ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

永遠のリズム

2005-10-31 04:20:11 | アンビエント、その他

 と言うわけで。前回、前々回と、すっかりジャズ・ミュージシャンにがっかりさせられちゃったなあ、なんて流れになってきたんで、ジャズ・ミュージシャンがワールドミュージックの視点で見て凄く素敵な仕事をしている盤でも挙げておく。といっても、その仕事をしたのはジャズ・ミュージシャンと一言で言いきれるとも思えない人だけど。

 そんな訳で、ドン・チェリーの「永遠のリズム」など。なんか、上のテーマで語る盤としては、あまりにど真ん中過ぎて恥ずかしくなって来る、我ながら。もう少しひねりってものはないのか、おい。と私は言いたい、自分に。

 この音楽を語るにあたって、ガムラン音楽を取り入れたフリージャズのサウンド、という概要をまず言っておかねばならないが、ここでドン・チェリーはそれほど真面目にガムランに取り組んでいる訳ではない。なんとなく雰囲気的には、ってレベルのものである。

 で、この場合はそれで良いのだろう。フリー・ジャズの演奏者としてチェリーがいつも目指して来たのは・・・これもベタなフレーズで書くのも恥ずかしいが、こだわりを捨てた身軽な感性で奏でられる音楽によって、魂の自由へ到達するって事だから。たとえばここでは「ガムランなる、異国インドネシア独特の音楽を、あえて演奏する者」なるフィクションに自らのミュージシャンとしての立場を仮託することによって得られる自由が、チェリーの欲したものだ。チェリーはここで、”ガムランごっこ”によって架空の楽園の扉を開こうと試みる。

 このアルバムにリアルタイムで出会った学生時代は、ずいぶん難解なサウンドと感じられた。まだまだ「音楽とはこんなもの」との固定観念の塊だったからね。民族楽器によって繰り返し提示される不思議な音階と、唐突に暴れまわるソニー・シャーロックの凶悪ギター・ソロ。チェリーが吹く、なんとも捉えようのない二連笛のメロディ。どれも初めて耳にするものばかりで、理解しようとすればするほど、音楽は遠くに行ってしまった。

 でも今、それなりの年齢に達して虚心坦懐に耳を傾ける「永遠のリズム」は、何も難しい音楽なんかじゃない。ドン・チェリーは”ガムラン音楽のようなもの”なるオモチャを手に、嬉々として、この地上と天上界を行ったり来たりして遊んでいる。それだけの音楽に難しいも何もあるものか。変に理解したり分析したりしようとするから音楽が遠くに行ってしまうだけの話でね。

 そして聴衆たる我々は、ドン・チェリーの手にした幸せに、どこまで”感染”できるかが勝負だろう。鍵は、こちらがつまらないこだわりや定めごとから、どれだけ自由になれるかである。
 だから、心の持ちようによっては音楽への開かれた門戸は広くもあり狭くもある。自分のやっている事を”アート”として認知されたいとか、くだらないスケベ根性を懐に呑んでいる奴にはとびきり狭い門戸だろう、少なくとも。うん。ああ、いい気味だ。

 この音楽の所属カテゴリー、ドン・チェリーの出自がアメリカ合衆国であるのだから”北アメリカ”にすべきだろうか、いや、ガムランを取上げているから、いっそアジアにしてしまえ、などと迷ったのだが、やはり”その他の地域”が妥当でしょうね。国籍不明とするのが、もっと良いんだろうけれども。




ジャズ・ミュージシャンの限界

2005-10-30 03:47:17 | 書評、映画等の批評

 という訳で、昨日からの流れで、ワールドミュージックにおけるジャズ・ミュージシャンの限界なんてものに思い至ってしまった私なのであります。いやなに、昨日、取上げた文章の書き手がジャズ・ミュージシャンだそうなので。

 思い出すのは。もう10数年前に遡ってしまって恐縮なのだが。ジャズ・ミュージシャンの渡辺貞夫が歌手の久保田利信と一緒に、いつか聴いた独特のメロディが含まれたどこかの民族のコーラスを求めてアフリカに旅立つ、といった趣向のテレビのドキュメンタリー番組があった。つまりはジャズの源流を求めて、と言うことか。アフリカのさまざまな風物を見る事が出来るのでは、と言う期待でチャンネルを合わせたのだが、なんだかなあ?と首をかしげる瞬間もないではなかったのである。そのひとつ。

 ナベサダとクボタは、ケニアだったかタンザニアだったか、ともかく東アフリカのある港町で、街頭のミュージシャンが演奏するある音楽を、なにやら浮かない顔をして聴いていた。クボタは「どうもこれじゃありませんね」とナベサダの顔を覗い、ナベサダも、そうだなあと首をかしげた。
 そこで奏でられていたのはターラブという、東アフリカ特有のアラブからの影響を色濃く残す音楽で、古くから東アフリカ沿岸地域とアラブ諸国とが交易などを通して深く結ばれていた証左とも言える、大変興味深いものなのであった。それは確かに、番組冒頭で提示された”ナベサダが探しているコーラス”とは別種の音楽ではあったのだが、それにしても、まるで通りすがりの犬でも眺めるような、あの姿勢はどうだろう。
 初めて接する音楽に、ミュージシャンとしての素朴な好奇心さえかき立てられた様子の無い姿が、非常に悲しかったのである。

