ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ウクライナの秋

2011-10-31 04:20:36 | ヨーロッパ

 ”Pshenychne pereveslo”by Oxana Bilozir

 ウクライナの民謡調ポップスの大物ということ。歌のお姉さん上がり風?の揺るがぬきっちりとした唄いっぷりで、民族色豊かなメロディを歌いついで行く。

 しかし、東欧圏というか旧ソ連圏諸国のこの種の盤の製作者たち、もう少し伴奏に気を使わないか、と思わないでもないのよなあ。アップテンポの曲はどれも行進曲風の処理であったり、なんというか一本調子で音楽の陰影というものを考慮に入れていないのだ。いかにも、「党大会の会場に流せば景気がいいだろう」なんて価値観で音楽を学んできた人たちの仕事、という感じ。
 まあでも、その辺の融通の利かなさというか石頭ぶりが、いかにも旧共産圏らしい異世界ぶりで逆に良い、という面白がりかたもあるのだから、マニアの感性もどういうものだか。まあ、私のことなのだが。

 歌い上げられるウクライナの調べは、ロシアのものとは微妙に違うのだろうが、あのスラブの哀愁を濃厚に内に秘めた、これもまたマニアにはたまらないもの。暗闇の中に一筋灯す明かりのような、ほのかな希望や憧れを胸に秘め、広大な大地の永遠の苦悩や孤独を生きてきた人々の、静かな情熱が奥深くに力強く脈打っている。



青草のファブリツィオ

2011-10-29 01:38:59 | ヨーロッパ

 いけね。昨日の記事に、初期のファブリツィオの歌の画像を貼るのを忘れていた。昨日の分に貼ったのは、イタリアの伝統に耽溺していたファブリツィオがアメリカのフォークなどに影響を受けて、それなりにインターナショナルな感覚を身につけていった5枚目のアルバムに所収の曲でした。で、今回、下に貼ったのが、それ以前の曲。3枚目のアルバムに入っている曲です。

 このメロディはイタリアのトラディショナルな音楽に添う形で書かれたもの、と考えていいんでしょうか。こんな感じの薄暗い湿ったメロディを、この頃の彼はメインに歌っていたのですが。
 しかし、激動の60年代末、という感じでもないですね、このファブリツィオの姿を見ていると。居間でくつろぐカーディガン姿の若年寄り、ではないか。
 まあ、社会派として売り出した彼ですから、歌詞内容など分かれば、それなりに過激なことを歌ったりしているのかも知れませんが、当時のイタリア北部の日常は、まだのどかなものだったのかな、などとなんとなく気恥ずかしい気分でこの映像を見てしまうのですが。

 とはいえ最近の心境としては、この国際化以前の青臭きファブリツィオに、次第次第に惹かれていかないでもない私だったりもするのです。



ファブリツィオ・デ・アンドレ 1967 - 1971

2011-10-28 02:21:26 | ヨーロッパ

 70年代の終わりから80年代の初めにかけて、PFMやマウロ・パガーニといったイタリアン・ロックのスターたちをバックに従え、”イタリアの大物シンガー・ソングライター”という触れ込みでロック・ファンの前に姿をあらわした、ファブリツィオ・デ・アンドレ。
 その後、印象的なアルバム何枚かを世に出した後、21世紀が来るのも待たず、58歳の若さで逝ってしまった彼なのだが、そんな彼が若い頃はどんな歌を歌っていたのか、気になっていた。そこに今回、好都合にも彼のアルバムを時期ごとに5枚ずつまとめたボックスセットが出たので、さっそく入手してみた。まずは初期の5枚のアルバムを集めたセットの感想など。

