ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

断章・アホに寄せて

2010-05-29 22:16:49 | その他の日本の音楽

 さっき三木道三の「一生一緒にいてくれや♪」って唄がどこからか聴こえて来てあらためて思ってしまったんだけれど、どうして我が国のレゲとかラップをやる奴の音楽って、いかにも頭の悪そうな雰囲気と言うか濃厚なバカ臭が漂っているんだろう?

 頭の悪い奴があの種の音楽をやりたがるのか、やっているうちにバカ化するのか?いずれにしても底知れぬ情けなさを感じます。

 下のような歌を聴くにつけても、ふがいなくてなりませんわ。(頭の構造の単純な人から、「親孝行をして、何がいけませんか?」とか反論受けそうだな。”反逆者のポーズ”が商売にならなくなったからと昔ながらのお涙頂戴に逃げるなんて、そりゃ志が低過ぎるでしょう)



ルイジアナ・スーダラ行進曲

2010-05-28 04:52:22 | 北アメリカ

 ”never go away”by boogie kings

 このCDのジャケの下のほうに「ルイジアナの伝説のスーパーグループ」とか記してありますが、それがそのまんま、このCDに収められているとは思わないほうがいいのかも知れません。”スーパーグループ”があれこれメンバーチェンジを重ね歴史を重ねた末に、「もう一度、初心に帰ってやってみっか」とか言って吹き込んだアルバムと考えるべきかと。2007年新譜。中ジャケには、それなりに年老いたメンバーが懸命にマイクに向う姿が捉えられています。
 真っ黒けのソウルを胸に秘めた白人のR&Bコーラスグループ。などというものが、特に問題なく存在し得てしまうのが、このルイジアナという南部の神秘の泥沼ゆえの魔法と言ったら見当違いでしょうか。

 ユルユルでドロドロのバックバンドの音に乗って、まるで黒人の熱っぽいコーラスがいきなり飛び出してきます。もう、いきなりスキモノの心に飛び込んでくる人懐こさをもって。
 いかにも南部、のいなたく暖かいソウル・フィーリングが盤一杯に漲っていて、その水位は最後の一曲が終わるまで、途切れることはありません。選曲がまた、ベタの極致でいいじゃあありませんか。レット・ザ・グッドタイムロールに続いてイフ・ユー・ドント・ノウ・ミー・バイ・ナウなんてのが聴こえてくる盤はそうそうないと思いますな。
 レッツ・ジャスト・キス・アンド・セイ・グッドバイってのは、マンハッタンズの曲でしたっけ?おいおい大丈夫か、あんな大都会ネタをやって。と心配してみるものの、彼らはマイペースのルイジアナ気分で歌い上げてしまいます。あの名曲、メンバーズ・オンリーでジンと泣かせてみて(でも、オリジナルのボビー・ブルーのあれに比べると、相当にユルユルホカホカなんですが)さて、後半はロッキン・ブルース大会に突入であります。

 ほとんどカラオケ大会の選曲であるこの盤で、後半がブルースってのは、ルイジアナの酔っ払いはこのノリと考えていいのでしょうか。そしてラス前にサム・クックのブリング・イット・オン・ホーム・ツゥ・ミーを持って来てR&Bファンをまた泣かせ、最後は意外にも、のオールド・ラギッド・クロスだ。この辺、信仰厚き南部人としては当たり前のパターンなんでしょうか。
 と、ただ実況中継をやってりゃ世話はないんですが。まあでも、こんな能天気な楽しみに満ちている盤にあれこれ言ってみても仕方がない。ドンと行こうぜ、ドンとね。

 下に貼った映像、この盤とどれほど関係があるか分かりませんが、とりあえずブギー・キングスのステージではあります。時代やメンバーは、この盤とちょっと違うかもしれませんが、心意気は同じようなもんですわ、きっと。




路面電車去って後

2010-05-27 04:57:55 | 60~70年代音楽

 昨夜は作詞家・松本隆に関する特集番組のようなものをやっていたらしい。それについて書かれた感傷的なWEB日記をさっき読んだ。まあ、彼に対する一般的評価と言うのがあれなのだろう。

