ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

風は激しく

2010-03-31 04:50:08 | 北アメリカ

 ”Four Strong Winds”by Ian and Sylvia

 月曜日の夕方、買い物に行ったら街のスーパーの生鮮食料品や惣菜売り場の棚がガラガラで「あれ?」とか思ったものだが、店員同志が困惑した様子で「県道の××峠でトラックが立ち往生しているらしい」なんて囁きあっているのを聞いた。へえ、そういうことなのか。
 街の背後に控える山々を越えて県西部からわが町に降りてくる県道があって、どうやらそこで様々な産品を積んだトラックが突然のドカ雪にやられて立ち往生しているらしい。

 こちらは雪なんかちらつきもしない低地(?)に住んでいてそんな事情は知らなかった。わが町にやって来る観光客たちは海沿いの国道を使うから、やはり雪の影響は受けない訳で、街中の連中は何も気が付いていなかったわけだ。
 どうやら知らないうちに我々の街は陸の孤島と化してしまったようだな、などとオーバーな事を考えて面白がってみるのも、今頃雪に埋もれた山中のトラックの運転席に自分がいないからなのだが。

 いい気なもんだよ、私などはほんの何年か前まで、それに近い物資の運搬を仕事にしていて、その苦労は分っているくせに、関係なくなった今はこうして、完全に野次馬席に座ってしまっている。
 暮れ始めた裏山を眺めてみる。特に雪で真っ白、と言う感じでもないのだが、ここからは見えない場所でややこしいことになっているのだろう。この冬の最後の名残りが、あの山の向こうで暴れている。などと思ってみると妙に民話の世界めいた気分になり、そして気が付けば、確かに足元からシンシンと、この何日かは感じたことのない寒気が這い上がってきていた。

 こんな風に寒気吹き荒れる季節に何とはなしに口ずさんでいる、なんて曲があるのであって、たとえばカナダの夫婦デュオ”イアンとシルビア”が60年代にヒットさせた”風は激しく(Four Strong Winds)”なんてのも、その類の唄だ。近年ではニール・ヤングなんかもレコーディングしているから、そちらの方が通りは良いか。
 季節労務者の唄、といってしまっていいのだろうか。恋人を故郷に残して、仕事を求めて北国カナダの厳しい自然の中をさすらう男の独白。どこか芯のあたりにしっとり濡れたものを孕んだメロディで、そのあたりがカナダの感性か。

 永遠の夕暮れ、みたいな幻と現実の狭間を、広大な北の大地に向って一人歩いて行く孤独な男の後姿。その、翳りのあるメロディと”薄明の中を彷徨う”なんてイメージが何か心に残り、とくにイアンとシルビアのファンだったわけでもないのに、そしてそれほどフォークソング好きでもなかったくせに、なぜか心に残っている歌だ。

 何度か述べたが私の通って高校はフォークソングの愛好家がやたら多かったところで、それもピーター・ポール&マリーの信奉者ばかりだった。ロック好きとしてはかなり暮らしにくい日々であり、せめてこの”風は激しく”みたいな曲が話題になればなあ、とか思ったりしたのだが、その頃はもう、連中に何を行っても通じないと分っていた。3年間、馴染めたと思えたことのなかった学校だった。
 だからその年の最初の北風を通学に使っていた電車のホームに立って感じた時など、”風は激しく”のメロディを一人口ずさんでみたりもした。勝手にカナダの放浪者と、何となく仲間はずれになっている自分とを重ね合わせて感傷的になっていたのかも知れない。

 それから、洒落ではすまないような年月が流れ、やっぱり私は夕暮れの暗い山を見上げ、一人で”風は激しく”を口ずさんでいる。まあ、それだけのことだ。こんな風にしてまた一つ季節を乗り越え。そしてまた、春がやって来るのだろう。