 ざっと聴いてみると、あの低く良く響く声で語りかけるように歌う、というのはこの人の一貫した姿勢のようだ。声高に叫んだりはしない。甘口に夢を歌ったりもしない。モノトーンの歌声は、往年のイタリアン・リアリズム映画など連想させたりする。
 彼が造り歌うメロディは、古いヨーロッパの歴史の底に降り積もった民衆のため息を煮しめたみたいな、伝統の重みを感じるマイナー・キィの暗く淀んだ旋律が多い。
 歌詞はどの曲も相当に長い。多くの曲で、早口でメロディの中に長文の歌詞を無理やり押し込む、の芸も見せる。
 このあたり、イタリア版のシャンソン、なんていう人もいたジェノバ派シンガー・ソングライターの重鎮たるファブリツィオの面目躍如たるところなのだろう。「能天気にアモーレアモーレ言っていたカンツォーネの世界に社会派の旗を掲げたジェノバ派」の総帥としての彼の。

 シャンソンといえば、PFMとのライブでも彼は孤高のシャンソン歌手、ジョルジュ・ブラッサンスの曲を歌っていたものだが、この初期作品群でも折に触れて取り上げている。3rdを聴いていて、”ゴリラ”が飛び出してきた時には、よほど好きなのだなと、なんだかニヤニヤしてしまったのだが。

 全体から受ける印象は”物語歌”であり、”詠嘆”である。社会の矛盾を冷徹に見据え、無辜の民衆の上に襲いかかった悲痛な運命を歌に形を借りて訴えかけ、問いかける。そんな歌なのだろうなと、イタリア語なんかろくに分かりはしないのだが、長いこと音楽ファンをやってきた者の嗅覚にかけて、そのように断じてしまう。
 1st(Volume 1)においては、ほぼギター一本をバックに歌われている。自身の演奏かどうかは分からないが、使われている楽器はガットギターであり、使われているテクニックはクラシックのそれである。

 2nd(Tutti Morimmo a Stento)にいたって、伴奏にいくらか変化が出てくる。ジャズっぽさが持ち込まれたり。とはいえ、それはスパイ映画やマカロニ・ウエスタンのサントラめいた、ともかく映画音楽経由のそれであるのだが。アレンジャーがその方面の人だったのか?ともかくこのあたりではまだ、サウンド上の面白さは出て来ていない。
 3rd(Volume 3)にいたって、いろいろカラフルに楽器が使われるようになって来ている。とはいえ、特にひらめきは感じられないのだが。それと同時に彼の歌い方も生硬一本でなく、心持ち、広がりを感じさせるようになって来ている。少なくとも、メロディをヤクザに崩して歌うすべをこのあたりで覚えたのは事実だ(笑)

 以上が1967年から68年にかけてファブリツィオが世に問うた3枚のアルバムの駆け足の感想なのだが、それにしても、あの激動の60年代後半であるのに、ここまでで彼の音楽にロックの気配はまるで感じられず。そのような流行とは無縁の世界に彼が住んでいたということなのだろう。むしろヨーロッパというものの底の広さを感じてしまったのだが。

 さて、4枚目(La Buona Novella)でついに70年代に突入。何度も登場する聖歌隊みたいなコーラスをバックに、というかファブリツィオの歌声と掛け合いのように進行して行き、全体で何らかのテーマを追ったトータル・アルバムではないか。
 3曲目、なんとバックにシタールとタブラ登場。ファブリツィオの歌はいつもの通りなんだが(笑)ともかく、ヨーロッパの伝統と向き合ってばかりいた彼の音楽世界に時の流れが影響を及ぼしだしたのだ。そういえばバックで鳴るギターもエレキギターであり、後ろではハモンドの音さえする。
 サウンドは確実にロックの洗礼を受けており、ファブリツィオの歌声にも、曲作りにも、時代は大きく影を落としている。9曲目なんか、アメリカのフォークシンガーが作っても不思議はない曲調だ。ほかにもロック的感性で聴いて「良い曲」と思える曲あり。そういえば、ジャケのデザインも、このあたりからお洒落になってきた。
 とはいえ、ファブリツィオの古きヨーロッパを見つめる憂愁に満ちた視線だけは変わらず、その翳りはやはり彼の音楽の根元にあり続けるものだろう。