 もう一つ。山下洋輔の著書に、ドイツにおけるトルコ移民との接触を描いたものがあったのだが、そこで現地のドイツ人と山下が交わした会話。「彼らは、このジャズクラブに音楽を聴きに来たりしないのか」「いや。おそらく家でトルコの音楽でも聴いているのだろう」それで終わりだったのは、山下の日頃の”乱入活動”を楽しみにしているファンとしては、肩透かしを食った思いだった。私だったら、その場に座ったままドイツの片田舎のジャズ・ミュージシャンによる特に珍しくも無い演奏を聴き続けるより、そのトルコの音楽を聴きに行きたいと思うのだが。

 結局、聴き慣れた、奏で慣れた音楽に身を浸している方が楽って事か。なるほどジャズマンって人種は、昔ながらのジャズの様式美の中で充足している”お芸術家”でしかないんだな、と大いに脱力した次第。

 そういえば昨日のミュージシャン氏が映画”ラウンドミッドナイト”を擁護する発言の中に、アメリカの一般大衆のジャズに対する無理解が語られた後の、このような部分があった。

>素晴らしいアートが本国ではあまり認められていなく
>て、他の文化を理解する力のある国で、認められてい
>たり、その文化を長く保持したりしているというのは
>良くあることです。

 要するにこの人物にとって”素晴らしいアート”は、自らが容認する範囲内のものでなくてはならず、アメリカの一般大衆の現実はそのとき、”無意味な現象”として退けられるだけのものでしかない。
 つまりこのヒト、「崇高なジャズ芸術家」として尊敬されたくて仕方が無いヒトだったのですね。それなら分かるなあ、アフリカ音楽への無理解も、フランス人の”芸術帝国主義”への共鳴も。”野蛮な土人”に共感などしてやるよりは、”アートをやるヒト”としてヨーロッパのお大尽のパーティに呼ばれたい、と。なるほどね、なるほどね。

 結論。かの人物の私への反論(かも知れないもの)は、大衆芸術家としてのジャズ・ミュージシャンが、すでに存在として破綻している事を図らずも証明してしまっている。以上。


 添付した写真は、”リトル・レミ・スペシャル”という1950年代に活躍した南アフリカの少年ミュージシャンのものです。当時、南アフリカではクウェラという、4ビートの、ジャズの影響色濃い音楽が大衆の支持を受けていました。レミは、写真のようにオモチャの笛を用いまして、非常にスイングするアフリカン・ジャズを奏で、人々に愛されていました。
 かの人物が、

>黒人の世界だけで発展させたらどうなるかは
>アフリカの音楽をいろいろ聴いてみたらいい。

 と論述した、アフリカでのエピソードです。



再反論・あなたはアフリカ音楽を本当に聴いた事があるのか?

2005-10-29 04:15:14 | 書評、映画等の批評

 某所で、私がここに以前記した、映画”ラウンド・ミッドナイト”批判に対する反論とも思える文章を見つけた。いやいや、これは私の狭い心がそんな風に被害妄想を感じさせるのであって、その文章を書いた人は、その人なりの感想をそれとは関係なく書かれたに違いないのですが、「もし反論だったら」との、まあ、シュミレーションとしての再反論を行ってみたくなった次第。
 その方は、なんかミュージシャンでおられるらしいのですが、下のように書かれております。

>なにか、クラシックVSジャズという単純な図式で、単純に考えて
>いる方も居るようだが、ジャズと言われる音楽はもともと、クラ
>シック、ミュージカル、ポップス、それに黒人のもともと持って
>いた、黒人霊歌、ブルースなどがルーツであり、色々な人の手に
>よってだんだん混じりながら発達してきたもので、そんな単純な
>ものではないはず。

 もしこれが私の、あの映画に対する批判への反論だったとしたら、いや、反論では無いでしょうけどね、もしそうだったらとの空想の上での話ですが、この人は私の文意をまるで読めていない。ジャズがさまざまな音楽を吸収しつつ発展してきた事など、よーく分かっております、あなたに言われなくとも。私はそんな話をしているのではない。私をそんなに単純な人間とお考えですか?(それに黒人霊歌やブルースも、あなたが言われるように”黒人のもともと持っていた”ものと一概に言いきれるかどうか?あれらもまた、西欧文明とのせめぎ合いの中から発生してきたものではないのですか?)
 私はあの映画のあの場面で、「クラシックも聴くよ」と黒人ミュージシャンに発言させる事の人種的政治的意味はどうなのだ?と問うているのですよ。他民族の文化を政治的に利用する事の罪を問うているのですよ。
 もう一度、私の文章を、その点に注意しつつお読みいただければ、お分かりいただけると思います(そしてそもそも、あの映画のあの部分は、”ジャズの成立と発展の経緯を問う”なんて会話の流れになっていたかどうか?)

 そしてこの人は続けます。

>黒人の世界だけで発展させたらどうなるかは
>アフリカの音楽をいろいろ聴いてみたらいい。

 この文脈から解釈すると、この人は、ジャズはさまざまな音楽の混合物であり、その結果、素晴らしいものになっているが、黒人の世界だけで発展させた音楽などというものは”単純なもの”であり、ろくに聞く価値も無いものにしかならない、と考えておられるようだ。そう読めますよね、その前段で「混合物としてのジャズ」を賞揚し、「そんなに単純なものではない」と断じた後、上の発言、「黒人の世界だけで発展させたら」に繋がるのだから。
 この部分、どのくらいひどいかはアフリカの音楽を聴いてみれば分かるけどね、なんて意味を含めているとするならば、まさにワールドミュージック・ファンに喧嘩を売る行為であります。

 それ以前に、この人に伺いたい。あなたはきちんとアフリカ音楽を聴いた事があるのか?と。あれが、「黒人の世界だけで発展させた」と言えるものであるかどうか。
 アフリカの大衆音楽こそまさに、さまざまな音楽文化の混合物ではありませんか。そんな事も聞き取れない耳をお持ちですか?まさか、あの広大無辺で分厚い文化の層を誇るアフリカの音楽を、「民俗音楽のアルバムを”参考のために”若干聴いたのみ、今日に生きるアフリカのポピュラー音楽は無視」、なんて程度の知識を持って上のような語り方をする、そんな無責任は、なされませんよね?