 あれは70年代、松本がかって属していたバンド、”はっぴいえんど”がアメリカでレコーディングしてきた、彼らとしては最後のオリジナル・アルバムであるところの「さようならアメリカ・さようならニッポン」がリリースされた直後のこと。
 私はある女性ロック評論家(彼女の名前が思い出せたら、と思うのだが)が書いたアルバム評を読み、いわゆる目から鱗の落ちる経験をさせられたのだった。
 彼女は書いていた。「松本隆の作る歌詞は、すでに腐臭を放ち始めている」と。
 とりあえず、その一年前になるのか2年前になるのか、短い間ではあったがバイトで”はっぴいえんど”のアンプ運びなどやっていて、それは得がたい体験だったなあなどと日に日に重く思えてきていたし、なによりまだ”はっぴいえんど”の信奉者であった私は、彼女のその文章にドキリとさせられた。

 そうなのだ。その時の私も「さようならアメリカ・・・」に収録されている松本隆の作詞には、なんだか物足りないものを感じてはいたのだった。1stアルバムにおける、やや山師めいたものも感じさせる迷宮的な言葉の積み重ねや、2ndにおける”風都市”なる空想をモチーフにして繰り広げられたイメージの世界に比べると、3rdである「さようなら・・・」で見られる歌詞は、なんだかつかみ所がないと感じてはいた。
 が、”腐臭”とは。激烈な表現に驚いたのだが、しかし反発は感じず、「ああそうだったのか」とむしろ納得してしまったのは、すでに私も心の奥では似たような感想を持ってはいたのだろう。「今回の歌詞はパッとしないな」と。

 言われて見ればそのとおり。かってあれほど共感をさせられた松本隆の詞の世界の煌きは失われてしまっていたのだった。
 それからは。それをきっかけに、といいたいほどのタイミングでさまざまな変化がやって来た。それまで愛好していたシンガー・ソングライターやアメリカのルーツ・ロックの世界が、まるでつまらないものに思えてきてしまったこと。かっての仲間たちが、それぞれに新しい生き方を求め、歩む道筋を変えて行ったこと。ある者は髪を切ってマトモな会社に就職を決め、ある者は家業を継ぐために故郷に帰っていった。
 それまで信じていたことすべてが揺らぎ、だが私は新しい価値観も見つけられずにいた。親しかった友人の下宿を訪ねれば、いつの間にか彼は引越しをしていて、空っぽの部屋に風だけが吹き抜けていた。

 まあ、これらはすべて、かって荒木一郎が歌った、「それは誰にもきっとあるような、ただの季節の変わり目の頃」となるんだろうけれど。
 その後、作詞家・松本隆の詞業はさらに濃い腐臭を漂わせながら歌謡曲の世界にも進出して行った。そして人々はその腐臭を愛しむように競って飲み干し、松本隆の歌謡界における活躍が始まった。
 その後の話は話せば長いがすべて省略する。今、”大御所”としてテレビで特集番組を組まれるベテラン作詞家の松本隆がいて、その現実にいまだに納得の出来ない、かってのファンとしての私がいる。それだけのこと。
 多分私は一生、納得する道は見つけられないだろう。あれこれ言っても仕方がないのだけれど。ただの季節の変わり目だったのだから、あれは。



3号線の蝶々を追って

2010-05-26 01:35:45 | アジア

 ”02 Oh! silence”by 3rd Line Butterfly

 昨夜に続いて、またも韓国ロックですみません。まあ、サッカー敗戦記念とでもしておいてください。
 いや、昔は私も大の嫌韓家でね、日本代表がサッカーの試合で韓国に敗北などしようものなら頭に血が登ってえらいことになったものです。だけど、最近じゃこの通り、淡々と事態を見送っております。もう、どうだっていいのよ、サッカーとか。こうなったのもカワブチが悪い。と申し上げれば分る人にはお分かりでしょう。