 さて、71年度作の5thアルバム(Non Al Denaro Non All'Amore Ne Al Cielo)この辺になると普通にロックの音がしています(笑)いや、ほんとに。この当時はロック界もシンガー・ソングライター・ブームだったわけだけれど、このアルバム、当時の”ブラックホーク”で聴かされても、好きになったに違いない。
 それほどアメリカのシンガー・ソングライター的な曲作りが出来ているのだけれど、同時に、デビュー当時から背負っていたヨーロッパ的な暗く湿ったメロディを、新しく手に入れたロックの方法論で同時代化する術を覚えたのも大きいだろう。とにかくスケールの大きな音楽を作れるようになってきている、確実に。

 ということで、「歌い手・ファブリツィオの冒険」その第一章は、こんなところで。




透明人間の喪失

2011-10-27 04:25:32 | 60~70年代音楽

 さっき、本当に久しぶりにクニ河内の「透明人間の歌」を聴いた。つけっぱなしにしていたラジオから流れてきたのだ。

 この歌の発表された当時の音楽祭においては、上條恒彦の「旅立ちの歌」だっけ、ああいった壮大な歌い上げ系の歌が持て囃されていたから、そんな世情への批判として、クニはあのような脱力ソングを世に問うたんだろう。一流ぶったその音楽祭のきらびやかなステージのど真ん中でわざとブザマに振舞うクニは、実にかっこ悪くてかっこ良かった。

 が、さて、どれほど当時の人々に彼の真意は伝わったのだろう。私は友人と、その間抜けな曲調がただ嬉しくて、大うけで聞いていたものだったが。
 結局、「透明人間」の問いかけていたものは、その後に起こった第一次石油ショックによって、全日本人が思い知らされることとなる。
 時は流れ。すべてのものがぐずれ去った、もう何度目かも忘れた瓦礫の前で、我々には今、「透明人間の歌」の一つもない。

 ラジオは中島みゆきの歌う、何たら言う映画のテーマソングに変わっている。中島みゆきってさあ、なんでこんなにご立派な歌ばかり作るのだろう?そんなことばかり考えている奴って、なんなんだろう?うんざりしたり疲れたりしないのか、自分で自分が。

 とりあえずこちらの事情を話せば、昼間抜いた虫歯のあとが痛くてならない。鎮痛剤は出されているのだが、こいつを飲むと胃をやられると分かっているので、手をつける気にはなれない。酒を飲みたいんだが、とんでもない話で。
 眠らないのに意味はない、ベッドまで行くのがダルいんで仕事場から動けず、ただ仕事場でラジオを聴きながら無為に時が過ぎてゆくのを見守っている。ちょっとでも眠っておくほうがいいとは思いながら、もうすぐ朝がやってきてしまうのだろう。




イ・スンヒへの遥かな道

2011-10-26 04:30:05 | アジア


 というわけで。ここで我々がまず問題にしなければならないのは、Lee Seung Hui嬢のムネが本物かどうか、ということであろう。
 変形ジャケを開くと、歌詞カードが簡単な写真集になっていて、そこに写っている彼女のムネは非常に立派なのである。たまんねえぜ、なのである。けど、なんか坂本冬実に似たその地味目の顔立ちとなんかそぐわない気もするのである。ほんとにこんなにあるのかなあ、彼女。
 それにしてもレコード会社、こんな写真を載せるのなら、表ジャケにド~ンと乗せれば売り上げも上がろうものを。いや、マジで。それが大衆音楽の真実ってものでしょうが。