非在の風吹く港町

2010-03-29 02:10:05 | その他の日本の音楽

 ”歌声の港”by 泊

 彼らの韜晦癖ゆえ、といっていいんだろうか、何となくすっとぼけた懐メロ演歌再生集団みたいに認識されている感もあるユニット「泊」である。が、実際に音を聴いてみればとんでもない話であって、深く屈折して奥行きの深い表現世界がそこには広がっている。甘く見たら簀巻きにされて港の外れに浮くこととなろう。
 主に聴かれるのは、戦前の我が国における洋楽志向のサウンド作り、それも、「こんなだったらイカスだろうな」と空想された世界である。巧妙に取り入れられた歌いまわしやサウンドによるタンゴやシャンソンがフラグメントとして舞っている。今日に生きる彼らの美意識によって慎重に選ばれたお洒落だけがそこにある。

 が、これを聴いて「懐かしいなあ、あの頃」と振り返っても、そこには風が吹いているだけ。
 ノスタルジイとは、あらかじめ理想化された過去をでっち上げておいて、そいつをあったものとして「あの日に帰りたい」などと言ってみる、ある種のペテンなのだそうだが、では、生まれてもいなかった時と空間に打ち立てた幻想郷への郷愁を歌うのはなんと呼べば良いのか。
 このアルバム、歴史を後ろ廻りに経巡って奇妙な近代史幻想を奏でた加藤和彦の”ヨーロッパ三部作”あたりと同種のファンタジィとして語られるべきなのだろう。サウンドは加藤作品よりずっと地味、歌唱は加藤のものより圧倒的にテクニシャン、という対照を成すので、連想はしにくいかもしれないが。

 古くからマドロス演歌の主人公は歌の文句の中で繰り返して来た。「オイラ、オカで暮らしてみようと思うのだけれど、気が付けばつい、マドロス暮らしに舞い戻っちまう」と。反省文の割には何だかずいぶん嬉しそうに。
 後にするから港は切ない。逆向きの双眼鏡で眺めるうち、いつしか仮の故郷も本物となってしまうだろう。いずれ、行き着ける船路ではないのだから同じことではあるのだが。



ブエノスアイレス、無頼の面影

2010-03-27 03:06:33 | 南アメリカ

 ”EL Cantor de Buenos Aires”by Roberto Goyeneche

 タンゴの歌手などと言うと普通、陰のあるやさ男なんかが、か細い美声でメソメソ悲恋を歌う、なんてイメージになっていると思うのだが、これまで何度も書いてきたようにタンゴは、もともと怪しげな仕事に手を染める輩が徘徊し様々な人種が混交する荒っぽい植民地の都市であったブエノスアイレスの治安の悪い裏町で発達して来た音楽だ。その芯には相当に柄の悪い魂が鎮座ましましている。
 このRoberto Goyenecheなんて歌手などは、そんな”ガラの悪かった頃のタンゴ”の面影を今日に伝えていた人といえるだろう。

 はじめてこの人の唄を聴いた時の衝撃は忘れられない。ドスの効いたガラガラ声で巻き舌のスペイン語を放り出すように叩きつけて来る。その曲がまた、彼の持ち歌の中でも特にメロディの起伏の少ない、語り物の要素の多い曲だったせいもあるのだろうが、それまで一度もタンゴ歌手に感じたことのない迫力だった。たとえて言えばディランの”サブタレニアン・ホームシックブルース”や”ライク・ア・ローリングストーン”をタンゴの世界でやってしまった感じ。

 その男臭い低音のボーカルはヤクザっぽく崩されたメロディの中で、都会の悪場所の持つ危険で、でも抗しがたい魅惑を歌い上げており、人間の厄介な欲望のありようを見事に表現していた。例によって資料を見つけられず彼の育ち等の詳細を私は知らないのだが、1926年の生まれであるこの男はどのようにして、こんな強力な禍々しさとタンゴ独特の陰影が共存する表現力を身に付けたのか。

 あの”芸術タンゴ”のアストル・ピアソラが、裏町のゴミ捨て場を漁り生きている浮浪の幼児をテーマに、人が心に抱えたやましさややりきれなさを歌い上げた”チキリン・デ・バチン”なる楽曲を発表する際、このRoberto Goyenecheを歌手として登用した、と言うのは非常に納得できる話と思う。そのようなヘヴィな現実の中に降りていって、その場に”聖”の火を灯すとしたら、その役はRoberto Goyenecheがうちに秘めた無頼の魂にしか出来ることではない。