 まあ、実はこの最後の部分に非常に義憤を感じまして、以上の文章を一気に書き上げた次第です。非常にやりきれない気分です。




ブルース・ハープ、街角を行く

2005-10-28 03:55:33 | 北アメリカ


 Smoky Greenwell / Smokin' Classics

 ゲッ!さっき買ってきたばかりのCDなんだけど、これ、めちゃくちゃカッコいいです。アメリカの白人ブルース・ハーモニカ・プレイヤーの新譜です。バックの演奏もタイトで良いし、なによりスモーキィのタフでブルーズィなハーモニカのプレイがたまらない快感!

 やってる曲名を、「On The Road Again」「Hound dog」「Ode To Billy Joe」「Old Man River」「Spoonful」「Today I Stated Lovin'You Agein」「When A Man loves A Woman」と並べるだけでも、スキモノ音楽ファンは、「おっ、それは聞いてみたい」となるんではないでしょうか?

 キャンドヒートの「On The Road Again」なんか、良く取上げてくれた!みたいな曲だし、演奏も、彼独自のアプローチ、しかもきっちり地に足の着いたブルース・フィーリング溢れるもので、クール&クール!しみじみ迫る「Old Man River」も、思い切り重心を落とした演奏でじっくり攻める「Spoonful」も聞き応えあり。

 おそらくカントリー界のハーモニカ名人、チャーリー・マッコイのヴァージョンに触発されて取上げたのではないかと思われる、名カントリーバラード・ナンバー、「Today I Stated Lovin'You Agein」などは、本家(?)のマッコイと「切なさ合戦」として聞き比べるのも一興と思う。いや、誰もマッコイのハーモニカ・アルバムなんか持っていないか(苦笑)

 そして”締め”に登場するのが、説明は要らないR&Bの名曲「When A Man loves A Woman」なんだから、もう何も言いません、言えません。
 アメリカの古びたブルース・ストリート(?)を捉えたジャケ写真も良い雰囲気だし、ああこれは一本取られてしまったなあ、ってな一枚でした。




アンダルシアのロック

2005-10-27 02:55:15 | ヨーロッパ


 ”Hijos del Agobio by TRIANA”

 スペインのプログレ・バンド、トリアナを始めて聴いた際の衝撃は、なかなか忘れ難いものがあった。話は1970年代末まで遡ってしまうのだが、当時私は、その種のヨーロッパのマイナーな音を求めて、東京は西新宿のレコード店並び立つ魔境に日参していたのだった。

 その日も一日の戦果を検証するべく、買い込んだレコード群を前に一杯やっていたのだが、トリアナの盤に針を落とした途端。そのサウンドが描き出す風景に一気に持っていかれてしまったのだった。目の前に広がったのは、茶色に枯れ果てた一面の荒野。吹きぬける風。そして私は、鳴り渡るフラメンコ・ギターとボーカリストの絶叫を聞いているうち、「こうしてはいられない。今すぐ街に出かけ、相手は誰でもいいから喧嘩を吹っかけなければならない。理由など無い。血が騒いで、そうせずにはいられないのだ」なんて気持ちで一杯になってきたのだ。まあ、その夜はそのまま自室で飲み続け眠ってしまい、特に暴力沙汰も起こさずに済んだのだが。あの、音を聴いているだけで喚起された血の騒ぎ。ただごとではなかった。

 トリアナの音をロック・ファンに説明するのは比較的簡単だ。「初期のキング・クリムゾンがフラメンコをやってるんだよ」と言えば大体通じるし、実際、そのような音だ。キーボード兼ボーカリスト、フラメンコ・ギタリスト、ドラマーの変則的三人組。多重録音されたシンセやメロトロンが作り出す音の壁を前に、フラメンコ・ギターがガリガリと鳴り渡り、ボーカリストの、これもまったくフラメンコの歌い手としか思えない壮絶なしわがれ声が響く。重く暗い情熱の世界。
 プログレといえば、”作り物の音楽”の最たるものというか、非常に虚構性の強いものだが、トリアナの連中がフラメンコの要素をロックの文法で纏め上げたその結果は、非常に土俗的で、スペイン人の体臭の様なものを強烈に匂わせるものとなっていた。独特のシュールなジャケ画とともに、彼らの作り出す”血の祝祭”の幻想に、すっかりとりこになってしまった。

 そのような世界をアルバム三作展開した後、彼らは電気楽器をほぼ廃した4枚目のアルバムを経て、なぜかラテン的幻想世界の濃厚さを薄め、私には意図のよく分からない薄味の音作りに向かって行ってしまった。諸行無常である。
 トリアナ側の意図は分からない。と言うか、私はそもそも、トリアナのメンバーのインタビュー一つ読んだ事が無い。彼らに関する資料も無いし、連中が何を考えていたのか、いまだにまったく分かっていないのである。まあ、時はとっくに1980年代に入っていたし、もう70年代風プログレでもないだろう的時代の風向きになってはいたのだが。
 
