ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

マンマ・ミーア撃滅!

2009-01-31 01:10:26 | 音楽論など


 なんかこのところ、「マンマ・ミーア」とかいう外国のミュージカル映画のコマーシャルがやたらと流れておりますねえ。「世界中を幸福にしたミュージカル」とか言ってるけど、ほんとかね?
 その映画の流れ過ぎのCMに、すっかりうんざりしている私をどうしてくれる。少なくとも幸福ではないぞ、そのおかげで。

 そもそもが日本人にミュージカルに関わるってのは無理なんじゃないでしょうか。やるだけじゃなく、もうただ見るだけでも向いてないって気がする。
 日本人がミュージカルに関わっている風景って言うのはねえ、性格の暗い人が何かの行きがかりで自分の家でホームパーティとかやる羽目になってしまって、必死になって作り笑顔を浮かべ、頬を強張らせてホスト役をあい努めている、みたいな感じで、悲痛でしょうがないのだ。

 やっぱりああいうものはさ、「無神経」とカナを振るしかないようなアメリカ人の、もう嫌になるほどバカ明るいノリがあってこそ成立する世界で、日本人の手におえるものじゃありませんて。

 だって、普通に生活してる筈の人がいきなり立ち上がって大声で歌い出すんだから。
 で、周囲の人々もそれに和して立ち上がり、こんなに喜ばしいことがこの世にあるだろうかといわんばかりの笑顔を浮かべつつ、歌えや踊れ。ついには街中巻き込んでの大群舞の大騒ぎ。
 何をやってるんだ、この人たちは?
 繊細なるアジア人には、体力的にも精神的にもついて行けるものじゃあないでしょ、それは。

 だから、そんなものを見てみろ見てみろと陽気な宣伝流されたって。そりゃ、うんざりするばかりだよ。いい加減にしてくれないか。

 などということを書いてみました。
 必要以上にバカ明るい「マンマ・ミーア」のCMを見ていて、その押し付けがましい盛り上げぶりに、すっかり閉口してしまったんでね。
 あ、”本当は仲が悪い”との噂の松田聖子親子が出てくるヴァージョンは、あまりに嘘臭くて、逆に笑えます。楽しいです、ある意味。

台湾フォーク、あの頃。

2009-01-30 00:50:32 | アジア

 ”The Best Collection of Popular Music”by 李碧華

 濡れたような歌声、なんて表現は特に珍しいものでもないわけだけれど、歌手の歌声における水分の含有量を表す基準なんてものがあるだろうか。

 台湾の実力派女性歌手、李碧華の歌声を聞いていて、いつもそんな事を考えてしまう。
 彼女の場合、水分含有量は120パーセントといったところではないだろうか。すなわち、水分は多過ぎて吹き零れてしまう。
 澄んだ歌声が透明な空気を震わせつつ渡って行く、その狭間から清浄な水滴がこぼれ落ちる・・・そんなイメージを喚起する李碧華の歌声なのだ。

 水分過多とはいっても、彼女の場合、メソメソした陰鬱な泣き節ではない。新鮮な果実を丸齧りした際に口の中に広がる爽やかな水気の広がり、あの感触に近い、透明感のあるものである。
 そもそもその歌いっぷりの凛としたありようは安易な泣き節とは対極にあるものである。いつもスッと背筋を伸ばして歌っているような端正な美学に元ずき揺るぎのない、みたいな李碧華の歌いぶり。むしろその”水っ気”の多さは彼女の歌に宿る生命力の証しと考えるべきではないか。

 彼女が90年代に出した”郷土口承文学”のシリーズは、台湾の民衆の間に古くから伝わる大衆歌の数々を丁寧なアレンジと歌唱で歌い継いだもので、私の長年の愛聴盤だった。
 深夜、一人で酔いどれてはCDを廻し、台湾の片田舎の、行ったこともないくせに不思議に懐かしい風景と人々の暮らしの温もりに陶然となりつつ耳を傾けていると、時の過ぎるのも忘れた。

 そのアルバムについては以前、この場に書いたが、今回の作品は、そのさらに前、おそらくはデビュー当時の李碧華の歌唱を集めたものかと思われる発掘音源集である。録音されたのは80年代頃だろうか。
 ジャケで、まだ女学生然とした李碧華がギターを抱えている。収められているのは当時の台湾の歌謡界で流行していたのだろう、フォーク調の歌謡曲が多い。まだオリジナル曲にも不自由していたのだろう、カバー曲ばかりのようだ。