 しかし、”三号線の蝶々”とは、なんじゃそれ?なバンド名。レコード店のジャンル分けには”Alternative Rock”とある。韓国における相当お洒落な存在のバンドじゃないかと思いますな、ジャケの雰囲気からもそんな印象を受ける。いかにもクールにお洒落なメンバーの姿があります。
 音の方は、なにやらダラダラとかき鳴らされるギターやけだるい呟きボーカルがダラッと流れるスモーキーな世界。色で言えば灰色が支配的ですが、そこに一筋激情がほとばしると、ノイズっぽい暴れようを見せるギターに乗せられ、女性ボーカルが真っ赤な激情を隠そうともせずにフリー・フォームのオタケビを高らかにあげたりもします。

 メンバーはギターやドラムの3人に、その時々で助っ人が加わる流動的なもののよう。その助っ人も、女優兼歌手やら詩人やらとタダモノではなさそう。最先端の奴等が集まっているんだろうなあ。
 ひたすら霧の中を歩む、みたいなミステリアスな浮遊感をもってバンド・サウンドは進んで行きます。聴き始めは、「ケッ、かっこつけやがって」とか実は反感をもって聴いていた私も、いつのまにか、この先の見えない幽冥境の散歩が心地良くなっているのに気が付くのでした。

 それにしても情念の言語、激情の言語である韓国語、こんな風にけだるくお洒落にボソボソ呟かれるのは、実に妙な気分だ。
 そしてエンディング。CDを入れ替えるのもだるいんで放っておいたら・・・しょうもない悪戯しやがって。夜中に聴いてて、ビックリして飛び上がったぞ。




OK牧場の面影

2010-05-25 01:47:15 | アジア

 ”OK牧場の乳牛”by Crying Nut

 この時期、このジャケにこのタイトルはヤバかろうよ。とはいえ、2006年に出た実在のアルバムなんだから仕方あるまい。
 一部で噂の韓国のパンクロック・バンド、クライング・ナットである。昨年、来日もしているとかで、彼らのステージをご覧になった方もおられるだろう。

 音を聴いてみると、歪んだ音のギターが乱雑にかき鳴らされ、怒号と言うしかないようなヤケクソのボーカルがツバを飛ばして襲い掛かってくる。
 一瞬、頭がカラの、世界中どこにまいりましても普通に見かけるようなガキ臭漂うバンドかと思うんだけど、そのうち、もう少し奥行きのある表現も心得ているバンドであることが分る。
 その”奥行き”は、主にアコーディオン担当(そういうメンバーがいるのだ)のキム・インスあたりから発せられているようだ。とか言っているうち、ティン・ホイッスルがアイリッシュ・トラッドっぽいメロディを吹き鳴らしたりし始める。

 まあ、早い話が欧米の、ポーグスとかブレイブ・コンボみたいなバンドに対する韓国人からの回答がこのバンドなんだろう。などと言っているうちにも、ガサツなパンク・サウンドの狭間から出所不明の民族調の哀感などちらつき始め、そして飛び出すレゲやらポルカやらのリズム。確かにタダモノではなさそうな連中だ。

 ことに8曲目、女性歌手をゲストに、マイナー・キイのワルツを切々と聴かせるあたり、表現の幅がグンと広がる。
 何を歌っているのかはもちろん分らないのだが、聴いているうちに、雲が灰色に垂れ込める薄ら寒い空の下、海風吹き寄せるうらぶれた漁港などに佇み、許されない愛に悩む男女の演ずる安いメロドラマ風景などが浮んで、このバンドが踏みしめている魚臭い大地の広がりがリアルにリアルに感ぜられるようになって来るのだ。

 そして最後は渋いソウルっぽいバラードで粋に決めてみせる。おお、たいした余裕じゃないかと感心すれば、なんともう10数年のキャリアのある実力派バンドなんだそうで。なるほどね。
 それにしても、タイトルナンバーはどんな事を歌っているんだろうなあとやはりこのご時世、気になりつつも、これにて。