 トリアナのメンバーのインタビューを読んだ事が無いと書いたが、あるラテン音楽専門誌に掲載された、来日したフラメンコ・ギターの巨匠へのインタビューに、彼がトリアナの音楽にどのような感想を持っているかとの質問が含まれていて、これは楽しい質問をしてくれたなと私は喜んだものだった。巨匠の答えは「彼らの音楽は評価出来る。正しくアンダルシアの音楽をやっているから。ただあの、左翼臭い歌詞はなんとかならんものかね」であって、これも興味深かった。
 口うるさいその道の大家にお墨付きをもらえるほど、彼らは根の深い音楽をやっていたのか。そうそう、アンダルシアの音楽。トリアナのような音楽を、「ロック・アンダルーセ」と現地スペインでは呼ぶそうな。アンダルシア地方特有のロック。と書いてみて、また昔のトリアナのアルバムを引っ張り出して聞いてみたくなっている私である。




ガイジン稼業(後編)

2005-10-26 03:13:22 | 音楽論など

(前回より続く・終章)

 ”ニューヨーク在住”

 郷ひろみの”高須クリニック”のコマーシャルに、こんなのがありましたね。郷が国際派ビジネスマン(?)に扮して、ヘリコプターやら飛行機やらで、おそらくはニューヨークあたりであろう場所を飛び回るって趣向の奴。まあしかし、いかにも有能そうに振舞っている彼、何の仕事をしているようにも見えません。ただ郷ひろみがそこにいるってだけの話で。
 そういえば郷が二谷英明のムスメと結婚していた頃、「ニューヨークに住む」とか言ってませんでしたっけ?いや、実際にニューヨークで生活したんだっけ、一時期?私は、その話を聞いたときに不思議でねえ。郷がニューヨークに住むのは勝手だが、何のために?かの地に郷のファンとかが営業が成り立つほど住んでいる訳じゃなし、そんな場所に住んで、どうするんだよ?

 まあ、なんのことはない、”ニューヨークに住む”そのこと自体が、彼の”一味違う芸能人”としてのステイタスを形成するわけでね、彼はその作業をやっていたわけだ。別に、かの土地で何もしていなくても良いわけですよ。ただ住んでいるだけでオッケー。日本において彼への評価は勝手に上昇してゆく。「ニューヨークに住んでいるんだってよ」と、この一言で。
 坂本龍一なんかもそうでしょう?彼も、「ニューヨーク在住の国際派ミュージシャン」みたいな固定観念(?)を大衆に植え付けちゃっているけど、一体彼がニューヨークで何をやっているのか、本当のところを知る人は、そんなにはいないと思う。私も知りません。が、おそらくは。まあ、どうしてもニューヨークに住まなくっちゃ可能ではない、なんて仕事じゃないと思いますよ、やっているのは。にもかかわらず、無理やりニューヨークに住む。それだけで、一流アーティストとしての評価、確固たるものとなる。不思議な稼業じゃありませんか。

 このあたりも”ガイジン稼業”の一典型でしょう。”ニューヨークに住む”これです。別に、何もしていなくってもいいんだ。ただ住んでいるだけで”何ものか”になれる。それが日本の芸能界だ。いや、日本人の価値観である、て言ってもいいのかもしれない。
 なんなんでしょうね、ニューヨークってのは?これがサッカー選手ならセリエAに移籍してイタリアに住むって評価の上げ方もあるんですが、こと芸能関係となると、パリやローマじゃ箔が付きません。ニューヨークでなくてはならない。

 そもそも現在、おそらくは全世界の若者の抱えるもっとも大きな命題は、”アメリカ人になる”これでありましょう。行動的な奴になると、本当にアメリカに行ってしまったりするんですが、誰もがそうできるわけじゃない。それにまあ、行ってみたところで多くの場合、”アメリカ在住の非アメリカ人”にしかなれなかったりします。いや、これは国籍とか、そういう問題じゃなくて。
 で、しょうがないから今いるその場で、日本人なら日本人のまま、アメリカ人の如きものになろうとする。と言っても、なんだか訳の分からん話ですがね。その矛盾に満ちたありようを生まれながらに実現してしまっているのが、例の帰国子女って奴で、それゆえ、彼等彼女等はイジメに遭ってみたり持て囃されたりするんですが。

 かってはねえ、ミーハー・シーンを支える意識としての”ヨーロッパへの憧れ”なんてのもあったんですが、今はブランド志向と海外旅行にその片鱗をとどめるのみ。いまや、流行の洋楽といえばアメリカ音楽を指し、憧れの”洋画”の俳優はアメリカ人、そして住むべきアートな都はニューヨーク。いつの間に、こんなことになってしまったんだ?

 これもアメリカの世界戦略の成功の結果?いや、ほんとにそうなんでしょうね、きっと。

 ”ジープの上からの視線”

 あれは安岡章太郎だったかなあ、老大家が終戦直後の思い出話として語っていたのですが、駐留軍相手の売春婦たちが米兵のジープに乗せてもらい、街を走り回っているのを良く見かけた、と。彼女等は、安岡たち男どもが食うや食わずで地べたを這いずり回って暮らしているのを車上から、汚いものを見る視線、まさに”蔑視”をしていた。その視線がたまらなく不快だったそうな。