 中には日本曲の”瀬戸の花嫁”や韓国のバラード、”別離(イビョル)”なども含まれているのだが、曲調に合わせてコブシを廻したりせず、あくまでも端正にメロディを追って行く歌い口は、この頃からもう彼女は、私の知っている李碧華だったのだなと、半分微笑ましく、半分恐れ入る思いだ。
 微笑ましくといえば、ともかく次々に飛び出してくる台湾風フォークソング歌謡にも、なんだか気持ちがムズムズするものを覚える。そうなんだ、日本人と似たような感性で作られた曲が多いんだよねえ。いかにもギターを抱えてあまり深く考えずに作ってしまった、みたいな。C-Am-F-G7、とかなんとか、安易なコード進行で受けを狙うみたいな。

 ここに収められている曲が吹き込まれた頃、台湾の世情はどうだったのだろうか、などとも思ってみる。ひょっとして、長く長く続いた戒厳令が解除され、自由の風らしきものが台湾の社会に吹き始めた頃だったのではないか。
 昨年末、急逝した飯島愛に関するニュースを見ていて、台湾の民衆のあの事件に対する意外な関心の高さを知った。聞けば、戒厳令解除とともに彼女が主演のアダルトビデオが自由の風に乗ってかの地に流入し、飯島愛は台湾のスケベ心にとっての自由の女神となっていたそうな。

 台湾を知る人々は、時の流れのうちに、もうあの島はかっての素朴な人情を失ってしまったという。もう世界のどこにもある、刺々しい目つきをして欲望を追う世界と同じ場所になってしまったと。
 私には、それに関してなにごとか意見するほどの知識もないのだが。
 ただ、むずがゆい思いをしつつ、心の微妙な部分で彼らと共有する”恥ずかしい過去”を伝えてくる”安易なフォーク歌謡”のメロディを追ってみるだけだ。与えられたメロディを懸命に追おうとする李碧華の、まだ幼さを宿した歌声を噛み締めてみるだけだ。そして、ただ行きずりの風に吹かれただけでどうにでもなってしまう人の生を思う。

 李碧華の新譜というのも、この頃聞いていないが彼女は元気でやっているのだろうか。
 考えてみれば私は、彼女の年齢とか結婚はしているのかとか、そんなプライベートを何も知らないと今頃になって思い至るのだった。まあいいんだ。この世界のどこかに、こんな歌を歌う女性がいて、私はその歌を好んで聴いている、それだけの話だから。

朝焼けのバルト海

2009-01-28 04:21:04 | ヨーロッパ

 ”MEILE”by Geltona

 バルト三国の一国、リトアニアの女性歌手、”ジェルトナ”の2005年のアルバム。

 ”かってアイドルとして活躍後、今は大人の歌手に成長しました”くらいのポジションにいるのかなあ、なんて、オシャレな破れジーンズからお尻の割れ目をちょっとだけ覗かせて物憂げに寝転がった中ジャケの歌手の写真を眺めてなんとなく想像してみる。
 まあ、リトアニアのポピュラー音楽界に関する情報なんてひとっかけらも持っていませんから、勝手に想像逞しくするよりないです。

 全体、”素朴なヨーロッパのローカル・ポップス”って雰囲気の音なんだけど、その感触は悪くないです。
 それなりに洗練されたポップ・サウンドに乗って軽快な歌声を聴かせるのだけれど、そのポップなメロディの底に、基調音みたいに深く切ない、甘酸っぱい感傷が潜んでいて、聴き進むうちに、そいつがジワジワと聞く者の胸にも染み込んでくる。

 これは私だけが感じることなのかなあ。どの曲にも、朝焼けの港と、そこを出て行く船のイメージがある。ジェルトナ女史は桟橋に立ってその船を見送っていたり、あるいは自身が船の上の旅人になり、一人デッキから、遠くなって行く港を眺めていたりする。さまざまに形を変えながら、離別と流浪のイメージが潮の香りと共に現われては消えて行く。
 アルバムからあふれ出したそんな諸行無常、人は出会いいつか別れる、なんて儚い感傷が、いつの間にか当方は見たこともない筈の、朝焼けのバルト海を染めて行く。