失われた(?)00年代を求めて

2010-05-24 03:58:57 | 音楽雑誌に物申す

 そろそろ皆も21世紀慣れ(?)がして来たのだろうか、何かと言えば”ゼロ年代の”なんてくくりでことが語られている。そのような総括めいた振り返りがあちこちで成されている。これもそんな動きの一つなんだろうな。
 『ミュージック・マガジン』の最新号(6月号)において、”ゼロ年代ベスト100”なんて銘打たれたベストアルバム選びが行なわれている。ちょっと覗いてみて、感じた事をメモしておきたくなった。あくまでメモ。ちゃんとした感想はいつか書く。・・・事もあるかも知れない。
 MM誌のライターたちによって選ばれた、この10年を象徴する100枚のアルバムのうち私が買ったのは今のところ3枚で、うち2枚は何度か聴いた後、売り飛ばした。ここを支配する価値観は、私には別世界かも。残りのi 枚はネット上の知り合いの”s_itsme”さんが薦めてくだすったベイルートなる若いミュージシャンの盤なんだが、ずいぶん前に買ったはいいがまだ聴いてないんだから面目ないです(汗)

 だいたい、一位がディランって何かね?そりゃロックの歴史から見れば大変なミュージシャンなんだろうけど、今、ここに来て”一位”はないだろう。そういえばこの雑誌といい分家(?)のレコードコレクターズ誌といい、この頃妙にディランを持ち上げまくっていないか?再評価だかなんだか知らないが。
 まあ、その関係の雑誌をたまに覗く程度の、それこそ”良い読者ではない”読み手なので確証はないんだが、なんか裏にあるのかと勘ぐりたくなるほどの異様さを感じる。
 それから5位に選ばれたブライアン・ウィルソンの”スマイル”ってのはどうだろう?本来、三十数年前に出来上がるはずが中絶してしまった作品だ。今頃「出来上がりました」とか言われても、そりゃ壮大な後出しジャンケンみたいなもので、私もそれなりにブライアンと彼の音楽のファンでいたつもりだけど、そう無邪気に納得は出来ないぞ。ブライアンの新作というならまだしも、「あの”スマイル”が出来上がった!」とか言われてもねえ。

 それから。おや、ランディ・ニューマンがこんなアルバムを出していたのか。と思うが、さほどの血の騒ぎはない。70年代には私にとって彼は非常に重要な歌い手だったのだが。 ジャケ写真の、すっかり白髪頭になった彼の姿を見ながら、このアルバムを聴くこともないだろうと思う。彼がいまだに鋭く現実と対峙し、聴くに足る作品を作り上げているとは、言っちゃ悪いが思えなかった。ただ彼のことだ、拡散に耐え、みっともなくはないアルバムにはしているはずだ。そのことが逆に痛々しく感じられるのではないか、そんな気がして、聴かずにおこうと思うのだった。
 そんな具合に複雑な気分を誘う昔馴染みの顔ぶれを挟みながら、新しい時代のロック(だかなんなんだか)を担っているのであろう私の知らない若いミュージシャンの作品が並んでいる。それらに関しては何を言えるものではない。聴いてないんだものな。

 などと言いつつ、興味を引かれた盤にチェックを入れ、購入予定のリストに加える。なぜかテクノ方面が妙に気になっている、そんな自分が不思議ではある。また、ジャケ買い人間としてはスフィアン・スティーヴンス「イリノイ」なんて盤は絶対欲しいと思う。どんな音楽をやっているのかはもちろん知らない。
 それにしても、皆、ほんとにこの辺の音楽を聴いているのか?まあ、よく分りませんが。などと言っている間にも、酷薄な夜明けは闇の向こうに忍び寄っている。
 

土曜日にはマウンテン

2010-05-23 02:29:16 | その他の日本の音楽
 ”マウンテン”by たむらぱん

 もう時は正確には「日曜日の午前中」となってしまっているが、こちらの感覚としては、まだ土曜日の深夜だ。これから自分に週に一日だけ飲んだくれる事を許している夜が始まるのだから、こんなにめでたいこともない筈なのだが、画竜点睛を欠くものがある、とオーバーに言いたいのが、今週は”たむらぱん”の歌う「マウンテン」を聴きそこなっている、という事実だ。