 この辺が”ガイジン稼業”の源流かとも思ったりします。「あんたたち、汚いかっこして、腹減らして、ブザマったらないわ。あんたたちはアタイらを汚れた商売をしていると非難するんだろうけど、でも現実に、アタイらは良いもの食って良いもの着て、こうして車に乗って楽しい思いをしている。要するに勝ち組。あんた等は今日、寝る場所もない負け組。きれい事言ったって、この現実はどうにもならないじゃん?」とね。この論理が源流となって、今日まで連綿と続くガイジン稼業の繁栄がある。

 擦り寄る。勝ち組たらんとアメリカに。アメリカ人としてこの世に生まれなかった現実はいかんともしがたいんだけど、次善の策(?)として”ガイジン”たらんとする。いろいろ口実を設けて。
 外人と友達だからガイジン。英語の歌のCDを出したからガイジン。外人とセックスしたからガイジン。外人がよく来るクラブで”顔”だからガイジン。3日前からニューヨークに住んでるからガイジン。日本在住の外国人のコが通う学校に行ってるから、日本人だけどガイジン。などなど。
 そんな願望が銭儲けのためにシステム化されたものがガイジン稼業である、と。まあ、こんなところでしょうか。

 かってはこの構造、”白人対有色人種”とか”いわゆる先進国対第三世界”なんて形になっていたんですが、アメリカの世界戦略が拡大するに伴い、もはや”アメリカ対それに服従するその他の全世界”と変化しております。そいつに本気で疑問を持ったりすると、その先には、たとえば今日の、アフガニスタンやらイラクやらの現実が待っていたりするのでありますが。というか、これらは”アメリカの裏庭”たる中南米諸国では、もう何十年も前から普通に行われている乱行でありますが。

 さて。そして、いずれ全世界はガイジンだらけとなって行くのでありましょうか?なんか、ゾクゾクしますねえ。




ガイジン稼業(中編)

2005-10-25 01:40:03 | 音楽論など

(前回より続く)

 ”ウタダvs倉木”

 いかに自分が”外人のようなもの”であるかを示し、それによって他人を差別、そこから生まれる水位差によって銭儲けしようという、芸能界における”ガイジン稼業”は、この日本列島におきまして今日も粛々と進行して行くのであります。
 ウタダヒカルを語ったならば、ここで当然、ペアで語らねばならないのが倉木麻衣でありましょう。

 人事の滑稽を見るのが大好きな私としては、どうにもはまり過ぎで忘れ難いのが、倉木のデビュー当時書かれたある雑誌記事であります。

 それは、「確かに倉木はウタダと似たような音楽をやっているように感じるかも知れないけど、よく聞けば彼女には彼女独自の良さもあるんだから、聞いてみようよ」なる、おそらくは倉木サイドが傘下の御用音楽ライターに書かせたのであろう記事であった。注意しなければならないのは、なにかとウタダの類似品といわれる倉木であるが、この時点ではウタダと比較されるどころか、まだまるで話題にはなっていなかったという事。
 一見、”似ている”件に関してフォローしているかに見える文章であるが、その本質は、ウタダのCDを買った人々に向けた、「ねえ、この子、ウタダと同じような音楽をやっているんですよ。ウタダが気に入ったなら、この子も同じくらい気に入ると思うんですよね。ねえねえ、聞きましょうよ。買ってみたらいいんじゃないかなあ、倉木麻衣」ってアピールなんですね。
 ”似ているから買ってください”と主張する方法として、誰も”似ている”ともなんとも言っていない時点で、”似ているんだが違います”なる文脈をブチ上げてみる。ガイジン稼業ならでは、と言いたい歪み倒した進行であります。ゾクゾクしますね、気色悪い楽しさに。

 これと似たようなパターンを、ぜんぜん違う分野からご紹介いたします。
 かって”フォークの神様”と呼ばれた岡林信康が”金色のライオン”なるアルバムをリリースした際に、そのプロデュースを担当した元はっぴいえんどのドラマーにしてそろそろ歌謡曲の作詞家として頭角を現さんとしていた松本隆が、雑誌に発表した文章です。彼は自身のアルバムプロデュース作業の意図をあれこれ語った後、文章をこう結んでいた。「だから、僕がプロデュースした岡林の”金色のライオン”が、ボブ・ディランのアルバム、”血の轍”に似ているなんて事はまったくないんだよ」と。
 ここで岡林ファンは、「そうか、岡林の新しいアルバムは、ディランのあのアルバムと似たようなもの、と認識すればいいんだな。誉めるにしても貶すにしても、そこを押さえておけばいいんだ」と悟る仕組みになっているのであります。
 褒めたい奴は「ディランの”血の轍”に匹敵する傑作である」と言っておけばいいし、通ぶって貶したい奴は「”血の轍”の物真似だ」と言えば格好が付く。なんとも行き届いたファンサービスであります。

 この、「作品に対する反応を好評も悪評もあらかじめ作り上げておき、それをセットで消費者に吹き込む。これによって顧客に”独自の判断”などさせないように持って行く。そして、”顧客の反応を見る”のではなく、次の段階、”顧客の欲望を業界にとって都合の良い方向に導いてしまう”形に産業構造を作り上げる」という問題、これはこれで一項設けて論じたい所でありますが、それはまた後日、と言うことでお許し願いたく。

 お話を戻します。

 倉木の場合、この後日談として非常に味わい深いものを残すのが、ダウンタウンのハマダの”舌禍事件”でしょう。彼が音楽番組においてウタダヒカルを前に、「倉木はウタダと似たようなもの」と語った、それに対して倉木サイドが”似ていない。類似品などではない”と、猛然と抗議した、という事件。
 売れていない頃は「似ているから聞いてみようよ」とアピールし、売れた後には「似ていない」と主張する。勝手なものでありますが、ここで忘れずに押さえておきたいのは、その番組内でハマダに”似たようなもの”と倉木の話題を振られたのを受けて、「私も、初めて聞いたとき、”あれ?これ、私?”と思った」と答え、”類似品説”を支持したウタダに対しては、倉木サイドは何も抗議をしなかった事実。抗議したら面白かったと思うんですがねえ。さすがにそれは出なかったんでしょうか。