 明るく歌ってはいるんだけど、その底の方で時に冷たい孤独の影が差す感じのあるジェルトナの歌声は、彼女が美人であるだけになんか気になるものがあります。なんて言い方もどうかと思うけど、このひんやりとした感じが、バルト海に面した北欧の国ゆえの味わいなんだろうか。
 それにしてもジェルトナの歌声の鼻にかかった感じ、どこかで聴いた事があるよなあと思っていたんだけど、そうか、ときおり松本伊代に似ている感じになる歌声なのでした。

 他のアルバムも聴く機会があるといいけどなあ。そんな事を時の運にまかせるよりない、ここがワールドミュージック者の切ない定めだぜ、と最後はなぜか”渡り鳥シリーズ”の小林旭と化してみる。

ウクライナの一夜

2009-01-26 02:30:00 | ヨーロッパ
 ”A Moment of Spring. Ring Bell Wind ” by Ruslana

 ウクライナの女性シンガー・ソングライター、ルスラナのアルバム。
 彼女は2004年のユーロヴィジョン・ソングコンテストにおいて、自作の”ワイルド・ダンス”なる曲で見事に優勝を勝ち取るという、おそらく東ヨーロッパというかスラブ圏では初ではないかという快挙を成し遂げる事になる。

 だが、今回のこのアルバムは、その6年前、まだルスラナがウクライナ・ローカルの 地味な歌い手だった頃の作品である。例えて言えばドクター・ジョンが”ガンボ”でロックシーン中央に打って出る以前にひっそりとリリースしていた怪作”グリグリ”にでもあたろうか。

 実際、”ワイルド・ダンス”は名も分からない異郷の古き神々の秘祭、みたいなエキゾティックな響きが横溢する不思議な手触りのダンスミュージックで、ワールドミュージック好き、民俗学好きの当方としては相当に血が騒いだものだった。
 が、その神なるものの正体がよく分からない。ひょっとして彼女自身が、どこか異郷の民族の血をひく者であるのかも知れない。そんな話も聞いた記憶もあるのだが、まだ確たることは言えない状態である。

 このアルバムは、闇に松明を掲げ異境の祭の司祭に名乗りを上げる、そんな方向にふっ切れる以前のルスラナが贈る、夜の内緒話の花束である。
 どの曲もひそやかな囁き声で、父祖からの秘密の言い伝えを夜の静粛に紛れてこっそり交し合う、みたいな妖しげな魅力に満ちている。(そういえばジャケ写真もなんだかホラー映画のサントラみたいだ)

 リズミックなナンバーをシャウトする場面もあるのだが、それもどこか気持ちとしてはオフ気味みたいな、どこか遠くで叫んでいるみたいなおぼろな距離感がある。
 東欧名物といおうか、モノクロームな感触のエレクトリック・ポップスもあれば、美しいメロディを切々と訴えかけるバラードも含まれているのだが、そのどれもが擦りガラスの向こうの世界のようにあてどなく遠いものに感じられる。

 あるいは、ケイト・ブッシュを連想させられたり、また谷山浩子を思い出したりしながら、ヨーロッパの古い街の古い家で、夜を徹して古老の昔話を聞かされているような気分になっても来るのだった。
 そしていつしか。いつまでも明けることのない夜のしじまに、遠い昔に過ぎ去ってしまったものたちへの名付けようのない懐かしい思いが哀切の尾を引いて横切って行ったり。

 とてもこの6年後に、あの”ワイルド・ダンス”の大爆発をするルスラナと同一人物とも思えないのだが。まあ、時間という奴は何をする河からないやね。歌詞も相当に面白そうなんだが、もちろんすべてウクライナ語で歌われているんで、一言も分からず。


ラゴス行き最終出口

2009-01-23 04:27:24 | アフリカ


 ” HAPPY DAY ”by Oluwe

 この頃、なんとなく気になっているナイジェリアのヒップホップ。手に入る機会があったんで、その中で一番マイナーでローカル、というこのアルバムを買ってみた。ヨルバ語のラップをやるというんだが、人相も悪くていいじゃないか。
 で、ほんとにマイナーな人らしくて、彼に関する情報を求めてネットの世界を探りまわったんだけど、記述一行、画像一枚、出てこなかった。無名の新人ってところなんだろうねえ。ちなみにこれ、2008年盤。

 気になっているとは言っても、「ヒップホップ」と銘打っている以上、アメリカの黒人が、いや、いまや世界中の若者がやってるような、どこに参りましても変わり映えもせず同じような出来上がりの「レベルは~低いが~クラブじゃ~オシャレ~♪」みたいな音を聞かされる危険性は十分あるわけだから、恐る恐るCDを回転させてみたわけですよ。