 「マウンテン」とはテレビ朝日で毎週土曜の午前中に放映しているアニメ、「ご姉弟物語」の主題歌で、そいつをあの”たむらぱん”が歌っているのだ。土曜の朝はコーヒーかなんか飲みながらテレビの前に座り込み、のんびりその唄を聴く、これがいつの間にやら習慣となってしまっていて、あれを聴かないと一週間が終わった気がしないというところに来ている。それがテレ朝め、今週はアニメの代わりに訳の分らねースーパーヒーローものの特集なんかやりやがって、聴きそこなっちゃったじゃないかよ、あの唄を。

 つまんない事を言ってやがんなあとお思いでしょうが、まあ、その曲を一度聴いてごらんなさいって。なかなかよく出来た、実にロックの王道を行く曲であると思う。ロックとはこうでなくてはいかん、という要所を押さえたメロディであり歌唱である。
 考えてみれば”たむらぱん”の、特に2ndアルバムなど聴いていると、ことに歌詞も部分に関して、実に正論の嵐で、眩っしゅござんすお天道さまよ、みたいな息苦しさを覚える瞬間さえある。

 それは私の中にあるイメージで言えば高校生の冬の朝、我々仲間が、いや、とりわけ私が、あまりにもだらしなく頼りにならないので呆れて顔をしかめるクラスの女子一名、なんて一幕。あの時彼女が何を考えていたのか、たむらぱんの唄の中にすべては歌われているのだろう。ああ、女の子はいつも正しい。そして我々は何をどうすればいいのか、まるで分らずにいた。見上げれば青空は高くあり、その奥深くに凍える風がピューと吹いていた。

 それにしても、だ。この「マウンテン」が収められるのだろう3rdアルバムは、いつ出るんだろうね。毎週毎週、それほど好きでもないアニメの番組が始まるのを待ってもいられないんだよ。



何人目かのフィオナ

2010-05-21 01:06:44 | ヨーロッパ

 ”Coming Home”by Fiona Kennedy

 棚を整理していたら、ずっと前に買ったまま放り出していたこのCDを見つけ、聴いてみる気を起こしたのだった。
 ええと、この歌手はどういう来歴の人だったのかな?と、このCDを購入した際には分っていたろう事が、もう思い出せない。情けないが、この頃真面目にトラッドの世界と向き合っていないからなあ。それにフィオナとかケネディなんて名は、トラッドの世界にはあり過ぎだってば。
 しょうがないから検索をかければ、リバーダンスとケネディ大統領関係の記事ばかりが引っかかってくる。そうか、リバーダンスで世間的には名を成した人なのか。私の知りたいのはそういうことではないのだが。それにしても後者は関係ないだろ。

 まあいいや、とりあえずスコティッシュ・トラッドの人、それも親の代から歌い手として有名な人らしい、ジャケの書き込みを見る限り。と言う分ったことだけ頭において聴いて行こう。
 トラッドと言っても枯淡の域に達している人ではなく、まだまだ生々しい肉感的と言いたい感触を持つ歌を歌う人だ。そして、トラッドと並行して新作のフォークを、それも自作の奴など歌う人で、このアルバムにも何曲かが収められている。
 それらを聴いていると、どちらが優れているというのではなく、トラッドもフォークも同じ水位の出来上がりで、聴いているこちらの気持ちも揺らがずにいられる。

 7曲目の「アフリカ」も、そのようなオリジナル曲の一つで、いやなに、実はこの曲が気になってこのCDを買い求めたのだった、それは覚えている。
 聴いてみると、特にアフリカ的要素もない”観光”っぽい爽やかフォークソングで、ちょっと拍子抜け。スコットランド民謡の歌い手がアフリカとどのように対峙するのか、興味があったのだが。むしろその次に収められたパーカッション入りのゲーリック・マウスミュージックのほうがアフリカを想起させる出来なんで、笑ってしまった。このノリでやったらよかったのに。

