこともあるハワイのウクレレ名人、オータサンことハーブ太田が、息子の、やはりウクレレ弾きであるハーブ太田Jrと吹き込んだデュオアルバム、”Ohana”である。こいつはのどかでちょっぴり切なくて、やはり良いねえ。

 そのアルバムの2曲目にたまらなく美しい曲が収められていて、その名を”パオアカラニの花束”という。これはほんとに、そのイントロが聴こえると反射的にカーステレオのボリュームを上げてしまうくらい、きれいなメロディラインの曲なのである。

 その切々たる思いを伝えるようなメロディラインから、私は長いことこの曲を恋人との別れを歌った歌なのだろうと想像していたのだ。が、この間、初めて真面目にライナーを読んでみたら、”王座を追われ、幽閉されていたハワイ最後の女王リリウオカラニが、彼女が愛した庭園に咲いた花々で作られた花束を贈られ、それに感動して作った曲”とあり、うわあ、そういう意味のある曲と知らずに聴いていたのかと息を呑んだのだった。

 リリウオカラニ(1838年9月2日-1917年11月11日)は、ハワイ王国第8代の女王であり、最後のハワイ王である。1893年、ハワイのアメリカ合衆国への併合を企てた”共和派”が、アメリカ海兵隊の力を借りて行なったクーデターにより実権を奪われ、宮殿に幽閉される身となった。その後彼女は、クーデター騒ぎで人質になった人々の命と引き換えに女王廃位の署名を強制され、彼女はそれに応じ、ハワイ王国は滅亡。そしてハワイはアメリカに併呑される道を歩むこととなるのである。

 まあ、その頃からアメリカはこんな事をしていました、なんて話なのだが。アメリカ人は得意げに言ったのだろう、「ハワイの人々よ。自由の使者アメリカは、王の専制から君たちを救い出した。民主主義の名によって。これからは君たち民衆がハワイの主人だ」なんて事を。そんな甘言を弄しつつ、彼らはハワイの国そのものを奪い去って行く。

 そのような欺瞞が進行する中で、ハワイの人々は宮殿に幽閉されている女王のために、彼女が愛した庭園でしか育たない花々を摘み、花束を作って、彼女に送った。「いつまでも私たちはあなたを愛しています」とのメッセージを込めて。それに応えて囚われの女王が書き上げたのが、あの”パオアカラニの花束”だったのだなあ。それは切ない響きを持つはずだよ。

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 何万というハワイ人はどこへ行ってしまったのか。
 みな家にとじこもってシャッターを下ろし、この悲しみの日を迎えていた。
 ハワイ人が示した親切な歓迎の気持ちを、アメリカから来た白人たちは裏切ったのだ。
 一つの国家が強奪されるのを、この日ハワイの人たちは見たのである。

 「ハワイ王朝最後の女王」(猿谷要著・文藝春秋)より。

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 リリウオカラニ女王といえば、あの”アロハ・オエ”の作曲者としても知られる、音楽家としても優れた王族だった。
 この歌といいアロハ・オエといい、彼女の作品にはことごとく、”近代”という荒波に飲まれて滅び行かんとする、古きよき楽園の日々に対する愛惜の念が込められているように感じられてならないのである。