 まず聞こえてくるのはドッスンバッタンと重苦しくも性急な打ち込みのリズム。シンセがその裏で悲痛な響きの短調の和音を積み上げて行く。そいつに乗ってアルバムの主人公、OLUWEの野太い吠え声が響く。いかにもアフリカ風なもっこりとしたコーラスがコール&レスポンス状態で後に続く。

 ラップ、とはいっても。それは確かにそうなんだけど、そこにはやっぱり濃厚にヨルバの血が息ずいている感じだ。フジやらジュジュやらの伝統的部族ポップスの語り口にかなり通ずるところのある、時にイスラミックなメリスマさえ聞こえる代物なのである。
 見えない大蛇が通り過ぎて行くような、音楽の底に沈む深いコブシのうねりが伝わってくる、そんな歌いっぷりの”ラップ”なのである。

 良かった。こいつ、”当たり”だよ。”アクセント言語”であるところのヨルバ語でラップを行なったがために言語の呪縛により、こんなことが起こっているのかなあ、などとも思ったのだが、まあ、確証はない。
 その後、”むずかしいべ”とか”あとでブス”とか”サイコー”とか”虫歯”なんて空耳アワーを展開しつつOLUWEの”ラップ”は続いて行くのだが。うん、ほんとにこれ、いいんじゃないか?

 私なんかが初対面した頃、80年代の、地の底から湧き上がって来るようなどす黒いリズムの蠕動や情感の迸りが、なんだか希薄になってしまった感も否めない昨今のナイジェリアのイスラム系音楽である。
 そして、なぜか理由は知らないが、今日のフジ・ミュージックやアパラ・ミュージックが失ってしまった、そんなどす黒い音楽的衝動は、むしろこのようなラップを演ずるナイジェリア人に受け継がれているような気配がある。
 いや、まだ2~3枚しかその種のアルバムを聞いてはいないのだがね、どうもそんな感じを受けるのだ。

 まだ・・・実は一度見放しかけたナイジェリアの音楽だが、そうやらまだまだ捨てたものではなさそうだ、そんな風に信じてもいいような可能性を、私はこのアルバムに感じる。いけるよ、まだ。と思うよ。

もう一人のマキの不在

2009-01-22 05:25:39 | 60~70年代音楽


 ”カルメン・マキ真夜中詩集ーろうそくの消えるまで”

 いつぞや、「浅川マキの過去のレコーディングが今、”ダークネス”なる中途半端な編集盤シリーズがあるだけで、すべて絶版状態にあるのはどういうわけだ?」などと書いたが、同じ時期に活躍したもう一人のマキ、カルメン・マキのデビュー当時のアルバムも絶版状態が続いているのはどういうわけだ?

 いやね、今、ふと彼女のデビュー盤が気になって調べてみようと検索してみたら、”ロック転向後”の、つまり”カルメン・マキ&オズ”の状態になってからの情報ばかりがドカドカ出て来て、それ以前の資料にまるで出会えなくてなんだか妙な気分なってしまったから。
 まるで何者かが彼女のデビュー当時の記録を意識的に隠蔽しようと工作した後の、”処理済み”の情報群をあてがわれた、みたいな感じだ。
 通販サイトに当たってみても、当時の音源は2枚組のベストアルバム、あるいは6曲入りのミニアルバムがあるだけで、オリジナル盤は”絶版物件”としての表示さえされていなかったりする。
 そりゃ、2枚組から曲を拾えばデビュー盤を再構成するのは、実は可能なんだけど、こちらはジャケも含めたオリジナル盤の再発が欲しいのであってね。

 おっかしいなあ。何しろ当時の彼女は”時には母のない子のように”なんてヒット曲をもって紅白歌合戦にさえ出たというのだから、そんな時代の記録がまとめられていず、音源も絶版に近い状態とは、変じゃないか。
 もしかして、”私はロックです”と意固地になっちゃった彼女があんまりロックじゃない自分のデビュー当時を”若き日の失態”と考え、封印しようとしていて、”信者”である彼女のファン連中もその意を汲んで、当時のことには触れないようにしている、なんてことはないか?などと空想するのだが。

 あ、ちなみに、”ロック転向後”のカルメン・マキの歌に私は、まーーーーーったく興味はございません。ロックフェス通いをしていた若い頃、何度も生で聞いたが、ありがちなジャニス・フォロワー、それだけとしか思えなかったし、その評価は今でも変わらない。何で皆があんなに思い入れを持って語るのか、さっぱり分からないね。