 倉木のガイジン稼業進行の不思議さに関しては、まだまだ枚挙に暇がないものがあり、変なもの好きな私を果てしなく喜ばせてくれるのであります。

 倉木が全編、英語詞で唄った曲があるんですがね。私は、BSかなにかの音楽番組で、その曲のビデオクリップがオンエアされたのを見たんですが、いや、妙なものだった。ずーーっと画面下方にテロップで英語の歌詞が示される。まあ、英語の曲ですから、そりゃそうなんだけど、でもこの曲、日本人の倉木が日本人を対象に唄ってる曲なんですね。その時点で偶然日本にいた外人以外、その曲を聞く機会のある英語のネイティヴ・スピーカーなんかいない訳で。全然、英語で唄う必然ってものがない。にもかかわらずその曲は、全編英語で唄われている。何のために?倉木の”ガイジン度”を高めるためなんですねえ。
 ニューヨークで育ちました、とか言う触れ込みのウタダに比べ、いわば”単なる日本人”である倉木が、ウタダを真似たガイジン稼業を行うのには、もともとかなりの無理があった。だからそこで一発、全曲英語で歌った曲を歌ってみれば、倉木のガイジン度はグッと増してくる・・・筈だ・・・とスタッフは考えたんでしょうなあ。バカな話ですが、やってる本人、本気ですわ、多分。そして、そんな猿芝居に手もなく納得させられちゃうのが、今日の大衆ってものなんですねえ。大笑いです、悲しいです。

 まあ、どんどん訳の分からん話になって行きますが、そもそもが捻じ曲がった心理作業である”ガイジン稼業”であり、そいつを行った結果として、それに携わる者は、かくの如き妙な作業を強られる、とここは心に御留めいただきたいのであります。

(次回へ続く)



ガイジン稼業(前編)

2005-10-24 01:26:45 | 音楽論など

  ”ガイジン稼業概要”

 あれは昨年の春ごろだったかなあ、レコード会社エイベックスから期待の新人として大プッシュされ、デビューしたコがいました。
 芸名は忘れちゃったなあ。確か苗字は漢字三文字で、名は”紅”だった。ハーフかなんかの女の子であり帰国子女、「日本人離れのしたプロポーション」が売りで、何人かの女の子のバックダンサーが付いて、流行のダンスミュージックを踊り歌う。アムロ以来、ありがちなキャラクターですね。

 CCCD化路線の先頭に立っているエイベックスを嫌悪していた私は当然、彼女の売込みが大失敗に終わる事を天に願ったのでありますが。結果は・・・だからほら、あなたもここまで読んでも彼女に心当たりがないでしょ?なんかこの間、テレビのCMに出ているのを見ましたが。まあ、その辺がお好きな向きは、すぐに名前は出てくるんでしょうけど、会社が目論んだほどの大スターって気配はない。
 まあ、それはそれとして、その彼女のプロフィールにあった一言をここで話題にしてみたいのであります。いわく。

 ”ハーフで外国育ちの彼女なんで、日本語は苦手。テレビ出演の際など、会話に問題ありかも知れないけど許してね”

 ハハ。なーにを言っておるのかね、ですね。上の如きキャラ設定でこのコメントがあれば、そこに込められた裏の意味、もう露骨に見えております。レコード会社宣伝部が本当に言いたいことを訳出しますと、

 「頭の軽いティーンエイジャーのお前らに次ぐ。日本で一番偉いのは”外人”だよな?もちろん、”英語を喋る白人の外人”に決まってるけどよ。で、お前らも、いつか外人になってみてーだろう?だけどなかなかなれるもんじゃねーよな。
 いいか、俺たちが売り込む今度の子はハーフなんだぜ。半分外人なんだ。しかも帰国子女だ。これはもう、チョー外人と言っていいんじゃねーのか、ええ?その子がお前らのためにテレビに出てわざわざ唄ってくれる。ありがてえ話じゃねえか。
 で、ここが肝心なところだからよく聞けよ。テレビで司会者に話しかけられたら、この子はうまく日本語で受け答えが出来ないかもしれない。それが、この子が外人であるアカシなんだぜ。カッコ良いよなあ。分かれよ、その辺を。
 これはもう、買うしかねーだろ、この子のデビュー曲をよ。こんなオシャレなものを買わずにどうする」

 でありましょう?こんな商売がいまだ平然と横行している。今回、彼女が売れなかったのは、単なる巡り合わせでね。情けなくなってきますねえ。

 そして話はウタダヒカル問題へとなだれ込むのであります。

 ”ガイジン、外人に敗れる”

 その当時テレビで、かなり頻繁にオンエアされていたウタダヒカル出演の任天堂のゲーム機かなんかのコマーシャル。もうお忘れかと思いますが。
 あれって、本当は”全米デビュー成功記念・凱旋CM”とでもいうべき輝かしいものになる予定だったんじゃないですかね?現状は、「あのCMに出て、”あ、出来た出来た!”とか言ってるのはウタダヒカルだよね」「え?そうなの?」って、もう一つパッとしない認識で終ってしまったわけですが。

