”Four Strong Winds”by Ian and Sylvia
月曜日の夕方、買い物に行ったら街のスーパーの生鮮食料品や惣菜売り場の棚がガラガラで「あれ?」とか思ったものだが、店員同志が困惑した様子で「県道の××峠でトラックが立ち往生しているらしい」なんて囁きあっているのを聞いた。へえ、そういうことなのか。
街の背後に控える山々を越えて県西部からわが町に降りてくる県道があって、どうやらそこで様々な産品を積んだトラックが突然のドカ雪にやられて立ち往生しているらしい。
こちらは雪なんかちらつきもしない低地(?)に住んでいてそんな事情は知らなかった。わが町にやって来る観光客たちは海沿いの国道を使うから、やはり雪の影響は受けない訳で、街中の連中は何も気が付いていなかったわけだ。
どうやら知らないうちに我々の街は陸の孤島と化してしまったようだな、などとオーバーな事を考えて面白がってみるのも、今頃雪に埋もれた山中のトラックの運転席に自分がいないからなのだが。
いい気なもんだよ、私などはほんの何年か前まで、それに近い物資の運搬を仕事にしていて、その苦労は分っているくせに、関係なくなった今はこうして、完全に野次馬席に座ってしまっている。
暮れ始めた裏山を眺めてみる。特に雪で真っ白、と言う感じでもないのだが、ここからは見えない場所でややこしいことになっているのだろう。この冬の最後の名残りが、あの山の向こうで暴れている。などと思ってみると妙に民話の世界めいた気分になり、そして気が付けば、確かに足元からシンシンと、この何日かは感じたことのない寒気が這い上がってきていた。
こんな風に寒気吹き荒れる季節に何とはなしに口ずさんでいる、なんて曲があるのであって、たとえばカナダの夫婦デュオ”イアンとシルビア”が60年代にヒットさせた”風は激しく(Four Strong Winds)”なんてのも、その類の唄だ。近年ではニール・ヤングなんかもレコーディングしているから、そちらの方が通りは良いか。
季節労務者の唄、といってしまっていいのだろうか。恋人を故郷に残して、仕事を求めて北国カナダの厳しい自然の中をさすらう男の独白。どこか芯のあたりにしっとり濡れたものを孕んだメロディで、そのあたりがカナダの感性か。
永遠の夕暮れ、みたいな幻と現実の狭間を、広大な北の大地に向って一人歩いて行く孤独な男の後姿。その、翳りのあるメロディと”薄明の中を彷徨う”なんてイメージが何か心に残り、とくにイアンとシルビアのファンだったわけでもないのに、そしてそれほどフォークソング好きでもなかったくせに、なぜか心に残っている歌だ。
何度か述べたが私の通って高校はフォークソングの愛好家がやたら多かったところで、それもピーター・ポール&マリーの信奉者ばかりだった。ロック好きとしてはかなり暮らしにくい日々であり、せめてこの”風は激しく”みたいな曲が話題になればなあ、とか思ったりしたのだが、その頃はもう、連中に何を行っても通じないと分っていた。3年間、馴染めたと思えたことのなかった学校だった。
だからその年の最初の北風を通学に使っていた電車のホームに立って感じた時など、”風は激しく”のメロディを一人口ずさんでみたりもした。勝手にカナダの放浪者と、何となく仲間はずれになっている自分とを重ね合わせて感傷的になっていたのかも知れない。
それから、洒落ではすまないような年月が流れ、やっぱり私は夕暮れの暗い山を見上げ、一人で”風は激しく”を口ずさんでいる。まあ、それだけのことだ。こんな風にしてまた一つ季節を乗り越え。そしてまた、春がやって来るのだろう。