 性格俳優かコメディアンみたいな味わいありすぎの顔の下に、それにはあんまり似合わない感じのがっしりした長身が控えている。この男は二枚目なのか三枚目なのか、ほんとは怖い人なのか実はいい人なのか。よく分らないままに男は、皮肉っぽく唇をゆがめて笑いながら、ブエノスアイレスを覆う夜霧の中に姿を消して行くのだった。



スワヒリ・ルンバで燃えた日々

2010-03-26 02:56:21 | アフリカ

 ”SWINGING SWAHILI RUMBA ”by ISSA JUMA & SUPER WANYIKA STARS

 こんな具合に毎日しつこく雨が降り続くならいっそ、カラカラに乾いた音楽を聴いてやろうと、東アフリカで70~80年代に活躍したスワヒリ・ポップスのバンド、Super Wanyikaの出たばかりのベスト盤というかメモリアル盤を取り出してみた。
 期待通り、湿度0パーセントのギターのフレーズがキンカラコンカラ鳴り渡り、これは気持ちが良いや。
 とまあ、これで終わってもいいんだが、それもあんまりでしょ。

 このWANYIKAなるバンドは、タンザニア出身の歌手、ISSA JUMAによって結成されたバンドで、当時、サハラ以南のアフリカ諸国を席巻していたコンゴルンバ、日本で言うところのリンガラ・ポップスの圧倒的影響下に自らのサウンドを編み上げていた。他の多くの東アフリカのローカルバンドと同じく。

 このバンドをはじめて聴いた20年ほど前、「アフリカにおいて、かってイギリスの植民地だった国の音楽はベースラインが面白い」と言った人がいたんだけど、誰だっけ?まったく思い出せないが、あの説にはどの程度、音楽理論上の裏付けがあったのだろう?
 見当も付かないが、とりあえずこのバンドを聴く限りでは確かにベースの動きは面白い。もうやりたい放題にボコボコと跳ね回り、バンド全体をリズムの網に引っかけてとんでもないところに連れて行く。

 そして、アフリカの太陽の下でカラカラに乾燥してしまったみたいな音を奏で絡み合うギターたちやドラムスが跳ね回り、そしてバンドの主人公であるISSA JUMAが艶っぽく男っぽい声で歌いだすと、大地の上を泳ぎ出す巨大な魚、みたいな独特の疾走感をもってバンドは走り出すのだ、アフリカの大地を。

 リンガラ・ポップスの本家であるコンゴのバンドの圧倒的な影響下にありつつ、自国の音楽的伝統を随所に滑り込ませる、そんな動きを東アフリカのいくつかのバンドは見せていたが、彼らWANYIKAもまた、その一つだったと言えるだろう。ISSA JUMAのバンドはケニアでいつかそれなりの人気を博し、現地のレーベルからヒット曲さえ生み出すようになっていった。
 ISSA JUMAが故郷を出でてウガンダやコンゴといった国々での音楽修行を経た後、ケニアの地に腰を据えてバンドマン人生を送ったのは、やはり経済の問題、ようするにギャラが良かったからなんだろうなあ。いや、それがバンドマンの基本ですから、洋の東西を問わず。

 でも、国境を越えてバンドマン稼業を営むについての外国人労働許可証の問題は常にISSA JUMAを悩ませていたようだ。(正式に許可証を取るには、かなりの金が必要だった・・・と、これも20年ほど前、現地に何度も出かけてアフリカ通と称していた友人の話)
 ISSA JUMAは1980年代の終わり頃、この問題により2ヶ月を監獄で過ごす羽目になり、その時に得た病を引きずった挙句、1990年代の始め頃、あっけなくこの世を去る。

 私が目の前にしているISSA JUMAの業績を伝えるこのCDが、彼の死から10年近くも過ぎた今、突然リリースされた理由は分らない。が、とりあえずひと時、東アフリカのローカル・ヒーローだった男の生きた証しがこうして陽の目を見るのは、悪い事ではないだろう。
 それでは、スゥインギン・スワヒリルンバ、Go!