 あの当時、敢行されたウタダの”全米デビュー”は結局、どうなったの?ってな話をしたいわけですが。その後の報告が全然ないでしょ?先日、満を持して発売されたはずのウタダのアメリカ・デビュー盤、どうしたのよ?発売前は「坂本九以来の日本人による全米ナンバー1ヒット」とかになる、みたいな話をしていなかったっけ、関係者は?
 なんか発売直後に、案に相違してあちらのチャートのベスト100にも入れないでいる、なんて情報がチラッと音楽番組なんかで話されていたけど、その後、全く話題にならなくなってます。もう、全米デビューなんて事実、全くなかったみたいだ。これって、「あの話はなかった事にするんで、話題にしないでくれ」って”工作”がウタダ・サイドから各マスコミに行われた結果であろうと想像するんですが、いかがですか?大成功する予定がコケてしまったって事実を、できればウタダのキャリアから消し去りたいって思惑から。
 
 でもねえ、そりゃはじめから無理でしょう。前回に書いたような日本人の対欧米人コンプレックスを巧妙について人気”アーティスト”となったウタダなのであり、要するに、ニューヨークで育ったの何のと”実績”をアピールし、”本物の外人ほどの距離感を感じなくて済む、日本語も通じる、準外人”ってなポジションを日本の芸能界に確立したのが、彼女の”成功”の要因なのであって、そりゃあなた、そこら一面、全員、本物の外人のアメリカに行って、その魔法は通じませんよ。

 その辺、ウタダのオトーサンとかは、どう考えていたんだろう?出来上がった”芸能界におけるポジション”を、それがシンデレラのカボチャの馬車であって、日本国内でしか通じないって現実を計算に入れ忘れた上でのアメリカ・デビュー計画だったんじゃなかろうか。まあともかく、上で述べたような”全米デビューに関する話題への緘口令の徹底”ゆえに、かえってウタダ陣営が本気でアメリカでの成功を考えていたんだ、そしてそれに失敗してしまったんだとの確信を深める証左となり、野次馬の私としてはますます面白くなってくるんですが。

 ”ウタダの小細工”

 そのウタダヒカルでありますが、彼女の売り出しの極初期における、忘れられないイベントがあります。デビュー曲がヒットし、「そのウタダってのは、どんなコなんだ?」と、ファンの興味もいや増しとなった時期の出来事であります。
 曲がヒットしてもすぐにテレビなどに出るわけでもなし、実像が今ひとつ見えない。定石どおりに、そんな一定の焦らしの期間をおきまして、彼女が初めてナマのFMラジオに出演するという手はずになった訳ですな。
 まあ、考えてみればオーバーな話と思うのですが、彼女が初めてナマでメディアに露出するってんで、新聞沙汰になりましたもんね。

 で、その当日。番組の収録場所は、そのFM局のサテライトスタジオだった筈です。表通りに面したサテライトスタジオですから、もう道行く人々にも丸見えのロケーション、さあ、話題のウタダってコを一目見てみようとマスコミやら観衆やらが集まったところで、おもむろに登場いたしましたのはなにやら長大なハシゴを装備しました巨大な作業車。作業車はスタジオの大きなガラス窓を、どでかいシートで覆い始めたのでありました。サテライトスタジオは密室と化してしまったのであります。
 これは味わい深い行為でありました。番組はそのままオンエアされ、皆が期待していた彼女のナマの喋りは全国に届けられたのでありますが、しかし、その御姿は、見ることが出来なかった。ただ、番組収録の直前に、スタジオを覆ったシートの隙間から外の聴衆に手を振るウタダの姿が、一瞬、垣間見られただけだった。

 わざわざシートなんかで覆ってその姿を見せたくないってんなら、サテライトスタジオなんて場所を選ぶ事はないわけでしてね、もっと放送局内の奥まった場所で番組収録を行ったら良い。あえて皆が見ることの出来る場所を選んで、しかも、そこに皆の注目が集まるように演出した後、その場所を封じてみせたのですね。ここで行われたのは、”お前らには見ることが出来ないものがあるのだぞ”との”一般大衆”への宣言である。
 それによってウタダサイドは、”お前らの身分で、簡単に見る事など出来る存在ではないんだぞ、ウタダは”って”階級”を成立させてみせたのだった。

 ここで見えてきますのは、この場合はウタダに代表されるような”在日半ガイジン”てのが、そんな訳の分からない階級意識によってその立場を形成している、ある時はその水位差によって商売を成り立たせているって構造ですね。
 なんなんでしょうねえ、ガイジン稼業ってのは。

 以上、前編。お話は次回へと続きます。




ルーマニアのジプシーバンドの謎を探る

2005-10-22 03:37:52 | ヨーロッパ

 まず、謎のアルバム、Gipsy in Blue (by ”RADUCANO”)を DIG する(?)

