ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

オートハープの祈り

2006-04-30 05:10:12 | 北アメリカ


 (演奏者・Bryan Bowers)

 オートハープ。アメリカ合衆国白人民謡の故郷と言ってしまっていいと思うんだけど、アパラチア山系に見受けられる民族楽器である。四十数本の弦を持ち、机の上に置いたり腕に抱えたりして演奏が出来る簡易ハープ。

 和音演奏のためのバーが付いていて、それを押さえれば、とりあえず和音演奏が出来てしまうので、非常に簡単な楽器ともいえるのだが、ひとたびメロディを奏でようとすれば至難の楽器に姿を変えるという不思議な代物。わが国では”フォークグループ、「五つの赤い風船」のヒット曲、「遠い世界に」で使われた”との説明が一番早いか。

 中欧に、映画”第三の男”のテーマ音楽演奏で知られるチターなる楽器があるが、あの楽器のハープ様部分だけ取り出して和音バーを取り付けたみたいに見える。実際、アパラチア山系で、そのようにして生まれた楽器なのではないか。

 爽やかで可憐な和音の響きが身上のこの楽器、私が始めてであったのは、60年代に活躍したアメリカの民謡系ロックバンド(?)、”ラビン・スプーンフル”が使用していたのを見て、であった。リーダーのジョンが抱きかかえた竪琴みたいな楽器が発する”シャラーン”てな和音が印象的だった。

 その時以来、いつか自分も演奏してみたいと考えているのだが、いまだ、楽器を入手していない。買う気になれば国産で2万円台からあるのだが、40本近くの弦のチューニングと言うのはいかにも面倒くさそうで、それが理由に手が出せずにいる。

 今、目の前にあるオートハープのCD数枚。いずれも、Bryan Bowers なるミュージシャンによるアルバムである。オートハープの演奏を思い切り聴きたい、オートハープを主戦武器としている演奏者はいないのかと捜し求めて、とりあえず出会ったのが、このBryan Bowers だった。

 取り上げられている曲はいかにもアパラチアというか、ヨーロッパより新大陸にもたらされた当時の民謡の姿をとどめる、素朴なオールドタイムものがメインである。”スコットランド”などの地域名を含む曲が散見されるところを見ると、演奏者のルーツがあのあたりなのか。

 そのハザマに、亡くなったシンガー・ソングライター、フィービ・スノウを偲ぶ曲などを忍び込ませているあたり、Bowers のいるポジションが想像される。おそらく、フォークブームに沸きかえっていた60年代のニューヨークはグリニッジ・ビレッジの、芸術好きなリベラルの若者たちの年老いた生き残りなのであろう、彼は。

 そもそもが素朴な楽器であるオートハープの、ほとんど弾き語りが中心のアルバムばかりである。地味である。演奏者の Bowers は、確かに達者な腕の持ち主と認められるのだが、しょせん、オートハープ自体がオモチャに近い楽器ゆえ、華麗なテクニックと言う印象には成り難い。どこまでも素朴、純朴な響きは、続けて聞いて行くと、ヨーロッパから新大陸にやって来たばかりの移民たちのささやかな祈りの音楽の印象が強くなってくる。

 例えば”レッド・リバー・バレィ”なんてコマーシャルなお茶の間ソングまでが、不思議に宗教色を帯びて聞こえてきたり。
 いや、実際、遠い昔にアパラチア山系に生きた人々のささやかな祈りや願いが、この素朴な楽器の響きの中に音魂として染み込んでしまっているのではないか。そんな気もしてくるのである。




コミュニケーションの不可能性について(最終回)

2006-04-29 01:32:13 | 音楽論など

 (前回より続く)

 以下は、ある掲示板において行なわれた不毛なる論争の記録です。もう、その掲示板が閉鎖されてしまった今、不毛は不毛なりに記録を保存しておきたく思い、ここに再録する次第です。
 A氏が論争相手、B氏が掲示板管理者です。

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275 議論が成立しない理由 A - 2005/05/21 10:42 -

270のBさんの誠意あるお答えの中で「前向きにどんどん議論して」という言葉が最後にありますが,議論が成立するテーマになっていないのではないでしょうか。
 ここでクリティークの方法が有効であるか否かが問われていないからです。マリーナ号さんが言っているのは好むか好まないかだからです。好むか好まないかのレベルでは議論になりえません。いかにBさんが誠意をこめて例を出して説明しても,このレベルでは「たとえそれが有効であっても,私は好まない」で終ることが可能だからです。
 私が何度もしかたがないと言うのはここなのです。ひとりの個人の好きか嫌いかが,ボードのような公の場所で議論になりえるわけがないのです。好きです,嫌いです,ということは表明できても,そのひと一人の好き嫌いは誰が決定することでもなく,その個人に帰属するものでしかないからです。
 「私は好みません」が結語ならば,それはしかたのないことで議論の余地はありません。私は非難などいたしておりません。ただただしかたのないことだ,と繰り返しているのみです。世の中は「私は好みません」に,お願いですから好きになってください,と頭を下げる人たちばかりではないということです。

 ウェブマスターにこの話題の打切りを提案いたします。

277 中締めということで B - 2005/05/21 23:19 -
労働歌などについて、みなさんの書き込みありがとうございます。おかげで、いろんな角度から、音楽と社会について眺めて見る機会を持つことができました。

いったんこの話はおしまいにしたいと思いますが、その前に274でマリーナ号さんがおっしゃってることについて、ひとことだけ私見を補足させてください。

Aさんはマリーナ号さんの書き込みを読んで、推測を含めて 意見を書かれたんだと思います。そういうことは、対話や議論では普通のことというより、それなくしては、話は進みませんね。

ぼくは話があまり得意なほうではないので、よけいそうなのかもしれませんが、自分のことだけでなく、人の話や文章の限界についても、あれこれ思うことが少なくありません。
相手の言葉が相手の思いをどれだけ正確に伝えているのか、どれだけズレているのかを推測した上で、返事をするようにしています。それがあたっていることも、外れていることもあるのは、この掲示板をごらんになってる方はおわかりになると思います。

書き言葉でやりとりする場合は、文字から受ける印象もばかになりませんね。仕事で自分では何気ない気持ちで書いたことが、人を傷つけていたというような失敗もくりかえしてきました。逆のことも、もちろんありました。

それでも人と話したり、こういう掲示板で意見をやりとりしたりするのは、ぼくの中に基本的に人を信じたいというような気持ちがあるからだと思います。おめでたい? おめでたくったってかまわない、というのがぼくの姿勢です。

Aさんのまとめ方は、マリーナ号さんの意見を正確に理解したものではなかったかもしれません。マリーナ号さんは、そのAさんの文に対して「悪意ある中傷」という印象を持たれたようですが、ぼくはAさんの文章を読んだときに、議論を進めたいという気持ちは感じても、中傷とは感じられませんでした。個人的に存じ上げているAさんのオヤジぽい言い方だなとは思いましたが(すみません、Aさん)。

