渡辺貞夫がアフリカ音楽に入れ込んでいた時期に作った、ナベサダ流アフリカン・ジャズの集大成的アルバム、「ムバリ・アフリカ」を再発売してくれないかなあ、今度は買うんだけどな、などと思う昨今なのである。あのアルバム、オリジナルはアナログ盤として出され、そしてCD化も成っていたのだが、それも遠い昔、すでに絶版と成って久しい。
私もワールドミュージックのファンであるから、ジャズマンの演奏するアフリカものなどには当然、厳しい見方をしている。
基本的にジャズミュージシャンというもの、ジャズなる固定概念というべきものに縛られた狭い狭い美意識、もう”ブルーノート・レーベルの何番から何番”みたいな範囲の価値観の内だけに生きている人々であって、その保守性にはほとほと愛想が尽きるというか、そのあたりの事情はこのブログのあちこち読み返していただくとお分かりいただけると思うが。
でもまあ、ナベサダという人はその中でもいくらかはマシと言うべき人で、ブラジル音楽やアフリカ音楽に、それなりの取り組み方をしてきた人だった。それはやはり、ジャズマンとしての、自ずからの限界というものがありはしたが。
そんな訳で。今、思い出してみると、”アフリカ音楽の本質とは”なんてシリアスになり過ぎなければそれなりに楽しめるものだったのだ、ナベサダの”アフリカ音楽”は。で、かって、アルバム”ムバリ・アフリカ”が入手可能だった頃はバカにしていたかの音楽、今、ちょっと楽しんでみたい気分なのである。
結構、湧き上がって来る素直な歌心が感じられて良いものだった気がするんだ、当時のナベサダのアフリカ風音楽。なぜか持っていた、彼の音楽生活何十周年だったかの記念コンサートのライブで2曲続けてアフリカ・ネタをやっていたのだが、それは確かに気持ちの良い出来上がりで、アルバムのハイライトを成していたものだ。あんな演奏が最初から最後まで詰まっているなら、それは聞いてみたいぞ。
なんて気分になってしまったのは、私の心が広くなったのか、それとも軟弱化したのか。まあ、なんとも分からないが。いや、アフリカが引き出したナベサダのおおらかな歌心、どんなものだったのか聞いて確かめてみたいんだよ、もう一度。
ナベサダとアフリカといえば、このブログに、あるエピソードを書いたことがある。ナベサダが何かの機会に聞いたアフリカ音楽の一フレーズ、それは彼がジャズの故郷と認識した音群であるのだが、それの歌われる村か何かを探して、なぜか”R&B歌手”の久保田敏信をお供に、東アフリカ行脚を行った、そんなテレビ・ドキュメンタリーがあったのだ。
その番組、ついに求めていた音楽と村は探し当てられなかったのだが、最後にたどり着いた村の人々との音楽を通じた交歓風景などがあった。ナベサダと久保田が村の子供たちと一緒に、アフリカで見つけた一節の民謡のフレーズを歌いあう、そんな、まあ、お定まりといえばお定まりな一幕。
久保田が簡単なフレーズを繰り返し歌い上げると、子供たちもそれに唱和し、それなりに楽しげな光景が演じられたのだが、ナベサダがサックスを取り出し、”彼なりのアフリカ音楽”を奏でると。それまでリズムに合わせて飛び踊っていた子供たちの「動きがピタリと止まってしまい、なかなか気まずい事になってしまったのだ。
あれはまあ、”ジャズのアドリブ”なんてものに不慣れな子供たちが戸惑ってしまったのだ、という理解で良いんだろうな。私は先に、ナベサダの”湧き上がって来る素直な歌心”なんて書いたけど、それだって”その種の音楽を受け入れるための学習”があってこそ感じ取る事が可能になるものだから。音楽にも結構、国境はあります。
そんな訳で。話題はずれまくっているが、今、ナベサダの”ムバリ・アフリカ”が聞きたい気分だ。乞う、再発。レコード会社殿。