 なんて話を続けていても仕方がないので音楽の話をするが。韓国の新人トロット歌手、イ・スンヒ(Lee Seung Hui)嬢の昨年リリースされたデビュー盤であります。これがいいんだ、なかなか。
 まず彼女自身がデビュー盤とはいえ、すでによく訓練された演歌歌手として出来上がっており、錆びた声と揺るぎのないコブシ回しで颯爽とすべての曲をぶった切るように歌い飛ばしている。いっそ爽快である。
 伴奏陣も楽しませてくれる。アップテンポの曲は昨今のトロットでは当たり前のディスコ的展開を見せるのだが、それに絡む昔ながらの演歌ノリのうねりを見せるホーンセクションがリズム上の矛盾から、東欧のジプシーバンドみたいな屈折フレーズを吹かざるを得ない局面に追い込まれたりするあたり、妙にファンキーでよろしいですな、偶然の産物とはいえ。

 特筆すべきは2曲ほど含まれるスローもので、これらは本来はベタな演歌としてそれこそトロット、ズンタカタッタと地を引きずるように演奏され歌われるものだろう。それがここでは、ライト感覚のロックっぽいアレンジがなされ、不思議な開放感というか空間の広がりが入り込んできているのだ。陽の光溢れる潮風演歌、みたいなね。このサウンドだけでもアルバム一枚費やして追いかけてみて欲しい気がするが、そういうことには興味ないだろうな、トロット界。

 それにしても、ネット上に彼女の資料が何もないっての、何とかしてくれないものか。検索かけても、韓国名物、行けども行けどもの同姓同名地獄で、同姓同名、あるいは似たような名前の女優やら先輩歌手やらスポーツ選手の記事に、単なる似た名前の素人のフェイスブックが入り乱れ、ついには、「我が友、イ・スンヒ」なんてややこしい名前のバンドまで登場してきて、その関係ない情報の海にまぎれてついに彼女、Lee Seung Huiに関しては何も分からないままだ。
 韓国じゃ、同姓同名問題に関してどう考えているんだろうか。デビューに際して「この名前、もう先輩歌手にも女優にもいるし、人間国宝も二人いるから別の芸名使おうよ」なんて提案があってもよさそうなものなんだが。

 さらに。しがないトロット歌手とはいえ、芸能界デビューしたんだから、ホームページくらい作ってやるがいいじゃないか、事務所も。ブログやらせるとかさあ。韓国はネット大国と聞いたけどなあ。
 というわけで。案の定、You-tubeにも彼女、Lee Seung Huiの映像は見つからないのでした。もう、しょうがないからほかの歌手のものを貼っておきます。まあ、トロット界のとてつもないノリだけ分かっていただければと思います。ケンチャナヨ。