マリーナ号さんが

「・・・どうも皆さんは。うまい言い回しが思いつけないのですが、音楽の聖性とでも言うのかな、絶対性というのかな、そのようなものを信じておられるようなんで、ちょっと意外でした。」

の中で「うまい言い回しが思いつけない」と書かれていたのもぼくがここで書いているのと同じようなことを感じていらっしゃるからでしょう。たぶん。そして、ここでマリーナ号さんが「音楽の聖性とでも言うのかな」と書かれていたのも、マリーナ号さん推測というか、まとめ方ですよね。

ぼくもいろんな機会に、自分の意見を人から要約されて、「あれ、おれって、そんなこと考えてたっけ」と思うことがよくありますが、多少の誤解は、ブレーキ・ペダルの「遊び」のようなものとして織り込んで、修正できる方向めざして話を進めるようにしています。理由は簡単。そのほうが楽しいからです。理想どおりにいかないこともしばしばですが、こういう掲示板を作った以上は、ここでもそうできたらいいなというのがぼくのささやかな願いです。

ともあれ、みなさん、これからもよろしくお願いします。

280 納得は出来ません マリーナ号 - 2005/05/22 03:49 -

A殿

>ウェブマスターにこの話題の打切りを提案いたします。

ずいぶん、自分ばかりに都合のよい事をいいますね。都合が悪くなったからBさんに助けを求めて逃げ出しますか。

私は、書き込み274において、議論など要求してはおりません。好き嫌いといった話もしておりません。
言いもしなかったことがあなたによって言ったことにされてしまっている、その件に関して問うているのです。
いつ私がそのようなことを言ったのか、事実関係の証明をしてくださいと言っているのです。クリティークのなんたるかなどとは無関係に、事務的に処理が可能なことでしょう。
言ったか言わないか、言ったとしたらそれはいずこにあるのか。物理的に証明が可能な事でしょう。

話をすりかえるのはやめてください。問題を打ち切りたいなら、書き込み274の私の問いに答えてからにしていただきましょう。

Bさんへ

>Aさんはマリーナ号さんの書き込みを読んで、推測を含めて
>意見を書かれたんだと思います
>Aさんのまとめ方は、マリーナ号さんの意見を正確に理解したものではなかったかもしれません

その可能性さえA氏は認めようとせず、書き込み275において話のすりかえに終始しているのですから。これではA氏の”言い逃げ”となり、このままの状態での”仲締め”は、私にとって極めて不公平なものとなる、という事実を、どうかご理解ください。

そうそう、Bさんは今回、こう述べておられます。

>ここでマリーナ号さんが「音楽の聖性とでも言うのかな」と
>書かれていたのも、マリーナ号さんの推測というか、まとめ方ですよね

その件に関し、私は書き込み258において、

>私の表現が不快でしたでしょうか。申し訳ありません。

と、謝罪をしております。A氏は今回、その程度のこともしておりませんよね。その事実を置き去りにして、”中締め”をされるのでしょうか。

281 条件 マリーナ号 - 2005/05/22 04:13 -

Bさんへ

書き込み(280)を削除せずにこのまま残す、という条件を飲んでいただけるのでしたら、中締めに応じさせていただくことにします。

282 回答は投稿271でいたしております。 A - 2005/05/22 18:29 -

もう一度よくお読みください。
私のメールアドレスは公開してありますので,私個人へのメッセージは直接そちらに送ってください。

283 このボードの方針 B - 2005/05/22 22:18 -

マリーナ号さん。

規制ぎらいなので、この掲示板の書き込みは、みなさんの良識にまつ、ということでやってきました。
あまり容量の大きい写真とか、まったく関係なさそうなものは断りなく削除することがありますが、今回の一連の議論はもちろんそれにはあたりません。