 その他、記憶の彼方から呼び戻された古い唄たちが神秘的なアレンジをほどこされて歌い継がれ、切なくも愛らしい最終曲、”Farewell My Love”に至る。美しいメロディがティン・ホイッスルをお供にひとときスコットランドの高原を漂い、そして消えて行く。
 なんか大きな気持ちの人だな。この、私にとっては何人目かに当たるフィオナのアルバム、他に持っていなかったか、探してみることにしようか。それとも、どうやら雨も上がったようだし、深夜の散歩にでも出てみようか。、




世界音楽腐敗の兆候?

2010-05-20 03:44:32 | 音楽論など
 昨日の記事に関して言い忘れたこと。あそこに貼り付けたプルーデンス・ラウの音と映像は一作前、彼女のデビュー・アルバムのもので、”Why”に含まれる曲ではありません。どうも失礼。
 いや、驚いたんだけど、彼女の2ndの映像って一曲もYou-tubeには上がっていなかったの。プルーデンスのあのアルバムって、文中にも書いたけどヒットチャートの一位になっているのであってね。それが映像一つない。仕方がないから前作のものを貼ってしまいました。

 そういえば以前、同じ香港のステファニー・ライっていう私のお気に入りだった歌手の映像を探した時も一つも残っていなくて、それどころじゃない、ネット上に彼女に関する記録自体、ほとんど残っていない、これにも驚いたものでした。
 この辺、過去の出来事などどんどん捨て去り、現在だけを見据えて逞しく進んで行く中国人社会の爆走するエネルギーなど感じて、空恐ろしい気分になってみたりするのだけれど。

 ところで。ネットをウロウロしていたら、バイリ・ファンキって言うの?なんか知らないが、そういうモノを見ちゃいました。あれはちょっとひどいね。
 信奉者の連中はあれこれ理屈をつけているみたいだけど、要するブラジル人による愚劣なアメリカのラップ・ミュージックの物真似。それだけしかないと断ずるよ、あの音楽。それ以外の何がある。
 下に貼ったYuo-tubeを見てもらえば分るが(あんまりお勧めできないけど。「ブラジルよ、お前はそこまで腐り果てたか!」と、情けなさに涙が出てくる内容だ)ひたすら、頭の軽いブラジルの若者による、アメリカ合衆国の、それもひときわ愚劣な部分に対する無条件の賛美と言う、ほとんど宗教上の儀式の様子が捉えられている。

 支持者はブラジル音楽の要素も加えられた混合音楽と認識したがっているようだけど、この映像と音楽を見れば、事のベクトルはアメリカ賛美にしか向いていない。支持者の言う「ブラジル的要素」なんてモノは単なるアリバイ作りでしかないだろう。
 だってあの映像と音楽においてブラジルの若者たちは、「アメリカの黒人ってカッコいいよなあ。俺らもこんな田舎じゃなくてアメリカに生まれたかったよなあ」としか言ってないでしょ?
 いつぞやは同じくYou-tubeで、かっては”アフリカン・ポップスの総本山”とまで言われた、あのコンゴはキンシャサの通りにおいて同じようにラップ真似っ子に興ずるアフリカ人たちを見て、暗澹たる気持ちにさせられたんだけど、つまりは世界はもう腐り果てる方向に転げ落ちて行くばかりなんだろうか?