 (この盤に収められている音源はYou-tubeでは見つからなかったので、彼名義のほかのものをとりあえず貼っておく。まあ、サウンドは似たようなものだから、ね)




浅川マキ追悼企画BOXセットの内容に納得ができない。

2010-03-24 01:48:24 | その他の日本の音楽

 なんじゃこれは?と首をかしげたのである。ほかでもない、先ごろ亡くなった浅川マキの、今度発売される追悼企画盤なんだけど。レコード会社が重い腰を上げて10枚組の追悼盤(なのだろう、きっと)を出すと聞いたので、その広告を今ちょっと覗いてみたのだが。
 とりあえず、下にその”10枚組ボックス”のレコード会社による告知をコピペしておいたんでご覧ください。

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 浅川マキの世界 CD10枚組BOX自選作品集【復刻限定生産】
 1990年に発売され、現在入手困難のため復刻の要望がとても強かったアイテムの自選作品集を緊急復刻!

1.浅川マキの世界(1970.9.5)
2.裏窓(1973.11.5)
3.浅川マキライヴ 夜(1978.2.5)
4.ONE(1980.4.5)
5.CAT NAP(1982.10.21)
6.SOME YEARS PARST(1985.2.21)
7.アメリカの夜(1986.3.1)
8.こぼれる黄金の砂-What it be like‐(1987.2.25)
9.UNDERGROUND(1987.12.25)
10.Nothing at all to lose(1988.12.21)

 ~~~~~

 どうなんだろうね、この作品選択って。浅川マキファンのあなた、これで納得できますか?私は全然出来ないんだが。
 なにより、レコーディング・アーティストとして彼女がもっとも輝いていたのは70年代である、これは彼女のファンのほとんどが同意してくれると信ずるのだが、この”緊急企画”には、70年代作品が3作しか収められていない。その代りに、ファンの間でも毀誉褒貶のある実験的色合いも濃い80年代の作品が7作も復刻されるという。

 ”Blue Spirit Blues”はどうしたんだ?また、名作と世評も高い”灯ともし頃”を倉庫の隅に眠らせておくというのか?それから、山下洋輔4とくんずほぐれつの死闘を繰り広げた”Maki Ⅵ”もか?それから、それから・・・
 ちょっとこれは信じられない処置であり、担当者のセンスを疑うものである。

 あるいはこのラインナップ、浅川マキ本人の選択になるものなのかもしれないが、だとしたらマキ、あなたはこの選択をした際、自分というものをまるでわかっていなかったと言わざるを得ない。
 晩年、自身が世に送り出した作品の復刻を世人には理解しがたい理由で拒絶していた浅川マキであり、何ごとか意固地になって自分の殻に閉じこもっていた感のある晩年の彼女だった。この選盤も、その意固地の発露の一つと、私には見える。おそらくその頃、入り込んでいた音楽実験の袋小路を正当化するための歪んだセレクトではないのか?

 なあマキよ・・・もう”雲の向こうには何があるか分かった”あなたなのだから、肩の荷物は下ろしてかまわないのではないか。”凄い芸術”なんか、もうどうでもいいよ。そうじゃないか?

 なんだかなあ・・・こんな場所で私が何を言おうと、浅川マキの追悼企画盤はこのラインナップで世に出、そしてその他の作品はおそらく、レコード会社の倉庫の中で資源ゴミかなにかになって行く可能性も大かと思う。哀しいなあ。淋しいなあ。情けないなあ。

 それからレコード会社よ。”在庫がなくなり次第、終了となります”ってどういうことかね?
 売切れたら、またプレスしろよ。また売ろうよ。ずっと売ろうよ。”あの娘がくれたブルース”が、この虚ろな世間を彷徨う限りは、いつまでも売り続けようじゃないか。



ナターリア、氷の中の情熱

2010-03-23 00:35:21 | ヨーロッパ