これからも情報や感想や意見や質問のやりとりに役立てば幸いです。

284 残払い マリーナ号 - 2005/05/23 00:13 -

Bさんへ

恐縮です。ご迷惑をおかけし、申し訳ありません。

A殿

”投稿271”が回答になっているとは到底思えません。”中締め後”ですので、これ以上は述べませんが。
メールを差し上げることもありません。掲示板上で起こった事を、影の談合で決着をつけるのは筋違いと考えますので。

 ~~~~~~~~~~

 以上であります。ここで私が何か付け加えるのは不公平になるので、このまま記事の後ろに黙して立つこととします。
 あえて一言だけ感想を述べれば、「有名人二人相手にして私も頑張ったなあ、と言いたいところだが、ちょっと私は人が良過ぎたかもしれない」ってなところでしょうか。




コミュニケーションの不可能性について(第3回)

2006-04-28 01:18:23 | 音楽論など

 (前回より続く)

 以下は、ある掲示板において行なわれた不毛なる論争の記録です。もう、その掲示板が閉鎖されてしまった今、不毛は不毛なりに記録を保存しておきたく思い、ここに再録する次第です。
 A氏が論争相手、B氏が掲示板管理者です。

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270 音楽ともろもろ A - 2005/05/20 22:46 -

ここ数日仕事がたてこんでいて、返事できなくてすみませんでした。

Aさん、マリーナ号さん、ぼくの間で微妙に言葉の使い方がズレてきているよ
うな気がします。

マリーナ号さんが

「音楽は革命や運動に”使える”から素晴らしいなんて結論はごめんだ!音楽は音楽だから素晴らしいんだ!」と、要するに言いたかったのかも知れません

とおっしゃっているのは、ぼくもまったくそのとおりだと思います。

そしてAさんは「音楽は革命や運動に”使える”から素晴らしい」と一般化しておっしゃってるわけではなくて、みずからの体験も思い出しつつ、魅力的な音楽で、しかも運動の現場で気持ちを支えてくれる音楽があるとおっしゃっているのだと、ぼくは理解しています。

そのあたり、おふたりのやりとりが、すこしすれ違って感じられます。


マリーナ号さんは別の言い方で次のように書いておられますね。

「”革命”やら”運動”やらに絡めて音楽が語られるのを好みません。」

これは、歴史的事件の中で音楽が流れたりうたわれたりした事実を伝えることを拒むものではなく、それを音楽の評価基準にするな、ということですよね。

ぼくはたとえば仕事で「リリー・マルレーン」という歌を説明しろといわれたら、第二次世界大戦のときに、こんなふうにうたわれたと戦争に「からめて」説明するでしょう。

でも、だからこの曲は素晴らしいというつもりはぼくにはありませんし、歌自体にぼくはあまり思いいれがありません。 この歌に支えられた人もいれば、まるで関心のなかった人もいるでしょう。しかしこの歌に支えられたという人がいれば、ぼくにそれを否定できる権利もありません。とにかく「リリー・マルレーン」はいずれの側からも愛された歌として語り継がれていると、ぼくは書くでしょう。



そうして書いた記事を読んで、だからこの歌は素晴らしいと、飛躍して思う人がいるかもしれない。でも、そこまでいくとやはりその人の誤解だとぼくは思います。

しかしぼくが客観的に説明したつもりでも、誤解する人が多ければ、それがこの歌に、それ以上の意味を与えてしまうかもしれない。

そういう可能性も危惧して、マリーナ号さんは、


「”革命”やら”運動”やらに絡めて音楽が語られるのを好みません。」

とおっしゃっているのかもしれませんが。
そういう意味では、原稿を書くことについて、いろいろ考えさせていただきました。

こういう話は、なかなかする機会がないので、この掲示板で前向きにどんどん議論していただくのは、ぼくは大歓迎です。

271 ユシチェンコもクリップに出ていた A - 2005/05/21 01:01 -

 というわけで,今年のユーロヴィジョンはちょっと楽しいことになりそうです。後日報告いたします。

 今日は気温が24度まで上がったことと,イローナちゃんが10週連続1位を続けていることと

(注・この先の一部の書き込みは、論争と直接関係がないと思われますので、中略とさせていただきます。引用者・マリーナ号)

 マリーナ号さんへは同じことしかくり返せませんが,それはそれでしかたのないことだ,としか申し上げられません。たとえどのような形であなたの前に提出されても(まさにあなたが望むように歴史背景も事件も取り去った粗の音楽原型で提出されても),あなたが労働運動歌,抵抗歌,反戦歌,革命歌を愛することになる可能性はゼロなのです。ご自分がお書きになったことに自覚的でありましょう。あなたは反戦歌の意味を逆に取ることなどいとも簡単である,反戦歌の意味を無化するだけでなく凶暴な好戦歌になりうるのだ,ということを証明したくて,いろいろ珍しい例を挙げられたではないですか。これはあなたがこの種の音楽に対して持っている敵意であり,アレルギーです。だから私はこれはこれでしかたがないと申し上げるのです。

274 これを”しかたない”で済まされたらたまらないので マリーナ号 - 2005/05/21 02:42 -

Aさま
あなたの私に対する書き込みへの”誤解”と言う解釈は、あまりにあなたに好意的過ぎるようですので撤回、改めて発言させていただきます。

あなたは、書き込みNo.259において、私の発言内容に対し、

>苦手で嫌いな音楽というのは誰でも持っているではないですか。
>それを許容してあげられないのはなぜなんでしょうか。

>俺にとってダメな音楽はダメなんだぞお,と言い続けるのは

などと決め付け、数々の批判を行っておられますが、それらの発言は、私にはまったく行った覚えのないものです。 いつ、私が「ダメな音楽はダメなんだぞ」等の発言をしたのでしょうか?これは事実の捻じ曲げによる、悪意ある中傷としか受け取れません。非常に迷惑です。

あなたが非難しておられるような発言を、私がいつ、どのようにしたのか、具体的に指摘していただきたく思います。それが出来ないのであれば、私に対し事実の捏造を認め正式の謝罪をしていただきたく思います。以上、要求します。

追伸。
私は、あなたが言うように反戦歌や抵抗歌を憎んでなどいません。好きな歌さえあります。 ただ、「それが反戦や抵抗をテーマとした歌だから、あるいは政治活動に使われた歌だから、優れているのだ」といった価値観を振り回す、そのような行為を嫌悪しているのです。

(Bさん、皆さん、引きずって、不愉快な思いをさせてしまってすみません。非難されるのは別にかまいませんが、言ってもいないことを言った事にされてしまうのは、私の人権に関わりますんで)


 ~~~~~~~

 (以下、次回に続く)




コミュニケーションの不可能性に関して(第2回)

2006-04-27 01:12:39 | 音楽論など


 (前回より続く)

 以下は、ある掲示板において行なわれた不毛なる論争の記録です。もう、その掲示板が閉鎖されてしまった今、不毛は不毛なりに記録を保存しておきたく思い、ここに再録する次第です。
 A氏が論争相手、B氏が掲示板管理者です。

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マリーナ号さん

248の
<9・11におけるwe shall overcome”なんですが、そこでそれを歌っている人々の心のうちにある”勝利”は、「このような悲劇にも理性を曇らされることなく、我々は人を憎むことより愛を持って平和な世界を築くことに力を尽くそう」でもありえるし、「こんなことをしやがったアラブの奴等に血の報復を!」でもありうる。どちらでも歌は成立してしまう、と思うんですね。同じくらいの情熱の厚みを内包しつつ。>

こういうときは、ぼくはごく単純に<同じくらいの情熱の厚みを内包>しているとは思わないことにしています。後者の情熱はどこか狂っているんだと。次のようなことを言う政治家も。

<過ちを繰り返さないためにも日本は核武装が必要なんです」と演説をぶった政治家を、私は記憶しています。>

254 人間の事情、音楽の事情 マリーナ号 - 2005/05/16 12:57 -
 この数日の皆さんの書き込みを読んで行くと、どうも皆さんは。うまい言い回しが思いつけないのですが、音楽の聖性とでも言うのかな、絶対性というのかな、そのようなものを信じておられるようなんで、ちょっと意外でした。
 私は、なんというか、音楽は「これは抵抗の歌である」みたいな人間の側の都合に素直に従ってくれるものとは思えないのです。
 ロブ=グリエの「世界は何の意味もなく、ただそこにあるだけだ」との言葉を真似して言えば、音楽はただそこにあるだけと思います。そこにキレイなメロディがあり、あるいは躍動的なリズムがある。それに接し人は、あるいは心癒され、あるいは気持ちを鼓舞される。音楽が関われるのはここまでではないでしょうか。
 心を鼓舞された人が、もしかしたらなにごとか”運動”を成功させることがあるかも知れない。でも、そこまで行ったら、それは”音楽の周辺の人間の事情”と呼ぶべきで、音楽の本質に関わることではないでしょう。
 人はやっぱり、瓦礫の山を前にして”we shall over come”を、各々の抱えた事情に即して愛の祈りとしても憎しみの誓いとしても歌ってしまえる存在で、そして人間が歌えば、唄はそこに存在してしまいます。
 人の心を正しい方向に導く歌なんて存在するとは思えない。政治的に正しい人にしか歌えない歌とか、悪辣な政治家には聞こえない唄など、ある筈もない。
 歌はただそこにあり、人の気まぐれな感情にただ寄り添った、物理的なリズムやメロディの組み合わせとして存在しているだけです。人は、反戦の誓いを歌った歌を口ずさみながら、ナパーム弾を人々が寝静まった都市に投下する作業をすることさえ、可能でしょう。
 それは、血にまみれた独裁者が食べようと、清く正しく貧しい無辜の人民が食べようと、チョコレートは同じように甘いのと同じこと。これは別に裏切りでもなんでもないのです。音楽の本質は正義とか悪とか、そんなものを超えたところに存在している。それになにごとか意味を込めるのは、ただ”音楽をめぐる人間の側の事情”でしかないでしょう。
 どうもうまく言えません。意味不明の部分、多々あるかと思います。すみません。