 で、デビュー当時のカルメンマキ、ちょっと今、聴きたい気分なんですがねえ、なんとかならないか。
 リアルタイムでは彼女の歌、さほど興味を惹かれはしなかったのだが、この歳になって再検証してみたい気持ちになって来ている、あれはなんだったのか、と。
 そんな私としては、なんともじれったい気分なのであった。

 当時の彼女といえば、ダルい感じでフォーク調の歌を歌う、あの頃流行の”アンングラ女優”というキャラ設定だった。インドっぽいイメージの絞り染めの服など身にまとい、同じく、いかにもヒッピーなヘアバンドで長い髪をまとめ、ベルボトムのジーンズに裸足、なんて風体だったな。
 で、そんな彼女が歌っていたのは主に、寺山修司作詞、田中未知作曲の独特のフォーク調の歌だった。

 寺山の書いた劇の劇中歌などもあったのかな?まあ要するに寺山修司がイメージした”ナウいヒッピーの歌う唄”を実行するのが当時のカルメン・マキの仕事だったわけだ。その作業に倦んだゆえに彼女は、”ロック”の世界に逃走したのかとも想像されるのだけれど。
 まあ、それはおいておいて。
 その辺の唄を聞き直したくなっている私というのは、要するに寺山の想定した60年代風ヒッピー像とそれに仮託した寺山の詩の世界に触れたい欲求の中にあるということなのであろう。

 ”時には・・・”に続くシングル曲が確か”山羊にひかれて”だった。この唄なんかは、当時の彼女のイメージ設定をそのまま唄にしたようなものですな。
 なんとなくインド~中近東のイメージの乾いた砂漠の風景の中に、ヒッピー姿の彼女が山羊にひかれ、歩を進めて行く。周囲には千年も二千年もの昔から変わらぬ、どことも知れぬオアシスにおける人々の暮らしが展開されていて。

 この、どこかシンと静まり返って乾き切った、そしてなにか作りものめいて、実はどこにも行きどころのない、奇妙な漂白と孤独のイメージ。
 それが生ギターの響きが印象的な音数の少ないサウンドと、田中未知の書いたシンプルなメロディに導かれるまま、訥々と織り成されて行く。
 うん、30年以上の歳月の過ぎ去った今こそ、この寺山系内宇宙ともいうべき風景の中に身を置いてみたい。そんな欲求が自分の心の底にある事を改めて確認したのだよ、私は。
 
 で、どうなのさ。何とかならないの?カルメン・マキのデビュー・アルバムをCD再発して世に出すって事に、何か障害はあるのかなあ?聴きたいんだけどね、今。


☆ カルメン・マキ 真夜中詩集ーろうそくの消えるまでー

A 
1.時には母のない子のように 
2.家なき子 
3.二人のことば 
4.戦争は知らない 
5.マキの子守唄 
B 
1.山羊にひかれて 
2.だいせんじがけだらなよさ 
3.さよならだけが人生ならば 
4.ロバと小父さん 
5.かもめ 
6.時には母のない子のように

へっぽこの地平へ

2009-01-21 03:07:39 | アジア


 ”Lady Ready”by Neko Jump

 今、ネコジャンプが”来ている”ようだ、なんてこと言ったらタイのポップスに詳しい人に「とっくに時代はネコジャンプだよ。今頃、何を寝ぼけた事を言ってるんだ」と笑われそうな気もするなあ。
 まあ、それも天罰覿面だな。私はタイの大衆音楽に関しては、毎度お馴染み”レー”なる仏教系音楽に夢中になっていて、逆に言えばタイの音楽はそれを聴いておけばいいだろう、なんてたかをくくっていたわけだから。
 でもまあ、それはある面、しょうがないんだよ。こちとら世界中の音楽を相手にしている訳なんで、各地方の細かい変容や先端の動きには追いきれない部分は出てくるのであって。

 とはいえ、普通の音楽ファンはネコジャンプなんてグループを知りはしないんで、タイ音楽ファンに笑われるのは覚悟の上で、ちょっと説明しておくが。
 ネコジャンプはタイの人気アイドル・デュオ。NueyとJamの双子姉妹からなり、2007年に初めてのフルアルバム(それまではミニアルバムしか出していなかった)である ”Lady Ready”をリリースし、なんと日本公演さえ行っている。
 とはいえ公演を行ったのが秋葉原にあるフィギュア製作で有名な”海洋堂”関連の建物の一角であり、まあ要するに一部関係者が異常な盛り上がりをみせただけ、ということなんだろう。だってあなたもこんな話、初耳でしょう?