 ”Сны”by Наталья Власова

 ロシアのシンガー・ソングライター、ナターリア・ヴラーソワの”スヌイ”なるアルバムであります。
 彼女が1998年から2005年にかけて作った曲を集めたアルバムとのことで、もしかしたら、その間に放ったヒット曲を集めたベストアルバムなのかも知れない。
 例によって何にも資料などありはしないのだが。いや、ネットにいくらでもありはするのだが、ロシア語なので当方、読めず。面目ない。

 ジャケ写真など、アメリカあたりのインテリ女性シンガーみたいな雰囲気を漂わせており、いや実際、そんな存在の人なのだろうと想像する。中ジャケの写真などもいかにも知的ないい女として歳を重ねることに成功した大人の女性である。ややアンニュイな空気も漂わせ、ギターなど爪弾きながら自作の唄を歌う。
 もともとはクラシックを学んでいたそうだが、途中でポップスに転向している。とはいえ、その音楽にクラシックの要素はほとんどうかがえず、歌声もクラシカルなものではない。普通の、落ち着いたポップス歌手の声である。

 サウンドは、いかにもロシア・ポップスらしい隙間の多いクールな音空間に、生ギターや電気ピアノの爪弾かれる音が響く簡素なイメージのものだが、これは歌手ナターリアのイメージを生かす方向に作用している。しっとりと落ち着いたバラードで良い味を出す彼女の歌の世界は、なんとなく”凍った薔薇”みたいなイメージがあり、それはクールな音作りによく馴染むのである。

 灰色の空の下、何もかも凍りついた動くもののない荒野。澄んだ氷の塊の中に凍り付いて封じ込められている真紅の薔薇がある。鉱物と化したかに見える薔薇ではあるが、実はその中心に寒気にもめげずに力強く通う一筋の赤い血の流れがある。
 そんな情熱を胸に秘め、北の果て、極寒のペテルブルグの街の石畳の路をカツカツとヒールの音を響かせ、背筋をスッと伸ばして歩み行くロシア女性、ナターリアの息遣いが伝わってくるような物静かだが力強いアルバムなのだ。

 ナターリアの書く、ロシア風の哀感がこもった独特のメロディが、聴く者の心に深い余韻を残す。




夜の向こうの優しいタンゴ

2010-03-22 02:03:10 | 南アメリカ

 " LA VUELTA de ROCHA " by Orquesta JUAN de DIOS FILIBERTO

 ずいぶん前に、気まぐれに聴き始めたタンゴに妙にはまってしまい、以来、時代錯誤のタンゴファンを続けているのだが、きれいな女性歌手のCDジャケ買いにも飽いて、歴史的楽団などを聴き始めて一番驚いたのが、このJUAN de DIOS FILIBERTO氏の作り出すサウンドだった。それまで聴き馴染んでいたタンゴの音や音楽の方向性と、あまりに手触りが違っていたので。
 冒頭、バロック音楽でも始まるのかと思う楽器のソロなどあり、そして柔らかなストリングスの調べに包まれて特徴的なフルートやクラリネットの響きが華麗に踊り、そしてなにより楽団の打ち出すリズムがダンスバンドのものではない。リズムは奥に引っ込み、全体の感触は非常に室内楽的な優雅なものなのだ。

 こちらのタンゴに対するイメージとしては、かっての荒っぽい植民都市ブエノスアイレスの港町ボカに生まれた、都市の悪場所の匂いを引きずった、ベタな歌謡性を背負った扇情的なダンスミュージック、といったものだったのだが、こんなに楚々とした繊細な美しさを誇示する世界も、その一方に存在していたのか。

 記録を見ると、楽団リーダーのフィリベルト氏は1885年、ブエノスアイレスのボカ地区に生まれ、1933年に自身の楽団を持ち活動を開始。作曲家としても、”カニミート”など、タンゴの名曲とされる作品をいくつも残している。そして、自身の音楽の中心に”センチメンタリズム”を置き、それを非常に重要視した、ともある。
 タンゴにおけるセンチメンタリズム追求の究極が、この音楽には珍しいフルートやクラリメットを前面に押し出し、室内楽的アンサンブルを志向した、このようなサウンドとなって行ったのか。