255 街頭で元気の出る歌 A - 2005/05/16 20:42 -

音楽は聞かれ方も表現のされ方も千差万別で,相対的で恣意的なものであることは皆さん最低了解されていることです。音楽のことで対話するということは「私はこう聞きましたが,あなたはどうでしょう?」ということだと思います。ここで誰がどう言おうが「私にはつまらない音楽でした」で切っても,それは了解されうるものです。
 音楽そのものとは意味がなく即物的に存在するものであるとか,大衆とは不定型なものである,という結語はたいへん興味深いものがありますが,その結語に至るために例外の例外である珍しい例を「こういうこともあるんだから」と援用するのはいかがなものでしょうか。
 マリーナ号さんにとって,この種の音楽は苦手であり,信じることができず,無益である,というご意見は了解できますが,そうでない人たちは「音楽の絶対性を信じているというような大上段なもの言いは,ちゃんとした説明が必要なのではないでしょうか。
 ××さんが国鉄闘争に触れられて,「がんばろう」の歌を例に出された時,そうか,今,日本にはデモ行進で歌えるような歌がないのか,と思って反応いたしました。私は特殊な例かもしれません。フランスに25年間住んでいる外国人移民です。日々の暮らしは面白いことばかりではありませんし,市民として納税者として社会構成員として外国人として,どうしても最低これだけのことは声に出して言わなければならない,と思う時があります。自分たちにとって理不尽な法律が通ろうとする時,理不尽な戦争が行われようとする時,理不尽な人種差別がある時... 私は市民として街頭に出てデモ行進参加者となります。闘士ではないので,参加回数は数えるほどですが,ちゃんと私のような未組織市民でも参加できるスペースがいつもあるので,それなりの場所に納まって友人たちと共に声を上げて歩いております。そういう時にはやはり気勢の上がる「歌」が欲しいわけです。その意味で,以前ここで書きましたゼブダの「モチヴェ!モチヴェ!」は画期的な歌だと思います。古い「パルチザンの歌」が若い人たちによって,魅力的なリフレインを付け加えられスカ・ビートで調子をつけられて,21世紀の街頭運動に甦ってしまったのですから。声を出す側にはとても元気のつく歌です。
 またフランスの若いアーチストでコルネイユや(最近日本にも行った)テテが,自分のレパートリーの中に,ボブ・マーリーの「リデンプション・ソング」を入れている。パリ・ゼニット(キャパ5千人)でテテがやった時はこの曲がアンコール最後の歌で,大唱和となって終ってしまう。ちょっとびっくりしましたが,こういう風に伝承されるべき歌はちゃんと若い人たちに伝承されているのだ,と思いました。
 第二次湾岸戦争前夜,ポール・マッカートニーがパリのベルシー(キャパ8千人)でライヴをした時に,オーディエンスの一部からジョン・レノンの歌"Give peace a chance"のリフレインが始まり,やがてそれが会場全体の大合唱になり,しまいにはマッカートニーもマイクを通して "All we are saying..."と歌ってしまった。このことは翌日のメディアでもパリ市民のイラク戦争反対の意志を象徴する出来事として紹介されました。意志ある大衆がその意志を伝えようとする時,有効で大声で歌える歌というのは確実に存在すると思います。

256 音楽と人 B - 2005/05/16 23:02 -

こんな名前の雑誌がありますが、それとは無関係です。

マリーナ号さん。
「音楽はただそこにあるだけ」のように見えるかもしれませんが、マリーナ号さんもすぐ後で書いておられるように、人が作ったり、うたったり、演奏したりしなければ、音楽は存在しません。人がうたえば、大なり小なりの物語ができ、どんなに微細なものであっても、音楽に色彩が付与されます。そのために、どんな音楽もニュートラルに「ただそこにあるだけ」というわけにはいかなくなります。

もちろん、その色彩の総体は誰も見ることはできませんし、後の人がそれに気づかないでうたうことも普通に起こります。60年代に高田渡の「自衛隊に入ろう」を聞いて、自衛隊が隊員募集に使いたいと言ってきたという話がありましたが、真偽のほどはともかくとして、そういうことが起こっても不思議ではないでしょう。でもすぐに気がついて自衛隊は撤回した(もしくは、最初からそういうことはなかった)。

そういう意味で、we shall overcome を「憎しみの誓いとして」うたう人はぼくは少ないだろうと思っています。中国や韓国の人が「君が代」を積極的にうたうだろうとも思えません。
もちろん、マリーナ号さんが、反戦の誓いを歌った歌を口ずさみながら、ナパーム弾を人々が寝静まった都市に投下する作業をするとも思えません。

258 ”Kill,Kill,Kill,For The Peace !”のある風景 マリーナ号 - 2005/05/18 01:54 -

 Aさんへ
 私の表現が不快でしたでしょうか。申し訳ありません。冒頭に断ったように、どのように表現すべきか、適当な言葉が見つからなかったもので。しかし、私の発言が「大上段な物言い」と受け取られたというのは、またまたびっくりしてしまいました。私としては、「先生方には、このような無名の音楽ファンの立場もあるのだから、分かってほしい」という、”地べたから物申す”みたいな気持ちで書き込んだものなのですが。
 ご推察のように私は、”革命”やら”運動”やらに絡めて音楽が語られるのを好みません。そのような場の流れが出来てしまうと多くの場合、音楽はいつの間にか脇にやられ、”運動”の話がメインになってしまい、うかうかすると、”単なる音楽ファン”は、「音楽の話しか興味のないレベルの低い奴」との扱いまで受けかねない。そのような状況が形成されることへの危惧が、あのような書き込みを私にさせたのかも知れません。
 私の通った高校は学生運動の盛んなところでした。先輩諸氏は新入生たる我々を見下ろし、言ったものです。「お前らバカ共には分からないだろうが、俺たちは高校生なのに政治なんかにも興味を示す、意識の高い存在なのだ。なに?ロックが好きだって?次元の低い奴だな。反戦フォークを聞けよ、特に岡林。そして目覚めろ。まあ、お前らの頭じゃ理解もなかなか難しいだろうが」その高校を卒業し、ギターを片手に歌い始めると、楽屋に「今のお前の歌とベトナムの現実と、何の関係があるのだ」と因縁付けに来る人々に出会いました。いつだって音楽を革命やら運動やらとを絡めて語りたがる人々というのは、私にとっては抑圧者だったのです。