 ネコジャンプがそのような場所で支持を受けたのも、彼女らが秋葉原名物の”メイド喫茶”のメイドの制服をそのままステージ衣装に使ったり、チェック柄のセーラー服を身に付けたりの、秋葉原に出入りするヒトビトの、いわば琴線に触れる演出で売っているグループだったからのようである。
 といってもそれは、日本の先端文化に憧れる東南アジアの若者の欲望の一典型の実体化としてネコジャンプがタイの地で演じていたアイドルとしての演出であって、まさか日本のオタク諸氏に受けることなんか考えていたわけではないだろう。
 まあ、日本のオタク諸氏もそれは承知の上で面白がって騒いでみたのだろうが。

 それでもネコジャンプのアルバムを聞いたり映像を見たりすると、その日本かぶれ(?)ぶりに、日本人としてはむずがゆくなる部分もないではない。
 プロモーションビデオの冒頭、いきなり「こんにちは」と日本語の挨拶はあり、アルバムには”カワイイボーイ”なるタイトルの日本語の歌詞混じりのバラードが収められ、バックアップするプロジェクト・チームは”カミカゼ”の名を名乗りと一事が万事、その調子だからである。そもそも彼女らのデュオの名前自体に、”ネコ”なる日本語が使われているのだから。

 もっとも私はその部分に関して”ネコジャンプの時代が来ている”と感じているのではない。
 そんな彼女らが行なっている独特の脱力表現に、妙に心惹かれるものがあるからだ。
 東南アジアのポップスに詳しいブログ仲間のころんさん言われるところの”へっぽこ”表現である。こいつが、酷薄な風の吹き抜ける現代に、過酷な日々を生きる我々の、その脇の下をくすぐっては逃げて行く、得体の知れない子鬼の姿と見えるからである。

 結構考えの行き届いた楽曲とバッキングにより、ある時はダンサブル、ある時は切なくと、巧妙な青春ポップスの骨組みが提示される。
 と、そこに、まこと気の抜けるような、飴玉を口に含んで歌っているような甘ったるい調子で、なんとも頼りない歌唱力の、NueyとJam姉妹の歌がフラフラとヒラヒラと始まる。何しろ歌唱に使われているのがマイペンライな響きのタイ語なのであるから、脱力の色はますます濃くなる。

 そこに現出するのは、ピンク色の桃源郷とも、崩壊寸前で踏みとどまるポップミュージックの黄昏とも見える光景である。
 このへたっぴ感覚がもたらす不思議な価値観の混乱を、私は”へっぽこ主義”の根幹にあるものと、とりあえず想定したのであるが、いやまあ、こんなこというのはつまらない話だねえ。
 彼女ら二人の歌声を前に、「いやあ、時代は”へっぽこ”だねえ」と呟き見守るのが正しいへっぽこ野朗の生き方だろう。それにしてもタイって、どうしてこんなに不思議な音楽が次々に出てくるのだろうか。

それは演歌ではなく

2009-01-19 15:28:39 | その他の日本の音楽


 ””マディソン郡の恋”by 秋元順子

 ブログ仲間のNAKAさんが、ご母堂から薦められた盤、ということで”秋元順子 / マディソン郡の恋”なるアルバムを話題にしておられた。ああ、なんか紅白歌合戦に60代、最年長の初出場とか騒がれていた人のアルバムだね。それにしても凄いタイトル。これは2006年に出た、デビューアルバムだそうだ。

 NAKAさんが紹介しておられるプロフィールには、ジャズ、シャンソン、カンツォーネ、ラテン、ハワイアンと、秋元女史の音楽遍歴が記述されている。まあこの世代の人にとっての”オシャレな洋楽”を経巡って来た人のようです。典型的な例、と言えるのかもしれない。
 身近かなもう一つの例を挙げれば、私のいとこがこんな道を歩いてますよ。ピアノの稽古に通うかと思えばシャンソン習ったりカンツオーネの先生に付いたり。やはり、いろいろ音楽遍歴を重ねている。こういうのも”ワールドミュージック的展開”と呼んでいいのかどうか分かりませんが。

