アメリカには、たとえば「我が心のジョージア」なる曲があり、「夜汽車よジョージアへ」なる曲もある。一方、オーティス・レディング歌うところの”ドッグ・オブ・ザ・ベイ”の中で夢破れた男はサンフランシスコの海風に吹かれながら座り込み、あとにしてきた故郷のジョージアを思っている。
どうやらアメリカ人のある層にとってジョージアなる土地(あるいは地名、あるいは概念)は、独特の感傷を喚起するなにごとかを秘めている魔法の場所のようだ。
アルゼンチン・タンゴにとってそのような場所はと言えば、これは大分大雑把な銘柄指定となるが、一言、”南”と言うことになるようだ。右も左も今だ見当も付かぬままに行き当たりバッタリでタンゴを聞いている身でも、アルゼンチン人が、心の故郷のタグイを求め、それに向かう郷愁に酔いたい気分のとき、”南”をテーマにする曲が、まるで日本人が深夜のカラオケで不覚にも歌ってしまうド演歌、の如くに浮かび上がって来るのには、とうに気付いている。
あるいは”ブエノスアイレスっ子は”と地域限定するべきなのかも知れぬ。つまり、都会人の定番の感傷が南、すなわち、アルゼンチン南部に広漠と広がる草原と、そこに展開される、おそらくはとうに喪われてしまった古き圭き牧童たちのロマンスに向かう構造になっていると。
極めつけ、そんな草原との別れの感傷を歌った”Adios pampa mia(さらば私の草原よ)”なる大ヒット曲もある。手元にあるCDでトロイロ楽団の演奏など聞いてみると、歯切れのよいバンドネオンの響きに導かれ、広漠たる草原に別れの感傷を秘めて涼やかな風が吹き渡る有様が目の前に浮かぶようだが、この歌の主人公がなぜ、彼の愛する草原を捨てねばならぬのか、何の説明もなされていない。
ただ彼は、生まれ育った愛する草原との別れを、まるでそれが生れ落ちたときからの運命であったかのように深い諦念のうちに甘受し、惜別の感傷に深々と身をゆだねている。その感傷こそが、アルゼンチン人たちにとっての地霊との交歓の最重要なツールかとも見えてきたりする。
が、考えてみれば大多数のアルゼンチン人たちは、その南の大地からの生え抜きとしてその地に住んでいるわけではなく、そのほとんどがヨーロッパよりの移民の子孫なのである。本来、草原に父祖の霊を感ずる資格を有するのは、かの地においてとうに絶滅同然の状態にある南米先住民たち、インディオたちではあるまいか?
どうもここに、なんらかの欺瞞が紛れ込んでしまっているように思える。特に誰かの故意の陰謀や悪意が介在したでもなく、重ねられた歴史の流れの混沌のうちの行き違いから行き当たりばったりで形成されてしまったのだろう、見当はずれな感傷のシステム。それは、アルゼンチンという不思議な歴史を歩んだ国そのものが醸し出す独特の哀感に、不思議に響き合う何ものかがあるとも感ずる。
そして、その欺瞞を解き得た時、アルゼンチンタンゴに関するすべての謎が解けるのではないかなどと勝手な妄想を抱く私なのであるが。まあ、これはあてのない話ではある。