 それでもどうやらラップの支持者ってのは、ともかくラップが広まればそれでいい、みたな価値観でいるらしく、そんなのを見て「カッコいい!」とか喝采を叫んでいるようだ。世界中の街角で、黒い奴が白い奴が赤い奴が緑色の奴がニューヨークの黒人を気取ってラップするのさ、なんてイカしてるんだろう!と。
 かって、「世界中がもう一つのアメリカのようになる。おお、なんと美しいことだろう」と苦い哄笑を”ポリティカル・サイエンス”という唄に込めたランディ・ニューマンだったらこのような状況、どんな歌にするのだろうか。

 あのような状況は一過性のもので社会の一部で流行っているだけ、どんな世界にも心ある人々はいると信じたいが、その一方、このところアフリカン・ポップスの生きの良い新作にお目にかかれないのは、その種の音楽を奏でる筈の若者たちがラップ化してしまっているからだ、との話もあり、やはり楽観は出来ない。



香港最前線の女

2010-05-19 03:17:19 | アジア

 ”點解(Why)”by 劉美君(Prudence Lau )

 毎度、香港ネタでは同じ話を繰り返して恐縮だが、香港返還の直前、数年間の香港ポップスを私は、特別の思い入れを持って聴いていたものだった。それらの盤の中には、ほどなく確実に失われてしまう”借り物の土地・借り物の時間”と英国の作家が表現した不思議な時を過ごして来た幻想都市・香港と、そこに生まれ生きて来た人々の胸に息つく行き所のない焦燥感が厚く渦巻いている、そんな風に感じられたから。

 もちろんそれはこちらのセンチメンタルな思い込みで、香港人自身に言わせればなんて事のない一個の時流に過ぎないのかも知れないが。いや。そう割り切ってしまうにはやっぱり納得の行かない不思議な情熱が、”返還”を目前とした香港で生み出された音楽には封じ込められていた。自らの感性に賭けて、そう断言する。
 ともかく確実に、あの時代の香港ポップスは世界の先端に立っていた。それが何の先端であったのか、いまだに分らないのではあるが。

 そんな”香港の忘れがたい一瞬”に生み出された鮮烈な作品群の、これは一枚である。香港のあの時代を過激に生きた女、プルーデンス・ラウが1988年にリリースした、彼女としてはセカンドアルバムである”Why”である。タイトルナンバーは香港において、その年の初めのヒットチャートの一位に輝いたりもしている。

 香港の夜の闇を体現するようなモノクロームな印象のエレクトリック・ポップが流れ出す。ブツブツと無機質な呟きを繰り返すベースの音に導かれ、プルーデンスの、いかにも”都会のいいオンナ”っぽいクールな歌声が響く。
 この歌声がちょっと異色の手触りである。音程が外れているようないないような、微妙なところで揺れ動く歌声。私はこれを、有名な北京語の四声に比べて九声もあるという広東語の複雑なアクセントが西欧風なメロディとぶつかり、独特の効果を生み出しているのではないかと想定している(カントニーズ・ブルーノートとか言っちゃって)のだが、まあ、確証はない。そもそもその現象がプルーデンスの歌声だけに起こる、というあたり、なんの説得力もない。

 プルーデンス・ラウを眩しい存在と私が感じてしまうのは彼女の生き様であって、なにしろ彼女は22歳で歌手としてデビューしているのだが、その時点ですでに彼女は結婚していて子供までいた。奔放な話じゃありませんか、子連れアイドル歌手なんて。
 どのような事情があったのか、詳しいことは知りませんが、そんな彼女の生き方と、いかにもアンニュイな翳のある都会風のいい女を想起させる彼女の歌声のイメージとが相まって、私の想像力が勝手に”香港最前線を生きた女”なんてストーリーを、彼女を主人公に作り上げてしまうのだ。

 プルーデンス・ラウはその後、10枚ほどのアルバムを出して人気歌手家業に精を出す一方で映画女優としてもいくつかの作品に出演している。が、1995年、突然アメリカに移住してしまう。香港返還を2年後にひかえて、である。関係あるのかどうか知らないが。そして同時期、離婚もしている。激動の年であったようだ。
 その後のことはよく知らない。しばらくの沈黙の後、カムバックしたとの話も聞いたが、私自身が香港の音楽シーンに興味を失ってしまっているので、彼女のその後も追えていないのだ。いやあ、なんか返還後の香港の音楽って、ガツンと来るものがないみたいな気がするんですなあ。

 香港の街の灯りは何も変わりはないように見えるのだが、さて、その灯りの下ではどのような人生が繰り広げられているのだろう。