 というか、この子たち(↓)のアルバムなんかちょっと聴いてみたい気がするんだけど。トロットの世界にもアイドルがいるんだね。今のところチーム名も分からないけど。



中学生の書いた原発

2011-10-25 05:43:52 | 時事

 下は、こちらのブログ(http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/3566551d49fc28b5dfcb648912e28ef7)に発表された「中学生の書いた原発」なる作文です。分かりやすいんで、自分の心覚えのためにも、ここにおいておきます。

 ~~~~~

私が「原発は必要かどうか」調べようと思ったきっかけは、東日本大震災の直後に起こった「福島第一原子力発電所」の事故です。
あの事故以来、野菜や肉、稲ワラなどから放射性セシウムが検出されたり、次々に原発の事故があったりと、いろいろ問題が起こってきました。
なので私は「原発は本当にいるのか」「あっても問題ばかり起こす発電方法なのではないか」と考えるようになりました。

まず1つ目に調べたことは「原発はどのようにして電気をつくっているのか」ということです。
そこで、インターネットのホームページで調べた結果、次のようになりました。(※図1)

1.原子炉の中では核分裂が起きると、強れつな熱が発生する。
2.それが熱源となって燃料のまわりに流れている水をふっとうさせる。
3.ふっとうした水が高温の水蒸気となり、タービンに送られる。
4.蒸気がタービンの羽に当たると、運動エネルギーが生まれる。
5.運動エネルギーがタービンを回して電気ができる。
6.電気が送電線に伝わって家庭や工場に送られる。

たかだかお湯を沸かすだけの装置なのに原子力を使うから、多くの犠牲を出し、不安をまき散らす。
原発は原料となるウランを掘る時にもヒバク者を出し、労働している人もヒバクし、原発事故が起きれば大勢の人がヒバクします。
原発は人の命を必ず犠牲にして成り立っていると私は思いました。

次に地震が多い日本に54基の原発があることが安全なのか調べてみました。
「ガル」とは瞬間的な揺れの加速度で地震の大きさを表したものです。
原発が地震にたえられるレベルは370ガルまでで、浜岡原発は東海大地震が起こると想定して600ガルまで耐震性があるそうです。
しかし、阪神淡路大震災では820ガル、中越地震は1400ガル、そして今回の震災で被災した宮城県栗原市では2933ガルだったそうです。
この数字を見たとき、地震にたえられるレベルをはるかに越していて、今でも日本は爆弾をかかえているようなものなのに、なぜもっと増やそうとするのか疑問に思いました。

次に、原発の発電コストは本当に安いのかを調べてみました。
原発の1時間あたりの発電コストは、5.9円だから「電力の中で一番安い」と言われているけど、国立国会図書館に置いてある「原子力発電所設置許可申請書」という本の中に発電単価が載っていて、それを調べてみると「5.9円」ではなく「13.9円」で、最も高いと言われている「水力発電13.6円」を越しています。
更に、この13.9円の中には、核の再利用や核廃棄物の処分費は含まれていないそうです。
これを見て「どうしてウソの数値を公表するんだろう?」と思いました。

では今、電力は本当に足りていないのでしょうか?
上のグラフは中部電力が出したデータです。(※図2)
このグラフによると、原発が動いていない時も電力は十分足りるので、今止まっている浜岡原発は、もう動かさなくても大丈夫だということが分かりました。

さらに、今、テレビでは大々的に節電を呼びかけています。
節電をすることは大切ですが、電力使用のピークは「夏場、平日、日中の午後2時から3時にかけて、気温が31度を越えた時」に限られているそうです。
しかしそのほとんどが工場などで使われている電力なので、「ピークの時だけ工場の使用量を少し減らす」など、工夫をした方が良いと思います。

節電した上で、原発をやめて自然エネルギーに変えていくことは可能でしょうか?
スペインでは風力発電が最大の電力源で、デンマークやドイツ、スウェーデンなども自然エネルギーを積極的に取り入れているそうです。

私たちの住む豊田市でも、薪ボイラーや太陽光発電など、自然エネルギー100%を目指す「すげの里」という公共施設があり見学してきました。