 Bさんへ
 上の、Aさんへの文章に続きますが、「音楽は革命や運動に”使える”から素晴らしいなんて結論はごめんだ!音楽は音楽だから素晴らしいんだ!」と、要するに言いたかったのかも知れません、私の”音楽は音楽に過ぎない”論の裏面を明かせば。
 そして・・・はい、たしかに”勝利を我等に”を呪いを込めて歌うのは例外的な人たちなのですが、国境や文化の垣根をまたいだ先を想定すれば、こちらには異様にしか見えない考え方が多数意見として機能している場面に出会うのも、稀ではありません。
 たとえば、原爆投下を”当然の正義の行使”と断ずるアメリカ人は普通にいるようですし。

259 それでいいのではないですか? A - 2005/05/18 09:04 -

 マリーナ号さん,
 若い頃のトラウマであったわけですね。かくしてあなたは高校生の頃に左翼アレルギー,社会運動アレルギーとなられたわけですから,それはそれでしかたないではないですか。それは苦手な分野であるということで皆さん納得できることだと思います。抑圧的な先輩に関わらず,あなたは音楽を聞く自由を守り通せたわけですから。自分にとって苦手で,聞きたくもない音楽があるというのは自然なことではないですか。私も音楽に携わる仕事をしていますが,自分にとって理解不能な音楽というのはたくさんあります。一部の現代音楽とか,コード/モードが自分の読解力をこえるフリー・イムプロヴィゼーションとか,大部分のJ-POPとか,形状だけのおシャンソンとか...例を挙げればキリがありませんが,それはそれでしかたないではないですか。私は私の苦手分野は,苦手分野として人様から許容されたいと思いますし,この部分に弱いからおまえはダメなんだぞお,ということを言われても,すみませんと言って逃げるしかありません。
 なぜ音楽総体で語ろうとするのですか?ひとりのリスナーのキャパシティーというのはそんなに大きくないですよ。苦手で嫌いな音楽というのは誰でも持っているではないですか。それを許容してあげられないのはなぜなんでしょうか。俺にとってダメな音楽はダメなんだぞお,と言い続けるのは,あなたが抑圧的に感じた先輩たちと同じことを言っていることではないですか。
 このボードの主旨は世界各地の音楽が好きな人たちの会話の場ですから,世界の音楽のありようをグローバルに見ようではありませんか。抑圧された人民の歴史というのがあり,それを音楽で表現した人たちも世界にはたくさんいるのですから,マリーナ号さんがそれにバッテンをつけるなら,それはそれでしかたがないことです。ユパンキ,フェラ・クティー,ピアソラ,オクジャワ,レオ・フェレ,ボブ・マーリー,ディラン,ジョン・レノン,ジョー・ストラマー...。これらの人たちの意義を認めない人がいても,それはそれでしかたないことです。聞かれ方は千差万別あり,表現のしかたも千差万別あります。それをリスペクトした上でないと,このボード上での会話にならないのではないでしょうか。

263 言ってもいないことで責められても・・・ マリーナ号 - 2005/05/20 04:22 -

Aさんへ
このような議論を引っ張ると、他の方々にもご迷惑かと思いますんで、私の文章を誤解し
ておられる部分の指摘のみ、しておきます。まず、

>苦手で嫌いな音楽というのは誰でも持っているではないですか。
>それを許容してあげられないのはなぜなんでしょうか

とのお言葉をいただきましたが、私は、「嫌いな音楽があり、それを許せない」などとは 一言もいっていません。してもいない発言に関して批判を受けるのは、納得が出来ません。

>俺にとってダメな音楽はダメなんだぞお,と言い続けるのは

とのお言葉もいただきましたが、言い続けるもなにも、はじめからそんなことは言っておりません。

私は、

>”革命”やら”運動”やらに絡めて音楽が語られるのを好みません。

と言っております。音楽そのものではなく、語られかたを問題にしております。「社会運動にかかわりがあった音楽だから素晴らしい」などという評価の下し方を”好まない”と言っているのです。
そのような評価基準を受け入れるのはそれこそ私の”苦手分野”であり、おっしゃられるように、それを私が好まないのは”しかたがない”ではありませんか。
これに関しては、

>この部分に弱いからおまえはダメなんだぞお,ということを言われても,
>すみませんと言って逃げるしかありません。
 
とのお言葉をそのままお返しするよりありません。また、

>抑圧された人民の歴史というのがあり,それを音楽で表現した人たちも

として何人かの音楽家の名を挙げられていますが、そこには私の好む音楽を演奏する人も、そうでない人もいます。が、それは”抑圧された人民の歴史”を音楽で表現しているかどうか、が判断基準ではありません。例を挙げるなら、アストル・ピアソラは、気のおけない庶民の娯楽であったタンゴを、お高い”お芸術”にしてしまった、との理由で私は苦手です。この場合、”抑圧された人民の歴史”を音楽で表現しているか否かは、私の評価基準には入っておりません。