 たとえば悩み事に眠れぬ深夜、ふと付けてみた枕元のラジオから流れ出した、どことも知れぬ遠くのラジオ局から送られてくる、そのかすかに聴こえる美しいメロディに心慰められる、などという物語にはピタリとはまる音楽と思う。こんなにも繊細な優しさを込めて音楽を送り出してくれたフィリベルト氏に、とりあえず地球の裏側から東洋の酔っ払いを代表して杯を捧げておこう。



あっかんべーの旗の下に

2010-03-20 03:36:39 | その他の日本の音楽
 ”あっかんべー橋”by 渡り廊下走り隊

 こんな事を書くのも何なのであるが、今、”渡り廊下走り隊”の「あっかんべー橋」がいい。

 ”渡り廊下走り隊”なんて言ったって知らない人が普通だが、今をときめくあの大人数アイドル集団の”AKB48”の構成員5人によるユニットである。
 といってもその実態は5人の真ん中で歌っているコ、マユユこと渡辺麻友を売り込むのが主目的のグループとも聞いた。まあ、私の歳でこんな余計な事まで知っているのはむしろ恥と言うべきだが、それはともかく。

 その彼女らの新曲というのが「あっかんべー橋」であって、これに妙にはまってしまった当方なのである。楽曲としては、それこそ彼女らが通っている中学校の校庭とかで踊られるような典型的なフォークソング曲の、あっけらかんとしたパロディである。
 この曲、AKB本体の新曲が春定番の”桜”ネタの歌詞を持つ合唱曲というか校歌斉唱のパロディみたいなものなので、その辺からのスピンアウトというか悪乗りとして思いついたのではないか。そんな気がしてならないのだが。

 アコーディオン高らかに鳴り渡るアレンジを聴いているとこちらのワールドミュージック耳は”トラッドっぽい音楽”と受け取ってしまうのだけれど、そこでタイトルの「××橋」の元ネタは知らぬが、恋愛にかかわるたわいない女学生のおまじないの類が歌われているのも興味深い。ヨーロッパの伝承曲もどきに歌詞をつけるにあたって作詞家の心は、原始宗教に連なるようなフォークロア調の発想を呼び起こしてしまったのか。

 ”走り隊”のユニフォームはセーラー服のパロディなのだけれど、そもそも日本の女学生は何でこのような衣服を身に付けることになったのか?なぜ、ヨーロッパの民俗ダンスを我々は体育祭の余興に踊る羽目になったのか?
 この地球上で起こっている、歴史の妙な成り行きに起因する文化的行き違いが”走り隊”のあっけらかんとした歌唱によって、青空の下で笑い飛ばされている。

 もちろん他方ではその行き違いがとんでもない悲劇も引き起こしているんですがね、いや、だからこそ、「もっとやれ、走り隊!」とか声援を送ってみたくなったりするのであります。



ナポリの街角から

2010-03-18 03:36:35 | ヨーロッパ

 ”La Raccolta”by Neri Per Caso

 こいつらは・・・我が国の若い衆もやっておりましょう、”ボイスパーカッション”など駆使しましてですね、楽器をいっさい使わず、重ねた歌声だけで聴かせてしまおう、なんて趣向のアカペラ・コーラス・グループ、イタリア版ですな。これはそんな彼らの1990年代半ばから2002年にかけてのヒット作を集めたベスト盤のようだ。
 ジャケに、何だか日本の劇画みたいなタッチのメンバーの似顔絵があしらわれており、そいつらはでかいアメ車なんかに乗り込み、街行く女の子に声かけている、そんな様子が描かれている。まあ、この絵なんかがグループの個性をよく表していると言っていいんではないでしょうか。頭は軽いけれど気の良い、楽しい街のアンチャンたち、という具合の。

 歌われているのも軽いポップスが多くて、聞き流していると、右の耳から左の耳に抜けていってしまう。でもそこにちょっぴりイタリアの陽光の明るい手触りが残る、そのあたりが良さでしょうか。
 バックに楽器を使わず、コーラスが売りのグループとは言っても、気軽に歌い流している感じで、重層的に入り組んだ脅威のコーラスワークを聴かせてやろうなんてうっとうしいことは考えていない、多分。