これから建設する公共施設すべて、原発にたよらず自然エネルギーを取り入れた施設を作っていって欲しいです。

私が今回の事故で一番心配なことは、食べ物・飲み物が放射能汚染されているのではないか、ということです。
グラフを見て下さい。(※図3)
今回の事故が起こってから政府は、食べ物・飲み物の基準値をここまで引き上げました。
口から入るものは(空気を含めて)どんどん体の中にたまり、内部被ばくします。
政府は「ただちに人体に影響はない」と言っていますが10年後、20年後に体に不調が現れたりガンになったりすると母に聞きました。
子どもや赤ちゃん、胎児など、細胞分れつがさかんな年れいほど、被害が出やすいそうです。
私は給食の中に放射能が含まれていないか心配です。
なので、できれば放射能測定をして欲しいです。

放射能は目に見えないし、においもないので、知らず知らずのうちに吸い込んでしまっていたらすごく怖いです。
なのでこれからは原発に頼らず、自然エネルギーで発電して、もし事故がおきても、人が犠牲にならない発電方法に変わっていって欲しいです。


”ジョン・ヘンリー”を歌う女

2011-10-24 02:35:35 | 北アメリカ

 ”BIRD'S ADVICE”by Elizabeth LaPrelle

 アメリカのトラディショナル・ソング歌いの女性であります、Elizabeth LaPrelle女史。アメリカの田舎に生まれまして、先祖より受け継ぎました伝承歌を歌って幼い頃から評判となり、十代のうちからデビュー、今回のこれがもう3枚目のアルバムとなるんだそうです。
 収められているのは、”コリーナ・コリーナ”とか”ジョー・ヘンリー”とか、もうベタといいたくなるようなアメリカ民謡の定番曲。私なんかが知っているのより、もう一つ昔の日本のフォークブームに思いは飛びます。若き日のマイク真木氏がアイビー・ルックに身を固め、ギターを弾きながら歌う姿とか。

 彼女はそいつをフィドルやバンジョーなどきわめてシンプルな伴奏で、そして時には無伴奏で生き生きと歌い上げます。特にこの、無伴奏の歌が良いんだなあ。
 トラッドといいますと、音楽論にやかましそうなファンの人が眉間に皺を寄せて、アイルランドかなんかの片田舎で名も無いお婆さんが吹き込んだ無伴奏のレコードなんかを聴きつつ、「これぞ天井の声だ。至高の響きだ」とかなんとかややこしい事を言い出す風景なんぞ浮かびまして、これは自分もトラッド・ファンであることを誰にも悟られないようにしなければなあ、なんて思わずにはいられなかったりする。

 そんな外国の田舎の婆さんが歌う無伴奏の古い歌なんか、地味過ぎて聴いていられるかってんだよなあ。何かといえば至高の芸術とか。そんなに自分の音楽志向に権威付けがしたいのかねえ、なんて言うと、うん、まあ、叱られるんでしょうけどね。
 私なんぞは”ワールドミュージック・港々の歌謡曲派”ですからね。基本はポップス・ファンであって人に尊敬してもらうために音楽聴いてるわけじゃないから、学術的な話なんか平気ですっ飛ばせます。

 私はElizabeth LaPrelleのこのアルバムのサウンドが”ポップス”として好きなんだもん。”至高”とか興味ないです。今回、彼女の無伴奏歌唱が気に入ってしまったのも、非常な生々しさを漲らせ、大昔の物語歌に新鮮な生命を吹き込みつつ歌うむき出しの彼女の歌声に”サウンド”として惹かれてしまったから。
 そういうことです。文化の伝承者としてなんかより一人の歌手としてかっこいい。だから私は彼女のファンになった。それだけです。





アルメニア蜃気楼

2011-10-23 00:37:54 | ヨーロッパ

 ”Emmy”

 昨日のミャンマーに続いて、今回も同じくらい使用文字の形象に驚かされる国、アルメニアであります。ともかくどちらの国の文字も、それが文字であるという予備知識をあたえてもらっていなければ、それが文字であることさえ分からないんじゃないか。まあ、欧米の人たちにとっての漢字なんかも相当なものなんでしょうけど。

 それにしてもアルメニア、苦悩の歴史だったんだろうなあと地図を見るだけでため息も出ようというものです。ほぼ西アジアといっていい地にあって、古くからキリスト教を国教とする、東ヨーロッパの一国と扱うほうが自然な文化を持ち、しかも南にはイスラム諸国、北にはロシアが控えていて、さまざまな形でちょっかいを出してくる。宗教や人種問題で周囲の国々と揉め通し。生きた心地がしない、という日々なんじゃないか。