まさにおっしゃるとおり、音楽の聴かれ方は”千差万別”です。音楽家を”抑圧された人民の歴史を音楽で表現したか否か”といった評価基準で語るのを好まない者もいるということにも、”リスペクト”いただけたらと思います。

 ~~~~~~~

 (以下、次回に続く)





コミュニケーションの不可能性に関して(第1回)

2006-04-26 04:45:44 | 音楽論など


 以下は、ある掲示板において行なわれた不毛なる論争の記録です。もう、その掲示板が閉鎖されてしまった今、不毛は不毛なりに記録を保存しておきたく思い、ここに再録する次第です。
 A氏が論争相手、B氏が掲示板管理者です。

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245 私は抵抗歌を持っていない・・・ マリーナ号 - 2005/05/12 03:02 -

  抵抗歌。昔々、韓国で抵抗詩人の金芝河氏が逮捕されたりしていたおり、テレビのニュースで、金氏の支援者が韓国語で”勝利を我等に(ウイ・シャル・オーバー・カム)”を歌っているのを見て、「韓国では、あのような場面で歌える自国語の歌詞が、あの歌には付いているんだな。そして、ついにあの曲の”使える”日本語詞を我々は持ちえなかったのだな」とか妙な感慨を持ったものでした。
 というか、あのような歌を自らのものとするような精神風土が日本人にはないのかな、とも思っております。その他の日本製の抵抗歌のタグイも、なんか「歌うのが正義であるから歌う」みたいな義務的ニュアンスもありで。
 いやしかし。今回、皆さんが挙げておられる抵抗歌の数々も、その国の平均的市民感情からするとどうなんだろう、もしかして結構建前的なものやら特定の組織の色が強かったりはしないか?とか、私はとりあえず疑ってみたりするのですが。まあ、そんな事を考えてしまうのも、自分が魂や血肉まで及ぶような”抵抗歌”を持っていないせいでしょうけど。

246 we shall overcomeのことなど B - 2005/05/12 15:36 -

マリーナ号さんが言われるのは、抵抗歌がなじまないというより、運動をめぐる気持ちのありよう、ということになるでしょうか。
気持ちをこめてうたえる歌が少ないのは、ぼくもそうなんですが、日常的な生活の中で合唱することは、日本で一般的に少ないことも、何かのときに気持ちを引かせる、ということはあると思います。
カラオケがいくらはやっても、合唱の方向に向かいにくいようですし。

9/11のとき、ニューヨークの人たちがwe shall overcome をうたっていたという話を聞きましたが、それはどんな立場の人たちだったのでしょう。

247 すべての人民たち,想像せよ。 A - 2005/05/12 22:14 -

マリーナ号さんは,ジョン・レノンの「イマジン」が歌えたり,あるいは歌わなくても歌詞を全部覚えていたり,なんてことありませんか?
 ジャズの澤野工房配給のヒットアルバムのひとつで,2001年発表のイタリア人ピアニスト,ジョヴァンニ・ミラバッシの『アヴァンティ!』(澤野工房のHPを↓にリンクつけました)というのがあります。これはソロ・ピアノで世界の革命歌,抵抗歌,反戦歌を演奏したもので,「パルチザンの歌」「さくらんぼの実る頃」「アスタ・シエンプレ」「ベラ・チャオ」「ポールシュカポーレ」などが収められていて,ジョン・レノン「イマジン」も入っています。第1曲めに1973年,チリ,アジェンデ社会主義政権を軍事クーデターで転覆して独裁者となったピノチェット将軍に反対して,街頭デモに出た市民たちのシュプレヒコールがそのまま歌になったということで知られる「エル・プエブロ・ウニード」(キラパジュンの歌でも有名)が入っていて,このミラバッシのプレイはパッショネートで心を打ちます。
 これらの歌は人民が遭遇した事件を後世まで記憶させていくのですが,これが人々の心に残るのには,ず~っと歌われ続けなければならないのです。ミラバッシがこのアルバムについてあるインタヴューで言っているのは,これらの曲の歴史的意義がどうのこうのと言う前に,これらの曲は例外なしにすべて美しいメロディーを持っているということです。美しいメロディーは人々に愛され,人々に歌われる,ということ。人々に歌われてこそ,これは人民の側の歌であるわけです。
 余計なことをひとつ言えば,その歌詞の内容や背景にある思想という問題をうっちゃっておいても,「君が代」が歌われづらいのは,こういう原初的な理由によるものではないかと思ったりします。
 70年代から今日まで,世界中で幾度か戦争があって,その度に世界のいくつかの勇気あるラジオ局はジョン・レノン「イマジン」をオン・エアします。これはこれで大変なことなのではないでしょうか。それはみんなが拳を振り上げて歌うような歌とはわけが違いますが,この美しい曲と詞をラジオで聞いて,この状況下でこの歌を聞く理由を人々がイマジンする,という意味ある瞬間を世界中で作り出しているのかもしれません。これはポジティヴに考えましょう。You may say I'm a dreamer。
 実際に歌を歌いながら軍事政権を倒す革命をやってしまった国もあるのです。1974年4月25日,ポルトガル,カーネーション革命。この時の歌を25曲収めたCD2枚組"25 ABRIL 25 CANCOES"がフランスのフレモオから先月リリースされました。これも見本盤 Bさんに送っておきましょう。

248 制御不能の奥深さゆえに・・・ マリーナ号 - 2005/05/13 00:12 -

 抵抗歌に関して。なんかまた妙なこと言い出してすみません。
 どうも私は「党公認の美しい闘争の歴史」を構成する一ピースとしての「正しい抵抗歌」とか「正しい労働歌」には興味が持てず、以前、Bさんが言われた、植木等の「スーダラ節」や「日本一の無責任男」なんて歌、あるいは五木寛之が「未組織労働者のインターである」とした演歌のようなものが、真に民衆のうちで機能した労働歌や抵抗歌ではあるまいか、と考えているのでありまして。絵に描いたような抵抗歌の歴史って、あんまり信じる気になれません。民衆って、もっと手に負えない、ある意味いい加減、ある意味したたかで不定形な存在ではありますまいか。
 ・・・などと、抵抗歌論議、労働歌論議を聞くたびに思ってしまう私なのでありました。

 Bさんへ
 >9/11のとき、ニューヨークの人たちがwe shall overcome をうたっていたという話を聞きましたが

 それは初耳でした。どのような立場の人たちがどのような想いを込めて・・・なんか、知るのが怖いような、でも知りたいような。複雑な気持ちです。

 Aさんへ
 御反応、ありがとうございました。どうも私は、”抵抗歌らしい抵抗歌”を信じきれずにいるようです。
 たとえば、Bさんがご紹介くだすった”9・11におけるwe shall overcome”なんですが、そこでそれを歌っている人々の心のうちにある”勝利”は、「このような悲劇にも理性を曇らされることなく、我々は人を憎むことより愛を持って平和な世界を築くことに力を尽くそう」でもありえるし、「こんなことをしやがったアラブの奴等に血の報復を!」でもありうる。どちらでも歌は成立してしまう、と思うんですね。同じくらいの情熱の厚みを内包しつつ。
 また、これは歌以外の例になってしまうんですが、広島の原爆投下の犠牲者を悼む碑に記された「過ちは繰り返しません」という語句を指して、「過ちを繰り返さないためにも日本は核武装が必要なんです」と演説をぶった政治家を、私は記憶しています。
 こんな風に歌は、”××への抵抗”や”善悪”という枠組みから易々とはみ出してしまう、得体の知れない奥深さを持っている。そんな奥深さゆえまた、音楽に我々は惹かれてしまうのであろう、とも思います。

253 抵抗歌 B - 2005/05/14 21:53 -

ちょうどいま、それをテーマに原稿を書いていたものですから、あれこれ思うことがあるのですが、ある歌がある状況下で抵抗の歌として機能するまでには、ものすごくいろいろな要因が関わってきますよね。そこでは人と音楽のつきあい方の習慣のようなものも大きな役割を果たすでしょう。

たとえば、ぼくは音楽が抵抗歌として機能するような環境では育ってこなかった。そんなときにアメリカのフォークと反戦運動や学生運動との関わりを知って、あ、そんなこともあるのかと驚いたわけです。
60年代までの日本のデモでうたわれてきたいろんな歌のことは知っていましたが、65年ごろに実際に自分がデモの中でうたってみても、ピンと来なかった。「網走番外地」に心情を託すようなこともできなかった。
だから関西フォークが出てきたときも、聞いておもしろい歌はありましたが、「友よ」を合唱するのは、なんか違和感がありました。


ある状況で有効な歌が別の時と所にいる人にとってどのような意味を持つのかは、個別の状況の数だけ、ちがいがあるような気がします。

別の状況でその歌が反抗の歌として受け止められるとはかぎらない。歌が背負っている物語がすべて音楽と一緒伝わっていくとはかぎらないからです。

でも、そうした個別の状況のちがいを超えてその音楽が広がっていくとすれば、それはやはり音楽(が持つ集合的な記憶のようなもの)に力があるんじゃないかと思います。もちろん、そこには、子供のころからどんな音楽を聞いて、あるいは教わって育ってきたかということも、大いに影響しますが。