 これを、「いろいろ音楽を巡った末に演歌の世界に帰着した」と受け取っている人もおられるみたいですな。けど・・・そうかなあ?
 「愛のままで・・・」は、私は演歌ではないような気がします。なんか短調のメロディでベターっと重苦しい世界を歌ってるから演歌、なんてのはちょっと短絡的な理解でしょう。
 では何かといえば、こいつは”いわゆるインターナショナルにベタな歌謡曲”ではあるまいかと。

 「愛のままで・・・」って歌、イタリアとかフランスとか、あるいはロシアみたいな短調の重たいバラードが好まれる傾向の国に持って行って、現地の言語の歌詞をつけて歌ったら、何の違和感も無く受け入れられるって気がしますもん。もう、国際的に普遍性のある”歌謡曲”なんじゃないでしょうか。
 だから、あれこれ”洋楽”を消化して来た人には自分のものにし易かった。そんな音楽でしょ、あれ。

 これが”無法松の一生”とかの決定的な演歌だったら、そんなことにはならないですもんね、いくらフランス語の歌詞をつけてもガイジンにゃ受けません。あ、”趣味の人”は別ですよ、ワールドミュージック趣味の人。いや、そんな少数の物好きはいちいち計算に入れることもないか。
 演歌はやっぱり、古賀政夫先生が朝鮮半島の民謡にインスパイヤされて創造した特殊ポップス。それなりの修行が必要で、”西洋の洋楽”の素養しか持っていない秋元オバサマには、容易には歌いきれないでしょう。

 では秋元オバサマが歌っているのはなんなのか?と言えば。
 これは筒井康隆のフレーズの盗用ですが、”日本人の贅肉”である、と。そんなところじゃないでしょうかねえ。今日、多くの人がカラオケとかで歌っている”演歌”なんかもこれの一種ではないかと思いますねえ。オリジナルの歌唱は演歌だったのかも知れないけど。

丸太小屋と黒いドレス

2009-01-18 04:07:51 | ヨーロッパ

 ”Taus”by Sigrid Moldestad

 北欧のトラッド世界で好んで使われている独特の変形バイオリン、ハーディング・フェーレ。
 ボディの中に本来の弦と別に4本の共鳴弦が張られていて、非常に分厚い玄妙な響きのする楽器です。北欧トラッドを特徴つけている楽器ですが、おそらく、弾きこなすのは至難の業ではあるまいか。というか、共鳴弦のチューニングの段階でほとんどの人が挫折するのではないですかね。
 これは、そんな楽器のプレイヤーであり、歌手でもあり、北欧の民謡のフォームに沿ったオリジナル曲も書き下ろすノルウェーの民謡プレイヤー、Sigrid Moldestadの新譜です。

 冒頭、自身のペンになる静かなバラードを柔らかな声で歌いだすSigrid は、とかく孤高のイメージをかもし出してしまう北欧のトラッド・ミュージシャンらしくもない、非常に暖かく身近かなぬくもりを感じさせます。
 奏でられる音楽は、凍りついた空気の中で屹立する針葉樹林と降り積もった雪、なんて光景がどうしても浮んでしまう北欧トラッドの凛としたメロディを芯に置くものなので、冒頭の曲の、まるで暖炉の前の打ち明け話みたいな暖かさが妙に心に残ります。

 非常に気になるのが、インナー・スリーブに掲げられた、おそらくは過去においてノルウェーの地に生きた無名の女性たちの何枚も何枚もの写真。なにしろノルウェー語なんて一言も分からないから、それら写真に付された長い解説も当然ながら読めず。ただ写真と演奏内容から、その意味を想像するしかない。
 写真の画像から古いノルウェーの日々を想うに、それは決して気楽な暮らしではなかったろうな、と。北の厳しい自然との戦いの中で生き延びて行くことの辛さ、それゆえ抱え込んでしまった貧しさ、などが強烈な圧迫感を持って迫ってくる写真群です。

 その中で精一杯やりくりしたのだろう、着飾った女性たちがこちらを向いてポーズを取っている。硬い表情は、写真など普段は撮った事がないからだろうと想像されます。
 そして、そんな彼女たちの思い出を包み込むように歌うSigrid 。
 ジャケ写真の彼女が毛皮を首に巻いただけのヌード状態なのも、女性たちの古い写真と関連するなにごとかを表しているような気がします。それはおそらく、過去にノルウェーの大地に生きた女性たちへの深い共感を表しているのではないだろうか。そんな気がするのだけれど。