 以前、戦前録音のカリプソなど聞いていて笑ってしまった事があります。創成期のカリプソなんでバックはジャズ仕様のバンドが勤め、デキシーなんかを連想させる2・4ビートを叩き出しているのです。が、曲の方は、あのピョコピョコ飛び回る南のメロディであり、そこには歌と伴奏の間にリズムの食い違いが生まれかけている。その矛盾にただ一人(?)気がついているのがバンドのバンジョー弾き氏。この目の前の矛盾を何とか解消せねばと義務感にかられた(かどうか知りませんが)彼は、ガチャガチャガッチャンと複雑怪奇なカッテイングで楽器をかき鳴らし、聴いてる私は彼の報われない悪戦苦闘振りに苦笑せずにはいられなかった次第。

 で、今回取上げるルーマニアのジプシー・バンドのこのアルバム、その種のごり押しの混乱が満載であります。
 たとえば3曲目の”Magdalena”などは、アルジェリアのライ・ミュージックなど思い出さずにはいられない、アラビックにクネクネしたボーカリストの歌唱が印象的な曲なのでありますが、まあ、ルーマニアのジプシー・バンドだったら、そんな曲がメインのレパートリーですね、普通。が。
 そのバックで鳴り渡るのは「俺はズージャをやるけんね。これだけは絶対に譲れんけんね」と言わんばかりの典型的なジャズギターのコード・カッティングであり、ドカドカと傍若無人にバンドのど真ん中を歩き回る一小節四つ音弾きのジャズのウォーキング・ベースであります。

 ただ、この二人が先に述べたカリプソのバックのバンジョー弾き氏と違うのは、彼らが、もっぱら東欧風なメロディラインを持つ曲を演奏するバンドの中心にいながら、まるでデューク・エリントンのバンドにでもいる気で4ビートを刻む自分たちに何の矛盾も感じていなさそうである、と言う点。
 さらに事をややこしくしているのが、アコーディオンやクラリネットを担当しているその他のメンバーでして、彼らは彼らで、ジャズなんぞは聞いたこともありません、と言わんばかりの、絵に描いたような”東欧ジプシーの器楽演奏”に徹している。彼らは彼らで、古くからのジプシー音楽を昔々ジイサマに教わったとおりに演奏する事にしか興味はなく、ギターやベースに付き合ってジャズ方向に調子を合わそうなんて気持ちはさらさら無い。としか思えない。

 ともかく、何でこいつ等が一緒にやって行けるんだ?と唖然とするようなバンドの音楽性のバラけ具合であります。そりゃ、ワールドミュージック展開の上の実験としてそのような荒業を展開するのは、今日ではそれほど珍しくはないでしょうが、この人たちは東欧の田舎の祭りかなんかを廻ってその日その日の銭を稼いできた”芸人”なんだ。訳の分からん実験音楽をありがたがる音楽マニア相手に商売してきたんじゃなく。
 結果がメチャクチャな音楽になっていればともかく、非常に異様な有様ではあるものの、決して混ざり合う気のなさそうな2種の音楽が並立するごり押しの混沌の中から、なにやら独特のグルーヴ感とでも呼ぶべきものまで生まれ出ているんだから、恐れ入った次第です。どのような経過でこのような妙なバンドになってしまったのか、その歴史をぜひとも尋ねてみたいものでありますが。

 で・・・今、どうしているんだろうなあ、この”RADUCANO”なるバンド。あっと、ここでお話ししたこのアルバム、私が手に入れたのは、もう10年以上前のことなのであります。バンド・リーダーの名も、”JOHNNY RADUCANO”と、なにやら怪しげでした。”ジョニー”ってあたりが(笑)

 上に添付した写真は、RADUCANOの近作CDのジャケであります。該当アルバムのものはネット上に見つかりませんでした。ちなみにこの近作、私は聴いて無いんですが、解説を読むと、どうやらRADUCANOは、”ジャズマン”として現地では認知されてるみたい。とすると、かっての”ジプシー・バンド”は、気の染まない営業として行っていたんだろうか?しかしそれがそんなに儲かる仕事とも・・・ますます謎は深まります。



インドに置き忘れられたラテン音楽

2005-10-21 04:08:18 | アジア

 私の目の前に、そこはかとなく「駄菓子屋の店先で売っていた」みたいなチ-プさを感じさせる作りのカセットが一本ある。

 ジャケ写真は・・・椰子の木の向こうに海が広がっている風景があり、その片側に一見、ウディ・アレンみたいなパッとしないオッサンの写真があしらわれている。この人物が、バンドと言うよりは楽団と言った方が似合いの、この音楽集団のリ-ダ-、オスランド氏なのであろう。

 インド亜大陸の西海岸、元ポルトガル領だった町、ゴアの音楽である。一聴、不思議な懐かしさが吹き抜けて行く。これを、コロニアル風とでも呼ぶのだろうか。弦や女性ヴォ-カルをメインに押し立てた、二昔くらい前の「粋」を感じさせる、南欧風なサウンド。インドの音楽の響きは、シロウトには聞き取れず。おそらく演奏しているのは、ほとんどが白人なのではないか。といって、どれほど「本国」ポルトガル音楽の伝統に忠実なのかも分からず。ほのかに、どこか混血音楽の気配がないでもないのだが。私なんぞが子供の頃に全盛だった、小林旭の日活アクション映画の舞台となった、昭和30年代頃のキャバレ-の音楽をも、大いに彷彿。

 今時植民地でもないのであろう。そんなものは、前世紀どころか、前々世紀の遺物なのだ。
 世界史の裏通り気分とでも言おうか、全体を覆う、時代の波にとっくの昔に置き忘れられた音楽の悲哀が、妙に心に残る。もう、存在意義を失ってしまった音楽なのに。

 いや、我々人類全員が、すでに時の流れに置き忘れられた存在なのではないか。自らが作りだした、にもかかわらず、いつのまにかこちらの手にはおえない存在になってしまった我々の歴史が遙か彼方を爆走するのを、その後ろ姿を、為す術もなく見送るしかない我々すべてが、実はゴアの住人なのではないか。このはかなげな音楽こそが、今の我々を写す鏡なのではないか。

 ゴアの音楽を聞いて、そんな事を考えた。