 ~~~~~~~

 (以下、次回に続く)





恥ずかしい歌

2006-04-25 04:29:30 | 音楽論など

 今、テレビから「会いたい」って昔のヒット曲が流れてきているんだけど、これもバカな曲ですなあ。いっぱい映画を見ようとか、あれをしようこれをしようとか言っていた恋人が死んでしまってもう一度会いたい、なんて、ありきたりな物語をベタベタの感傷で歌い上げた、いやまあそれだけの曲なんだが。

 これはまったく「私は安手の恋愛妄想に嵌り込んでいます」と満天下に臆面もなく公言している、なんかものすごく恥ずかしい歌ではありませんか。
 こんなの、昔の人は平気で聴いていたんでしょうか。いやなに、昔の人はも何もない、こんなの好きな人は世の中に山ほどいるでしょうけど。とか言ってますがねえ・・・

 私が日ごろ愛聴している外国の裏町ポップスなんか、この種の歌詞がゴロゴロしていて不思議はない世界ですわね。もう、知らぬが仏って奴であります。言葉が分かったら恥ずかしくて聴いていられないような歌を、それがあるいはミャンマー語で歌われていて意味が分からないゆえに、あるいはヘブライ語ゆえに、あるいはハウサ=フラニ語ゆえに抵抗なく聴けているだけってこと、普通にあるんだろうなあ。

 あるいはまた。いわゆる”メッセージ色の強い歌”ってのもありますな。あれがあれでまた、私は気に食わないんだなあ。正義の味方ズラしやがって!とか、頭でっかちの歌を歌いやがって。オノレの下半身からの本音を語ってみろ!とか言いたくなってしまう。

 その種の恥ずかしい歌詞も腹立たしい歌詞もまた、民衆の文化の一つであり、理解を示し受け止めるのが正しいワールドミュージック野朗の姿勢であるって人もおられるでしょうけどね、まあ、そういわれても耐えられないものは耐えられない。

 というか、そんな建前に従って理解を示すより、苦痛なものは苦痛であると顔をしかめるのが誠意ではないでしょうか、むしろ。
 相手の歌を否定するつもりはない。それはそういうものであると納得する。が、うんざりするのもこちらなりの立場である、と。

 それにしても、相当なものを聞いているんだろうなあ、普段。などと、目の前に並んだ土俗ポップスの、考えられないようなえげつないデザインのジャケを見つつ、ふと思う。知らぬが仏。




”バンドマン物語”のためのメモ

2006-04-22 03:34:26 | その他の日本の音楽


 えーと。これは、ある掲示板にふとしたきっかけで書いた思い出話なんだけど、この素材、いつか、ちょっと整理して書き直してみたくなった。とりあえず、原文を下に保存(?)しておきます。いずれ、ちゃんとした形に。

 私が少年時代、音楽に目覚めたばかりの頃、私の町に流れてきて、その頃まだ町に何軒もあった”バンド入りキャバレー”で働いていたヤクザなバンドマン達から音楽の手ほどきを得たのであった。進駐軍のキャンプ回りをしていた人、戦前、上海のクラブでピアノを弾いていたという、もろ”上海バンスキング”だった人、などなど。

 さすがにもう、年齢から考えて鬼籍に入られた方も多いかと思うのだが、その人たちは、ある日突然、別れも告げずにいなくなってしまうのが通例なので、その後の消息と言うものが、よく分からないままになっている。

 ちなみに私のギターの師匠は、ロカビリー時代に「ダイアナ」のヒットで有名な山下啓二郎のバックバンドにいた人であり、この人は一応健在なのであるが、カラオケ登場後のバンドマンの通例として何の仕事もなく、毎日、港の防波堤で、ただ釣りに興じる”老後の日々”である。

 あの人たちって「二重に奪われた人たち」って思えるのだ。
 戦後の焼け跡の中で、古道具屋の店先に転がっていたチャーリー・クリスチャンのSP盤がきっかけでジャズのトリコになり、進駐軍のキャンプ廻りで腕を鍛え、50年代のジャズブームで大いに意気が上がった、なんて人たちなんだけど、彼らが全盛時代?にやっていたのは、ジャズなんかじゃなかったわけで。
 今だってジャズで食えてるミュージシャンなんて一握りしかいないのに、その当時においておや。

 彼らがキャバレーでやっていたのは、彼らが軽蔑していたムードミュージックやダンスミュージックなのですね。あと、そのキャバレーの”専属歌手”が歌う演歌とかの伴奏。そんなウンザリするような音楽を生きるために演奏する日々のうちに彼らの心には「俺はラッパを吹いてオマンマ食って行ければそれで十分。なに?ジャズをやりてえだと?ケッ、笑わせるぜ」ってな思いが強くなって行く。
 かっては存在していた音楽への情熱も、酒と女とバクチの彼方に見えなくなって行く。

 そんな状態で10年、20年が過ぎ・・・そして突然、カラオケの普及によって、彼らが一挙に職を失う日がやって来る。バンドマンを何人も雇うよりカラオケマシン一台をレンタルするほうがどれだけ安上がりか。そりゃもう、一瞬のうちに、単なる失業者と化したそうです、皆が。

 現実によって夢を奪われ、そしてその現実も時代の変化によって奪われ。そんな彼らの一人が今、たとえば港の防波堤で日がな一日、ただ釣り糸を垂れるだけの日々を送っている。あるいは、名サックス吹きと言われた男がナンボかの日銭を稼ぐために立ち食い蕎麦屋で蕎麦をゆでている。

 「あれからこっちは夢さえ見なきゃ」なんて、昔々のロック・ミュージカルの中の一曲を思い出します。



続・フレッツ光は不要!

