え~と、小学校の入学式で「君が代」の伴奏を求められた音楽教師がそれを拒否して懲戒処分を受けた件で裁判が行なわれていて、その結果が出たようですが。あ、今回、政治の話ではありませんので。先に申し上げておきますが。
では何の話かといいますと、最高裁のサイトにある判決理由の一部に、こんなのがあるんだそうで。あ、判決理由全文は確認してません。すべてネットに公開されているのかどうか知らないし、されていたとしても読み通す根気はないです、すみませんが。
で、え~、下のような文章です。
”なお、上告人は、雅楽を基本にしながらドイツ和声をつけているという音楽的に不適切な「君が代」を平均律のピアノという不適切な方法で演奏することは音楽家としても教育者としてもできないという思想および良心を有するとも主張”
このケースでそんなこと言っても特に裁判結果に意味を持つとも思えないけど、音楽の話としては突っ込んでみるのも一興かも。
つーか、もう少しぶっちゃけた話、”君が代”歌うのにピアノの伴奏要りますか、あなた?”平均律のピアノで”ってあたりに抵触するのかなあ、あの歌をピアノの伴奏で歌うのって、なんか変じゃないか?あの歌にピアノは合わないでしょう。どんなアレンジで弾いても違和感漂う感じだ。
まあ最近、”君が代”が歌われる現場にあんまり居合わせないので実態が良く分からないんだが、たとえば学生時代なんかは君が代はやっぱりピアノ伴奏で歌われていたんだろうか?あんまり昔で忘れちゃったけどさあ。
歌われていたんだろうなあ。今の感性で想像してみると相当におかしなものだったろうと思うんだが、どんな具合だったのか、さっぱり思い出せない、ピアノ伴奏。イントロなんか、どんな具合だったのさ?
”ドイツ和声をつけている”ってのは、ひょっとして学校の行事ではハモって歌ってるのか?だとすれば、これはほとんどギャグでしょ。あのメロディを西欧風クラシックの理論にもとずくハーモニーとか付けて、似合わないピアノで伴奏までして”斉唱”するってのは。ほとんどブラック・ユーモアの世界だ。
そのような醜態がいつ頃から晒されているのか知らないけど、これも西欧コンプレックス丸出しの無神経なお役人風日本の近代化劇の一幕なのでありましょう。
などと考えて行くと、私は政治的意味とか興味ないですけどね、音楽的には、このピアノ伴奏拒否教師に一部賛同したくなりますわな。よくもそんな悪趣味なものを公の場で。
でもこの教師、もし”国歌斉唱”に異議を持っているなら、あえてピアノを弾いて、その悪趣味に協力してしまうって手もあろうになあ。学校の請うがままに演奏を行なう行為がそのまま、君が代なる楽曲を侮辱することにつながるんだから。
いや、”政治的意義”ってのは、そういうものじゃないのか。いい加減ですみません、ほんとに政治方面、あんまり興味ないもんですから。
一方、スポーツの開会式なんかで君が代を聞く機会はいくらでもあるわけですが、こちらの方はおおむね無伴奏で歌手の独唱という形をとる。これが、あの”楽曲”に一番ふさわしい演奏形態って思えますね。
で、こいつは私の美意識で言えばだけれど、あの歌、合唱そのものにもあんまり向いていないわ。声を合わせて歌われると、それが例の”ドイツ和声”を伴っていなくとも、なんか凄く雑な音楽って印象になる。
基本、独唱用の歌じゃないのかと思う。これ、君が代の歌詞がもともと和歌であるから、とか想像してるんだけど、どうですかね?
あと、関係ないけど、以前、右翼の看板掲げているけど実態はどう見てもヤクザ、って連中が君が代斉唱をしている現場に居合わせたことがあるんだけど、あいつら、君が代を思いっきりコブシをコロコロ廻して歌うのもどうかと思うぞ。場末のカラオケスナックじゃないんだから。ある意味、不敬罪にならんのか、あれは?
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○<君が代伴奏拒否>教諭の敗訴が確定 最高裁判決
(毎日新聞 - 02月27日 18:01)
公立小学校の入学式で「君が代」のピアノ伴奏を求めた職務命令を拒否し、懲戒処分を受けた東京都の女性音楽教諭(53)が「伴奏命令は憲法が保障する思想・良心の自由を侵害する」として東京都教育委員会の処分取り消しを求めた訴訟で、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は27日、原告側の上告を棄却した。国旗・国歌の「強制」を巡る初の最高裁判決で「伴奏命令は思想・良心の自由を侵害しない」として、職務命令を合憲と判断した。同種訴訟に影響を与えそうだ。