 また、このタイプのグループならおそらく黒人のコーラスグループからの影響が事の始まりだったんだろうけど、黒っぽくやろうとか、そんなこだわりもあまり感じられない。それこそ町で出会った女の子の気をちょっと惹いてやろうとか、音楽の真ん中にあるのはそんな下町のネオンサインみたいなチープな輝きだ。

 いや、いいと思うんですよ。それで楽しいって音楽があっていい。いや、洒落や皮肉で言うんじゃなくて、本気でね。そんな気安さの上にイタリア大衆音楽のベタな歌謡性とアメリカ黒人音楽のノリが結びついて、出来上がっているひと時の楽しみ。楽しいじゃないですか。

 などと思って聴いていると、盤の中頃に、ナポリの大物シンガーソングライター、”ピノ・ダニエレ”の曲、”Quando”が取り上げられていて、こいつの処理の仕方なんか結構深いものがあって、こりゃあんまりバカにしたもんでもないな、とかちょっと反省したりして。
 メンバーたちの尊敬するミュージシャンの作った曲だから、なんて裏話でもあるんでしょうか、他の曲よりも陰影にとんだ歌唱を聴かせ、終盤のスキャットによるアドリブの応酬など、相当に聴かせます。
 うん、いいんじゃないの。もし、「ピノ・ダニエレを歌う」なんてアルバムが出たら、必ず買わせてもらう。出ないとは思うが。



我が心草原に

2010-03-17 03:48:24 | アジア
 ”2006愛殺版”by Angela Chang

 いかにもジャケ買いで申し訳ないくらいだ。中華世界でなかなかの人気アイドルらしいアンジェラ嬢ですが、何しろこの、カワイイを通り越してややアクの強いくらいのルックスですからね、どんな子なのか気になってしまい、即購入。
 何でも彼女、あのシルクロードの民、ウイグル族の血を引いているとかで、個性的なルックスはその辺から来ているらしい。
 もっとも、飄々として、かつぶっ飛んでいる感じのその芸風(ステージ風景など見ていると、お笑いコンビ・オセロの松嶋尚美に似た芸風ともとれる)は、民族的出自がどうのこうのというよりは幼い頃から学業のためカナダに住んだ、なんて(家が金持ちでもあったんでしょうね、それは当然)育ちに関係しているに違いない。「欧米かよ?」って奴ですな。

 彼女独特のちょっと粘る感じの歌唱を軽々と当世風ダンスビートに乗せてのアップテンポのナンバーがやっぱり魅力的だし受けているんだと思いますが、それよりも私などが心惹かれてしまうのはその狭間に差し挟まれる切々たるバラードのもの魅力。こいつは結構胸に染みるんだ。中華世界でも本音はその辺が好まれているんじゃないかと睨んでいるんだけどねえ、私は。

 冒頭に収められたバラード、「隱形的翅膀(見えない羽、といった意味らしい)」で、野に咲く花の間を飛び回る虫たちに想いを託し、青春の日々と自然の豊穣への賛歌を歌うこの曲の内に溢れる陽光と感傷に、一発でやられてしまいますな、精神がシンプル構造の私などは。
 この”花々を飛び回る虫”はアルバムの基本イメージになっているらしく、歌詞カードにもミツバチの着ぐるみ(?)などまとった彼女のお茶目な姿などが拝めるのでした。
 この曲、日本の70年代フォークみたいな曲調ですが、台湾では昔から普通に歌われている台湾フォークでありまして、日本から台湾にもたらされたのち、日本ではやらなくなってもかの地ではさらに興隆を続ける、まあ台湾でときおり見かける不思議物件でありますね。

 などと、お洒落なダンスビート曲と切ないバラードの移ろいを楽しんでいたら。
 最後に収められていたのがスコットランド民謡、”アニー・ローリー”の中国語訳であったのには一本とられました。一瞬、目の前に浮ぶ、スコットランドの高地と台湾山地のゴタマゼになった爽やかな、ちょっと不思議な風景。
 このアルバム、やっぱりエレクトリックなアレンジのダンスナンバーの狭間に仕込まれたフォークアルバムなんじゃないかな、その正体は。
 アルバムのそこここから吹き零れてくる緑の息吹に、なにやら青春の日の血のざわめきなど、ふと蘇る春の宵だったりするのでありました。