2006-04-20 03:44:14 | いわゆる日記


 というわけで、昨日の続きです。昨日、「いらない!」なんて文章を書いたらさっそく今日、フレッツ光の新しいCMを見てしまいました。

 この間までは、これも私、別の意味でイライラさせられましたが、スマップのクサナギが実に情けないヘロヘロ声で弱々しく「せ~いかつか~わる こ~の~きぃせ~つ~」とか歌うヴァージョンが流れていましたね。あの歌声にもずいぶんムカついたんだけど、もう、この件ではとことん私をいらだたせる気らしいですな、NTTは。

 今回は同じスマップのメンバーの稲垣吾郎が出てきまして、どうやら朝の出勤風景ですな。稲垣、会社に行こうとするのですが、テレビで気になる番組をやっている。稲垣、そこでテレビになにやら細工しまして出勤。で、会社に着いた稲垣、ノートパソコンを開いて、先ほどの番組の続きを見ている。

 フレッツ光ならそのような事が出来るのです!どうです、素晴らしいでしょう!というのがCMの趣旨のようですが。おい。ちょっとまて。

 そんな事がそれほど素晴らしいことなのか?家に帰ってからビデオでも見れば用は足りるんじゃないのか。そこまでして見なければならないほどの重要事項か、テレビを見るなんて事が。そもそも、そんなに入れ込んで見る価値のあるような番組を今、テレビでやっているとでも言うのか。

 どうだっていいことだろう、そんなの。全国民が右へならえして受け入れるほどの重要事項じゃないだろう、どう考えたって。

 どうでもいい事を重大事項に仕立て上げ、そいつの解決策を示し、「おお、素晴らしい発明じゃないか。これでまた、私たちの暮らしは便利になる」なんて、まるでピント外れを信じ込ませ、商品を売りつける。その影で、本当に人々が必要としているものは、いつも後回しにされ、忘れ去られる。構造は見え透いている。

 何度でも言わせてもらおう。フレッツ光なんて、いらない。そんなものが人々を幸福にするなんて大嘘だ。そんなものの受け取りは、断固拒否する。



フレッツ光なんか、いらない

2006-04-19 03:33:22 | いわゆる日記


 昨日、NTTから電話があって、フレッツ光にする上で確かめておきたいことなどと質問を始め、、ついにはウチに説明にやってくるなどと言い出したので、「やめてくれ」と言ってやったのだ。説明にも来て欲しくないし、そもそもフレッツ光に変えて欲しくもないと。

 相手は私が冗談でも言っているものと取り、途方に暮れていたようだが、理解できないそっちが悪い。私は何もむずかしい話なんてしていない。
 私は家の電話関係は現状で十分用が足りているし、フレッツ光なんかいらないと言っているのだ。どうしてもフレッツ光に変えねばならないのなら、日本で最後にして欲しい、ウチは。

 70年代初めの、俳優・小沢昭一氏のトイレに関するエピソードを思い出す。
 彼は、「トイレは汲み取り式が正しい」と信じ、東京都から「この区では水洗にしていないのはあなたの所だけなのです。区は、お宅だけのために、もう不要のはずのバキュームカーをもっていなくてはならないのです。なんとかお宅のトイレ、水洗にしていただけませんか」と懇願されたが、頑として首を縦には振らなかったそうだ。
 私も今回、その姿勢を見習いたく思う。

 これも、例の、「何年後かにはテレビ放送がいっせいにデジタル化」って奴と同じこと。麗々しく「素晴らしい新技術によって新しい生活が開ける」とか銘打っているが、その「デジタル放送が実現するすばらしいもの」をよく検証してみれば、こちらの生活にどうしても必要なものなど、実はありはしない。そんな新技術などなくても、十分便利に生きて行けるのだ。

 そんなものをいやおうなく押し付け、対価を払って受け入れろと迫る。実のところは技術更新によって生じる需要が、要するに金が欲しいだけではないか。強盗と同じだ、彼らのやっていることは。

 もう一度言っておく。フレッツ光はいらない。テレビのデジタル放送化もして欲しくない。そんなものを押し付けられるのは大いに迷惑である。お断り申し上げる。
 同志の方、おられると信じます。あなたはこの事態にどのように対処されておりますか。お聞かせ願えれば幸いです。




ディック氏は”ラモーナ”を歌った

2006-04-15 03:46:06 | その他の日本の音楽


 どれほど前のことだったろう。あれはもう、最晩年のディック・ミネ氏の姿だったと思う。かってNHKで放映された”ディック・ミネ・ショー”の話をしているのだが。
 さすが戦前から歌い続けたジャズソングの快男児も年齢には勝てず、歌声も弱々しく、こんな言い方もないものだが、画面に映るのは、”ヨボヨボのお爺さん”でしかないのだった、悲しいことに。

 「これがディック・ミネの姿を見る最後になるかもなあ」などと、失礼ながら呟きつつテレビを見ていたのだが、そしてその予想は、あまり時をおかずして現実となるのだが、ここで話したいのは、その、まさにディック氏の人生の集大成のごとく催されたショーのクロージングに歌われたのが、”ラモーナ”という曲であった、その事である。

 ”ラモーナ”は1927年、同名の無声映画の宣伝用の曲として書き下ろされ、女性歌手ドロレス・デル・リオやポール・ホワイトマン楽団によってレコーディングされて、全米で大ヒットしている。日本でも多くの”ジャズソング”歌手によって取り上げられている、美しいワルツの曲である。

 歌謡曲歌手としてのヒット曲も多い、というか、一般には当然、そちらのほうで知られていたと考えられるディック・ミネ氏である。

 その彼の最後の”ワンマン・ショー”において、ステージを締めくくるために歌ったのが、皆に親しまれているはずの歌謡曲のヒット・ナンバー、”夜霧のブルース”や”旅姿三人男”ではなく、それどころではない、ディック氏の代名詞みたいな扱いだった古いジャズ曲、”ダイナ”でさえなく、もはやめったに歌われることもなくなってしまった”ラモーナ”であった、という事実。

 ディック氏がデビュー当時歌っていたジャズやタンゴばかりではなく、いつか歌謡曲までも歌うようになった経緯を私は知らない。商売上、どうしたってドメスティックな演歌ものを歌う方が儲けは出やすい、それゆえ会社からの要請あり、で歌わざるを得なかったのか。それとも、意外に気に入っていたのか。

 それから戦争があり、ディック氏は横文字のステージネームを廃し、三根徳一と名乗らざるを得なくなったり。長い長い時が流れ、数十年の芸歴の間には、さまざまな、さまざまなことがあった。

 それらすべてへの回答としてディック・ミネは、自らの最後の晴れ舞台のクロージングに、”ラモーナ”を選んだのではないかと、私は想像する。
 そんなディック氏の”ジャズソング歌い”としてのこだわりというか矜持というか、そんなものに打たれて、ダラダラ寝転がってショーを鑑賞していた私は、思わずテレビの前で正座をし直したのだった。

 そしてディック・ミネは両手でマイクを握り締め、瞳を閉じて、自分に言い聞かせるように”ラモーナ”のメロディをゆっくりと辿っていったのだった。