 今回は、ユーロビジョン・ソングコンテストにそのアルメニア代表として参加した事もある若手歌手、エミー嬢の2006年度作のアルバムでありますが、この一枚の中にもアルメニアという国の複雑な文化のありようが浮かび上がっております。
 ざっと聴いてみると、やはり”ヨーロッパ諸国”にありがちな、アメリカのポップスの圧倒的影響下にある音楽、と感じます。打ち込みっぽいリズム、R&Bっぽい節回しで歌われるボーカル、絡んでくる感傷的なストリングス、といったところで。

 ところがしばらく聴き続けるうち、その音楽の土台あたりから立ち上るアジア臭さ、イスラム文化の落とす翳り、なんてものが見えてくるようになる。エミー嬢の熱唱にも、アジア歌謡の伝統にも連なるお醤油っぽさが香らないでもない。ソウルっぽいコーラスの向こうにインド音楽の幻みたいなものが見えてきたり。
 文字の形ばかりじゃなく、アルメニア語の響きってものも結構粘り気があって、そいつに引っ張られてソウルっぽいつもりのアルメニア・ポップスのメロディ、やはり独特の響きがしてるんですね。

 この辺の危うさといいましょうか、アジアの深部にまで侵入しているヨーロッパの飛び地のユニークなありよう、現実に存在してしまっている蜃気楼みたいで非常に興味深く、今後も注目してゆきたいと思うのであります。




雨の夜、ミャンマーに憧れて

2011-10-22 04:17:44 | アジア

 えーい、もうしょうがないから適当な画像を貼ってしまおうか、なんてヤケクソで考えてしまったところである。

 いやね、ここにミャンマーの歌手、ソーサーダトゥンの”ボータヤンテードン”と発音するらしいタイトルのアルバムがあるんだけど、この一曲目がなかなか良い感じなんです。
 アルバムのジャケは仏教寺院群をバックに歌手自身が敬虔な表情で合掌する、いかにもな仏教歌のアルバムのそれであって。ところが、これの一曲目に収められているのは、仏教歌でありながらまるでクリスマス・ソングみたいな、不思議に西欧っぽい明るさもある不思議な手触りとなっている。何でこんな歌が出来たのか、その背景を知りたく思うんだが。

 だからこれの歌われている画像を自分のブログに張って、みんなに聴いてもらえたらいいよなあ、とか考えたんだけど、ついにYou-tubeでそいつを見つけられなかったってことです、要するに。残念だなあ。まあ、ミャンマー文字は発音も何もさっぱり分からないし、ハナから
 いや、最初から画像が貼られていなければ話にならないわけですがね。

 そんな次第で、しょうがないから似たような曲を貼っておきます。といいたいところだが、似た曲さえ見つからなかったんで、ソーサーダトゥンの普通のステージ映像を。いい加減な話だが、お許しください。それにしても不思議の宝庫だわ、ミャンマーの音楽。




風の渡る日に

2011-10-20 03:33:49 | アンビエント、その他

 ”風の輪郭”by 津田貴司

 この人の音楽は、どう紹介したらいいのか・・・さまざまな自然音や身の回りの何気ない物音をコンピューターで変調させて、それを絵の具代わりに音楽という絵を描くアーティスト、とでも言えばいいのか。

 このアルバムで彼は、”風”をテーマに音楽を描いている。
 生まれ、たゆたい、吹き抜け、淀み、走り抜ける空気の流れ。自在に姿を変える電子音の塊としての風は、キラキラ輝きながらその存在を歌う。そのありようは、まるで地球そのものの呼吸のようだ。

 作り物の電子音のはずなのに、心洗われるような瑞々しい響きがある。新鮮な果実のように豊富に水分を含み、脈打つ命の律動を感じる。なんなんだろう、この音楽は。
 おぼえて歌えるようなメロディなどどこにもないのに、聴く者の魂にスッと馴染んでしまう。太古からこの地上で鳴り渡っていた、大自然の歌うメロディのように。

 中盤、宙に浮かんだ大量のガラス瓶のような響きを立てる”風”が谷間を駆け抜け、大空に駆け上がって行くシーンが、たまらなく美しい。

 こんなに皆に聴いてもらいたい音楽なのに、残念ながらYou-tubeには揚がっていない。しょうがないから、津田貴司の参加した音楽イベントの記録など、下に。まあ、このアルバムで聴ける音楽とは大分表情は違うのだが。