 弾けば弾くほどシンと静まり返った極北の国の大気の静けさがリアルに伝わってくる、そんなノルウェーの伝承歌の数々が、Sigridのハーディング・フェーレで奏でられる。
 聴いているこちらはヨーロッパ最北端の名もない村に吹く風を、いつか感じ始めている。中ジャケ写真にある、霧に巻かれた湖畔に建つ粗末な丸木小屋でおくられたいくつもの人生などに想いをはせている。行った事もない土地。会った事もない人々。彼らと自分とを隔てる時間と空間の巨大さに、途方に暮れる夜更けなのだった。
 


説教唄の消長

2009-01-17 04:53:34 | 音楽論など


 昨日、城南海ちゃんのデビュー曲の歌詞に関して、「歌詞のメッセージ調がウザイと感じられないでもない、と書きました。
 そしてこれを、民謡にたまにある”説教もの”の一種と想定すれば納得できないでもない」とも。(まあ、故意の誤解釈って奴ですが)
 そこで”説教もの”の一例として、沖縄の島唄である”てぃんさぐの花”をあげたのだが、それがどんな歌詞内容か、訳詞を掲げてみます。

”てぃんさぐの花の汁で指先に色をつける時のように
 親の教えを心に染めなさい。
 どんな宝も磨かねば錆びる。
 まして人間は朝に夕に心を磨いて
 人生をわたらねばならない。
 成せば成る 成さねばならぬ何ごとも
 成らぬは人の成さぬなりけり”

 という、大変にうっとうしい内容のようで。最後の一節、これは意訳じゃなくて、直訳でこうなるそうなんだからたまりません。ちなみにこの部分の原詞をあげてみますと。

 >なしば何事ん ないる事やしが
 >なさぬ故からど ならぬかなみ

 まあ、困ったことで。こちらは歌詞内容なんてはじめは分からず、メロディの美しさに惹かれて、いいかげんなウチナーグチで歌ってみたりしていたのだが、意味を知ってみれば、なんだこれは、だ。そんな事を言われたかあねえやなあ。

 まあ大衆文化の中で、洋の東西を問わず、説教ものってのがなんらかの存在意義を持っていたのは確かのようで、大衆音楽の古層を探ると、この種のものは宗教なんかをバックグラウンドに持ちつつ、かなりの頻度で存在していますな。
 もともとが仏教説話である河内音頭などには当然、生な形で出てくるし、アメリカのオールドタイム・ミュージックの歌詞の中にも教会から直送みたいな説教臭が漂っていたりする。
 遠くナイジェリアのジュジュ・ミュージックの大物、エベネザ・オベイなんて人の歌詞も相当なものだと聞きました。何しろ彼の芸名そのものが、”文句を言う前にまず目上の者に服従せよ”から来ているとかですからね。

 その種の唄を聴いて、「なーにを言いやがる、この野郎、偉そうに!」とか反応するのはインテリの近代人だけと、むしろ考えるべきなのかも知れないんですな。
 民衆の心の中に”説教されたいとの欲求”がある、と想定してみるべきではないか。
 このような歌詞は、たとえば支配する側の大衆コントロールの目的からとか、そんな事情で生み出されたり流布させられて来たってわけじゃないだろう。いや、最初はそのような都合から発生して来た説教唄かもしれないが、いつしかそれは無名の大衆一人一人から、むしろ好んで聴かれてきたと考えるべきではないか。

 そのココロは?と申しますに、寄る辺なき大衆は”偉い人”にハハーッと頭を下げてしまえば”価値観を巡る戦い”なんてややこしいものに関わらずに済む、という事情がある。
 「偉い旦那衆の言われる事、なんだかおかしいんじゃねえか?」なんて考え始めて階級闘争に目覚めちゃったりするより、「旦那方に逆らうなんて、恐ろしいこんだよ、オメエは何を言うだっ!」と互いをけん制しあい、揃って土下座しつつ年貢米を収めているほうが、そりゃ辛くとも面倒くさいことは考えずに済むのであって。

 そのように反応するように”躾けられて”来た大衆でもありますし、その結果得られる”奴隷の平安”の甘き泥沼の心地良さもありましょう。
 そいつから抜け出して寒風にさらされつつ自立を目指す、なんてしんどい思いはしたくないよ。ただでさえ日々の農作業も辛過ぎるというのに。

 などなど。毎度、まとまらない話で恐縮ですが。
 さて、本日の課題。”演歌・蟹工船”って歌をちょっと作ってみてください。